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死生観がアップデートされた日

時間が経てば忘れてしまう気がして記録する。
何より、私が忘れたくなくて。
そして、誰かの気付きになると幸いだと思って。

ーーー

18日の23:30頃。

自宅に帰った時に、事件(?)は起きた。

洗面台で顔を洗って、顔を拭いた瞬間、
呼吸が止まった——。


息を吐きたくても吸いたくても、全く呼吸ができない。

息をしようとするほど、
喉の奥がもっと痙攣して、ピタッとくっつき、
気道を塞いでいくのがよくわかる。

「あぁ。こんなふうにして人は死んでいくのか。
なんだ。人間の命ってあっけないなぁ。。
すごく息が苦しいなぁ。。」

まるでホラー映画のワンシーンみたいに苦しく悶える、
鏡に映った自分の顔が、鮮明に思い出される。

どんどん意識が遠のいていくのがわかる。

・・・ダメもとで、胸を強く叩いてみる。


すると、
ほんの少し、気道に隙間ができたことを感じた。


「助かった、、」


でもまた唾を飲み込んだり、喉に刺激を与えたら、
すぐにでも痙攣が再開し、気道が塞がる気がした。

直感的に、
「次、気道が塞がったらその時はもう無理だな」と思った。
このタイミングで、救急車を呼ばないといけない気がして119番に電話した。
(こんな時に限って独りか..)

——声もまともに出ない。

意識が朦朧としていて、
その後のことはあんまり覚えてないけど、
救急車が来て担架に乗せられ、病院に運ばれていった。
(救急車のおじさんが、私の涙を拭いて声をかけ続けてくれたことはうっすら覚えている)

数時間の検査を経て、特に原因が見当たらないということで、深夜に帰宅することになった。

翌日、呼吸器とアレルギーの専門病院で検査した。

しかし原因がわからず、その場で紹介状を書いてもらい、その足で別の耳鼻咽喉科に行った。

※物理的に喉を塞ぐものがある可能性があり、その場合、すぐにでも呼吸停止が再発する可能性があるということでカメラで確認が必要だった。

耳鼻咽喉科で、鼻の穴からカメラを入れ喉のあたりを確認してもらった。
耳や口の中も、喉の周りも触診してくれた。

しかし原因は分からない。

先生も、不思議で仕方ないと頭を抱える。

もしかしたら、何かしらの脳発作が起きた可能性があるため、脳神経外科を受診することをすすめられた。


翌日、脳神経外科に行った。

MRIの結果、明らかに認められる異常はなかった。

正直、とてもほっとした。


2日連続、計5人の医者に見てもらったが、
結果、原因は分からなかった。

緊急病棟の医者2人、アレルギーと呼吸器系の専門医1人、口腔系の専門医1人、脳神経の専門医1人。

症状や救急車での様子から、
過呼吸でもなく、誤嚥でもない。

検査の結果、
ストレス性のパニック症状でもなく、
アレルギーのアナフィラキシーショックでもなく、
呼吸器の異常でもなく、口腔の異常も見当たらず、
脳や脳髄の異常も確認できない。

おそらく、

「原因不明の喉頭痙攣が起こったのだろう。」

という見解だった。

「万が一、次に1人の時、息が止まった時のために、すぐ救急車が呼べる準備だけはしておいてください」ということだった。

モヤモヤが残る気持ちと共に、やはり今回の件は、
人生へのメッセージだったように思えてならない。

タイミングを見ても。


ここからは、人生のボーナスタイムかもしれない。
本当に価値を感じるところにだけ、
自分の命を使い切ろうと思う。


あと数分後に死ぬかも...
という体験を通して、自分の命を心から願うところに使いきれなかったことだけが、死ぬ時の悔いになると気づいた。

最も多い死ぬ瞬間に悔いること、
「自分の人生を歩めばよかった」の意味を少し分かったかもしれない。

ここから、
もっと悔いなく自分の人生を
味わいきりたいと改めて感じる。

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