28年。

私にその記憶はないけれど、地元からそう遠くないところでたくさんの灯火が消えた。その事実は教科書の中の出来事にしか思えない。

私は震災に関する知識は今まで意図的に入れてこなかった。そういう事は自分の琴線に触れやすい分、辛くて耐えられる気がしないから。
でも今年は少し目を向けてみようと思う。

人々の記憶から忘れられていくということは、震災の傷が癒えていくということなのかもしれない。
完全に忘れられたら幸せかもしれないけど、きっとそれは出来ないだろうし、それでも幸せに向かって生きていくしかない。

今日、今、目の前の人に言った「いってきます」はちゃんと帰ってくるだろうか。私は一秒後の未来も不安だ。でも時計の針は進むから、きっと帰ってくるだろう「ただいま」を願って見送ることにする。

震災の記憶のない私から過去の被災者へ、未来の被災地へ、送ることができる唯一の黙祷。

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