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『みんな笑って。』

トリコ・A×サファリP vol1『PLEASE PLEASE EVERYONE』終幕。
9日間、13ステージ全日程が終了した。

あらすじ
今より少し未来のにほん。
子供たちは子育ての訓練を受けた大人によって育てられていた。
自由と平等が保障された理想的な環境で伸び伸びと育つ子供たち。
しかしある日突然、子供たちの生活は生みの親に一任されるという通達が国から下される。
国の決定に反発し、一丸となって子供を守ることを決意した大人たちはしかし、次第に不安という的に飲み込まれ、分断されていく。
国の顔色を伺うもの、大人の人間関係を重視するもの、子供の権利を守ろうと孤立するもの。
そしてその合間を縫い、みんなにいい顔をしてしまう、こうもりのような、わたし。

子育てとは何だろうか。
ずっと考えてもわからない。そもそも経験していないのでわかるはずがないのだけど。

「命かけられるのよ、親って。子供のために。だから間違っちゃう。」

劇中のアルボアのセリフを聞くたびに、思う。
間違ってるわけじゃない。親にとっての正解が、ただ子供にとっての正解じゃなかっただけ。

みんなそれぞれ個体だ。自分の正義のもとに、支え合ったり利用したり、対立してバラバラになったりしていく。そこに絶対的な正義も悪も存在しないのだろう。ただその人にとっての正義が、自分の正義に対する悪であったにすぎない。
人間は個別具体的なものだから、みんながみんな“そういう”感情になるわけじゃない。
それでも感情に屈してはならないと分かっていても屈してしまうのが人間で、その感情に頼って行動するからみんな“ひどいめ”にあうのだ。

ここまで書いて読み返してみる。

親にとっての正解が、ただ子供にとっての正解じゃなかっただけ。

これは私は自分の母に思うことで、母は今回の戯曲に書かれているような子育てに適した人とは真逆の、愛情と感情しかないような人なんだけど、最近よく謝られる。

「ガミガミうるさく言ってごめんやったな、もっと伸び伸び育ててあげればよかったなあ。」と。

確かにその頃は、無意識下の絶対的な親という存在に抗う気持ちからか反抗心もあったし、口うるせーなと思ってはいたけど、でもその頃の母はそれが良かれと思ってそうしていたことで、それを謝って後悔してしまったら過去の母がかわいそうだ。母の正解が私にとっての正解じゃなかっただけ。母は別に絶対的な存在じゃなく、一つの個体。そう気づくまでに随分とかかってしまった。

話は変わって、私の役はイルミオ(フィンランド語で『現象』という意味らしい)というその子育て施設で働く大人の役だったのだけど、彼女は一番最初に仲間と離れて市側についてしまう。彼女にとって一番大事だったのは「みんな笑って仲良く」することで、劇中でも昔みんなが仲良く暮らしていた頃を思い出して「仲がいいことが自慢だった」と呟いている。

見ている人からすればイルミオは所謂悪役で、大体の人はオレンナイ(フィンランド語で『本質』という意味、施設と子供たちを守ろうと最後まで戦った人)を抱きしめたいと思うのだろうか。

でもやっぱりイルミオも悪ではない。彼女にとっては「みんな笑って仲良く」することが正解で、市や国に反発して揉め事を起こそうとするオレンナイこそが悪者だった。

自分の最後のセリフを思い出すと、鼻の奥がつんとする。

演出の茜さんは、慎重に自分の気持ちを的確に丁寧に言葉を紡ぐ。
語弊多めの人間なんで〜とおっしゃっていたが、それゆえなのか、本当に思っているのであろう気持ちを相手に配慮して気を遣って噛み砕いて、濾過して濾過してそっと口から吐き出す、そんな感じがする。気疲れしないのだろうか。ふと思ったりした。

しかし私はそれを少し見習ったほうがいいかもしれない。私も語弊多めの人間だから誤解されないようにとなるべく直球で言葉を投げるのだけれど、それはそれでまた違う誤解を生むことも少なくない。もうやだ、喋りたくない。

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