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東京という街

先週末、東京へ行った。BUDXTOKYOのチケットが当選し出発の4日前に突然行く事が決まったのだった。

仕事以外で行く東京は3年振りくらいで1人で県外へ行くのも1年振りくらい。最近は名古屋で仲良くなった人とずっと遊んでいて、いつも誰かが一緒に居てくれた。以前は1人で出掛ける事が殆どであったにも関わらず、少し不安になる。

1人で出掛ける時は自分自身を見つめ直してる事が多い。景色を瞳に焼き付けながら見ず知らずの誰かがこの場所に居た事を考えて、どこかで人生のレールが交わる可能性を考える。やりたい事とか身を置きたい場所とか、過去の自分とか振り返りながら足を運ぶ。そういえばそんな感覚、しばらくなかった気がする。初めて東京へ1人で行った時の事を思い出した。

16歳の時だった。夜行バスに揺られながら降り立った新宿は正直、名駅や栄と変わらない。立ち並ぶビルとその隙間から見える空。夜になっても消えない光と止まない音は同じ。違う事は人の多さだった。休日の栄以上の人が平日でも夜でも変わらず行き交い、地図上では小さく見えたこの街はどこから出てきたのか分からない人で溢れていた。自分自身ですら一つの景色となるこの街で立っている場所がどこかも分からなくなる。その中で、Twitterでフォロワーだった人々と落ち合った。日々、Twitter上で言葉を交わし共通の趣味である音楽の話をする。机上であったが慣れ親しんだ彼らと出会った時、景色であった人々が一人の人間に変わった。

その後何度も東京へ行った。東京の人々と交流する事が楽しく、情報量が多く進む時間さえ早く感じるこの世界で、脳内が停止しそうになりながらもこの街が好きになった。いつしか上京を夢見た。目標を東京の地にし名古屋で勉強に勤しんだ。しかしある時にその目標は達成出来ない事を知り、その頃には東京への憧れも霞んでいた。上京する願望は忘れ去っていた。

そんな事を思い出しながら、東京に着いた。横浜に住む友人と約束をしていたが時間があった為、一人で上野から築地へと歩く事にした。6kmほどの距離である。名駅や栄と同じ、その感覚は変わらない。どれだけ歩いても続くビル。低い建物はどこにもない。人工物が続く中で皇居の近くを通った時、その緑でさえ人工物のように感じた。その印象にネガティブなものはない。誰かの技術を感じ美しいと思った。自然が織りなす美も好きだけれど、人が作り出した美のがこの世界に自分が1人だけでない事を認知できて好きかもしれない。

日中に会った友人はかれこれ5年ぶりくらいだった。16歳の頃に名古屋で出会い、2年後には転勤で東京へ行った。築地で海産物を口にし、日本酒を飲みながら多くの事を話した。久し振りであるにも関わらず、昔会話をしていた時よりずっと話が弾んでいた。その友人は7つ上の大人の女性だ。16歳の当時では理解出来なかった共有できる感覚や思考を、今は持つことが出来たのだと思う。少しだけ大人になれたような気がした。

「東京来たいって言ってたでしょ。あんなは東京が似合うとずっと思ってた」

彼女のそんな言葉が突き刺さる。忘れ去られた願望。全力で駆け抜けていた10代は日々に埋もれて落ち着ける場所を探してしまう。進む事をやめた人生は面白くない。隅田川の向こうに見える夕暮れに染まる街並みはやけに輝いて見えた。

友人と別れ、入場したBUDXTOKYOUの景色は新鮮だった。名古屋でイベントへ行けば必ず見知った人々がおり当たり前のように乾杯をする。いつもの場所で笑い踊る。しかし今日はどこを見渡しても一人だった。フロアに集まる人々の中でポツンとバドワイザーを飲む。寂しいはずなのに楽しいのは既に酔っているからか。

何本目かのバドワイザーを取りに行った頃、石野卓球のDJが始まった。時計を見る事を完全に忘れていた為、急いでフロアの中へ戻る。高ぶる気持ちと共に集まる人々。静かに眺めてる時間は終わり音に乗せて踊る人が増えていく。ボルテージはマックスだった。まったく知らない人々。しかし目が合えばずっと知っている友人かのように、互いに笑いバドワイザーのボトルを当てて小気味いい音を鳴らしている。時が経つことを忘れるほど笑い飲み踊った。誰も知らない東京の人々。彼らは温かかった。

その後も夜の続きをした。エレモグとコンタクトへ行き関東に住む友人達と踊る。既にかなり酔っていて記憶が断片的だ。しかし見知らぬ土地で会う彼らは妙に居心地が良くて安心した事は覚えてる。闇の中を照らす光と音は夢のよう。あぁ、そういえば私は誰でも受け入れてくれる温かさと、人と情報に埋もれて孤独なこの街が好きなんだ。そこで記憶は途切れた。

朝、覚束ない足とぼんやりとした思考の中で、友人がバス乗り場のある新宿まで引っ張っていってくれている所で気が付く。昼間の雑踏はなくちらほらと自分と似たような人々がいた。新宿もこんな静かな時間があるのか。友人との会話内容は思い出せない。笑っていたような気がする。ただ、友人の横顔を覗き見した時に半年くらい前の記憶が蘇った。

「文章書き続けなよ」

その人は初めて私が文章を書く事を肯定してくれた人だった。


名古屋も大好きだ。大切な人がたくさん居て思い出も多い。東京じゃなきゃいけない理由なんてないけれど、もう一度だけ人生を駆け抜けてみたいと思った。今の仕事の技術と文章を持って3年後、ここではないどこかへ。

この日の記憶を忘れたくない。子どもの頃大切だった宝物はいつしかどんなものかさえ忘れてしまった。叶わない恋をした時に感じた胸の痛みは消えた。嫌な事も幸せな事も思い出になっていった。どこに居る結果になったとしても、いつかこの記憶も思い出に変わるのだろう。それでももう一度進もうと思うキッカケだった。水中で泡を掴もうとするように、何度も何度も記憶を反芻する。思い出に変わらぬように。

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