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働きながら緩やかに死んでた

 大学時、定食屋のバイトに入った。
 かなり変わった、家族経営のバイト先は、すごく居心地が悪くて、とぼんやり思い出す。
 根性とか、スポーツ精神?みたいな雰囲気があるのは、そういう人(バレー部とか)をバイトに雇うから?(紹介→紹介らしくて)
 家族がみんな、隊に所属歴があるから?
 
 
 厨房の皿洗いから始まり、ホールの仕事まで経験出来た。
 土日の忙しい時間などがバイトの入る時間なので、動けない人は、辞めさせられるor辞めてもらう?というのを、卒業で辞めていく人に聞いた。
 多分、その店で、私のことは、辞めるのでは、と、噂されていたのだろう。かなり「ダメだねえ!」と言われていた。紹介で入った訳ではなく近かったのでバイト募集を見たからだ。だから、自分の部活の話をすると怪訝な顔をされた面接だった。
 怒られる…というか「嫌味」を言われるから精神的にくる。
 精神にくる。受け流せてはいない。
 自分の事を言われるなら聞いて直せるけど、周りとか環境とかを言われるのは、理解不可能で精神にきた。それを「嫌味」と言うんだよ、と知った。
 言われて直せたり、繰り返してやれるようになるので、そのうちなくなった。

 困ったのは、賄いだった。
 食べられないから。
 胃腸が弱いので、元々少食で、が通用しない。言い訳ではなく事実なのだが…。
 子供の頃から困った、他家での食事。

 賄いは好意だから、店が混んで、頑張れば豪勢な品物で労わってくれるのだ。
 疲れていれば疲れただけ、お腹が空く感覚が無いというのは、そんなわけあるかい?ってなる。遠慮はかわいくないよ、と。
 でも働いている間の食べ物のにおいで、気持ちが悪くなる。食道が詰まる感じがする。
 そんなふうになるとは、その時は自分自身も思ってなかったから、罪悪感でいっぱいだった。賄い付きがどんなものか知らなかったとはいえ。
 それがあって、絶対今後はどんなに困っても飲食店では働かないと決めてしまった。
 確かに、自炊していても作るだけ作り弁当として翌日にしたりしていた。

 就活は厳しかった。
 女子は今(希望部署では)取らないとか面接で言われたりした。書類に記入してある性別欄と写真はなんだ?書類無駄だなぁと面接帰りの夜行バスめっちゃ疲れた。
 だからかな、卒業研究は、ちゃんとやりたくて、就活で潰れた時間を実験に使いたくて夕食を食べに帰ったり出掛けたりしたくなくなった。朝と昼食べてるから、平気だと思っていた。

 新卒としてなんとか就職した先がブラック真っ黒企業だとしても、氷河期世代、店長候補の大卒。
 2、3年働いて大丈夫なら任すってのは、入社後から言われていたが、配属先店舗の人材が相性最悪だった。
 根性、やる気、本部の為ならどんな無理もやる、って人が次長に居て、店長兼バイヤーは、ほぼ不在。
 その店長兼バイヤーにも良いところ見せたい次長は、土日の売り上げが100万超えさせたい。PBのノルマもあって、いつも、なんらかの商品を自腹で買わなければならない。
 年に何回か、異動があるから、毎回店舗異動願い出していたけど叶わず。
 店舗さえ変えてもらえたら、仕事内容は嫌いではなかったから毎回お願いした。
 先に居た人たちは、あっさり辞めて似た業種で経験値を買われて行った。
 ほぼ一日一食、12連勤がどうしても出来たり、朝6時に出て深夜3時過ぎに帰宅しているうちに胃を捩じ切るような吐き方をするようになり、辞めないと、と思った。
 辞めると決めた事は全く後悔していない。

