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今日の茶飯事 四杯目  日本料理は上品な暴力


前回きしめんの美味しさについて話した。
たっぷりの鰹節と昆布で抽出された旨味の洪水、出汁。これをふんだんに使っているんだから、まずいわけがない。そう語った筈だ。

今回はこの出汁について語ろう。

日本では、料理をする際に主に使う調味料がいくつかある。何処の国でもたいていあるのは塩と胡椒。これらに加えて醤油やみりん、酒などが挙げられる。

特に凝ったレシピの料理をしない限り醤油とみりんと酒を混ぜてタレを作れば、まぁ失敗はしないと言われるほど安定した調味料達だ。

それら主力調味料とは少し逸れた「高み」にいるのが「出汁」だと私は思っている。

出汁のベースとなるのは鰹節、昆布、椎茸に煮干しと色々あるのだが、これらをどのように組み合わせたとしても主力調味料達と一線を画す「味の深み」のようなものが産まれる。

懐石料理などを食べた時に感じる、言語化の難しい味の奥行きは、主にこの出汁にあるのではないだろうか。
決して濃い味付けではないのにも関わらず、しかし確かに舌先を撫でる旨味成分が脳に鈍いスパークを絶えず起こしていく。鼻から抜ける匂いすら美味いと感じ、口内に微かに残る風味もゆっくりそしてあっさり消えていき、次口に含むまでのトリガーを果たしている。

これによって我々日本人、ひいては海外の人々も和風料理を上品に感じているのではないだろうか。

確かに言いたいことはよくわかる。
が、しかし。
私はこの出汁というものを決して上品だとは思っていない。

というのもだ。出汁というものそのものを、もう一度考え直してみてほしい。

大量の鰹節と昆布、煮干しに椎茸を煮て旨みを抽出する。その後出汁が取れたらそれらを取り出して、旨味の抽出された汁だけ飲む訳だ。

これらは言わば旨味の暴力である。
他の料理のようはそれぞれの食材達が手を取り合って創り上げるダンスのようなものであるが、
こちらは各々が死力を尽くしこの身が果てるまで戦い抜いた食材達の屍で築かれた、城砦。

面構えが違うのだ。

実際めちゃめちゃ美味しい出汁を飲んだ時、ゆっくりと味わうことができることは殆どなく、あまりの美味さにいつのまにか顎に一発拳をかまされて記憶が飛んでいる。ただ美味いという概念だけ記憶に残るのだ。大分イかれている。


最後になるが、恐らく出汁以外にも今回のような上品な皮を被った料理があると思われる。
もし見つけたら是非教えて欲しい。

それらでデッキを組んで一緒に最強を決めよう。

ではまた。







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