 「1年で辞めるの?」と親や親族が言うので、このサイクル、続けられるようなメリットが無く、逆に、みんなはこの環境下で続けられるのかと聞いたら、「みんなどこも、誰だってそうだよ、3年は我慢だよ」と言った。
 食べずに寝ずに働くのかと思って、親族に対して恐怖心を持った。
 労基に言っても「みんなそうだよ」と言うらしいと噂に聞いた。とはいえ、店舗から本部に集められたタイムカード捨てられてたらしく その会社は「刑事事件対象捜査」をされて、なんらかの罰を受けて、その店舗や会社はまだ存在する、会社ってそういうもんなんだ、今はもう「そういう会社は普通に有る」と知ってはいても自分が許容出来ない。
 
 転職してから働いている時は、すごく重宝されるし、頼りにされるから、上手くいっていると思っていたが、なんとなく…もう失敗出来ない、と思いながら働いていた。
 やはり、食べられなくなる、がどうしても出てきた。
 食べられなくなる。
 噛めない。
 食べてもその後、戻してしまう。
 吐くと血が混じるのは、神経性胃炎の特徴が胃の壁のヒダヒダした表面からじわじわ出血してるかららしい。
 固形のものが食べられない。流動のものを流し込むが、総カロリーなんてたかがしれている。
 
 最初の会社以外、辞めたい理由が特に無く、ギリギリまで平気なフリで働いて、食べてなくて寝てなくて、電池が切れるというかエネルギー源がないんだから、バッテリーがあがったクルマというか、とにかく突然倒れる辞め方になった。
 なになら食べられるって問うし、問われるけれども、食べられない。戻すも、制御出来ない。

 もう生きたくないと口に出した時、体重は39キロだったし、入院したからって食べられるようにはならなかった。
 
 
 あの頃は、働いている事が重要で、生きる事は大切にしていなかった。
 稼ぐ事が重要で、使う事を考えなかった。
 考えなくても、生きているだけで、稼いだお金は減る。
 貯めたお金は生きているだけで、支払いや税金で減る。
 順番が狂う。
 生きている事自体が無駄、と、行き着いてしまった。

 食べ物を吐かなくなったり、一人前を食べるのに、5、6年は費やした。
 家族とも食事はずらした。
 誰か居ると、落ち着かなくて。
 
「少なくても、食べれる時に、何か食べればいい」
 を実践出来る迄には、10年以上必要だった。
 いまは、ある程度、食べたい、を基準に出来るようになった。
 食べるものは、いつも同じでも、いい。

 私個人の、就労と生活の難しさは、寝食が「望ましいカタチ」にならない事。
 食べることに、エネルギーを消費出来ない。食べなければ必要なエネルギーが摂れないのに、飲み込めなくなる。

 優先度が「働く」へ傾きすぎてしまう。
 働く、は、一度にいくつもの事をやりながら失敗出来ないので非常に緊張と疲れを伴う。
 疲れ、は、程良く必要なのに、疲れ加減をよい塩梅に調整出来ない。限界まで気付かない。
 頭が常に何かを考え眠れなくなる。
 段取りとかパターンとか幾筋も用意出来るように考えてしまう。
 (その動きを止める為の眠剤投入が「今日はお終い」の合図になる)

 
 中学、高校で授業中居眠りは、疲れてたんだな。
受験に対して寝る間を削るも出来ない、そして偏差値が届かないという失敗、それ以降、寝る、が出来なくなり始めた。明日の事、次の仕事の準備、考えても用意しても足りない気がして起き続けてしまう。

 寝食を忘れる、とは似て非なるもので、疲れ過ぎると寝食が出来なくなる。
 お腹が空くという感覚がわからなくなり、食べ物を気持ち悪いと感じてしまう。
 食べるが苦痛に変わる。
 なにしろ、食べるは、生かされている、が重過ぎる。
 感謝を意識すると食べる価値がない自分に行き着いてしまう。
 感謝って概念に圧倒されて、申し訳ないでいっぱいになる。
(自分の中に罪悪感がたくさんあるので、それと結びつくと最狂)
 
 生きるの難しいね。
 
蛇足 
いま診断があるから言える
「アレもしんどかった」となるのは、
 学校給食

 
 
 
 
 

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