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「ウエスト・サイド・ストーリー」ミュージカルにも、アカデミー賞にも、初めて素直に感動できた理由。

どうも、安部スナヲです。

昨年、映画館のスクリーンでこの映画の予告編を見て、一発でやられました。

いかにもフィルムっぽい質感と色合いで映し出される映像だけでも萌えますが、冒頭、夜の倉庫らしき場所で、相対するグループの影が重なる俯瞰ショットに「スティーブン・スピルバーグ監督作品」の文字…それが影で消される。もうこの演出だけでカッコ良すぎです。

でも、この時点ではまだスピルバーグの新作であるということしかわかりません。

次いで、ダンス、埃っぽい瓦礫の街、バッドボーイズ達のバトルなどを経て、一瞬だけあのバルコニーでの睦み合いシーンが映ったと思ったら、最後にこのタイトル。

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え~?!あ、そーゆーことかぁ!

それは意外性というより、ストンと腑に落ちるくらい、予告編から醸される映像に説得力がありました。

これは、絶対スクリーンで観るべし!

【ミュージカルと50sアメリカ】

実はミュージカルに対し、ずっと偏見じみた抵抗感を持っていました。

単に自分如き無粋な庶民にはハードルが高いという思い込みもありますが、最大の要因は、実はタモリだったりします。

今ではどうかわかりませんが、私の子供時分、タモリは「ミュージカル嫌い」を公言していました。

テレビ全盛期のその頃、あらゆる芸術やエンターテインメントに精通している芸能界きってのご意見版が、ミュージカルだけは「大嫌い」と言っていたことの影響は大きかったのでしょう、どうしてもミュージカルといえば、突然歌い出す滑稽さを誇張気味に揶揄するタモリを思い出してしまいました。

しかしながら、その頃から何となくテレビで見ていた「ウエスト・サイド物語」には、ボンヤリと憧れのようなものを抱いていました。

というのも、あの映画と「アメリカン・グラフィティ」は「50sアメリカ」という、子供心に初めて抱く「アメリカっぽさ」の元祖だったからです。

もうちょっと突っ込んで言いますと、リーゼントの兄ぃちゃんたちが裏ぶれたストリートを指を鳴らして闊歩するとか、今夜ダンスパーティーであの娘とラブアフェア~イェ~♪みたいな世界観は、例えばキャロルから初期チェッカーズあたりまでのアイドルロッカーの世界観そのまんまでした。そしてこれらのグループは、私世代の男子が憧れ、真似したくなる対象でした。(ですよね?)

つまり、憧れの憧れが「50sアメリカ」であり、その象徴のひとつがロバート・ワイズ監督のオリジナル版「ウエスト・サイド物語」だったと言えます。

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【今だからこそ見えること】

そんなワケで、ミュージカルに洒落臭さや、気恥ずかしさを感じながらも、「ウエスト・サイド物語」には子供の私にも憧れを抱く要素がたくさんありました。

登場するキャラクターと、そのややダーティな風貌、マンハッタンの廃れた街というシチュエーション、不良グループの抗争、そしてそこで繰り広げられるキレッキレのダンスや音楽…

ただ、いかんせん子供なので、何故ジェッツとシャークスは争うのか、何故あそこまでトニーとマリアの恋路は邪魔されなければならないのかについては、漫画的な理解しかできませんでした。 

その辺りも今観ると、捉え方がちがって来ます。

例えば別人種移民グループの対立という基本構図も、今ならアメリカが抱える問題のひとつとして切実に捉え、その根底に巣食うヘイトや分断が、この世のあらゆる争いを招くことも、ウンザリするくらい知ってます。

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その上で、明らかに自分の感じ方が昔と変わっていたのが、バトルそのものにエンタメ映画で得られるような、スカッとするカタルシスを感じなかったことです。

特に後半、ジェッツとシャークスがガチで決闘するところから、ラストまでの無情な展開は、楽しむよりも、ズシリと腹に来る感じでした。

「喧嘩上等」の精神で後に引けなくり、脅すつもりのナイフや銃が取り返しのつかない結果を招き、憎み合いの果てにあの悲しいラスト…

いずれの状況も、「やられたらやり返す」つまり「毒を持って毒を制する」という考え方が、すべての地獄の始まりであることを、辛辣に訴えています。

それこそが、今になってスピルバーグがこの作品に挑んだ最も重要な理由にちがいないと、個人的には思っています。

【劇中歌ベスト4】 

容赦ない辛辣なテーマ性を持ちながらも、やはり醍醐味は音楽とダンス。

ここで、レナード・バーンスタイン作曲、スティーブン・ソンドハイム作詞による劇中歌の中から、私が特にグッと来た楽曲とそのシーンを紹介します。

“AMERICA”

プエルトリコ移民グループが、自分たちが住まうアメリカという国への、男女それぞれの価値観を戦わせるラテンナンバー。アニータ(アリアナ・デボーズ)率いる女性陣は希望を、ベルナルド(デビッド・アルバレス)率いる男性陣は差別や犯罪など負の側面を唱えます。

眩い朝、洗濯物を取り込む動きから、通りに出て激しく踊り狂う。その熱気と躍動感は絶筆に尽くし難いです。

私がこの映画の中で、最もオリジナル映画版を超えてると感じたのが、このパートです。

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実際、オリジナル映画版よりシーンの移り変わりが活発でアクションも多くて超楽しいです。

何よりも何よりもアニータが最高です!

このパートに限らず、映画全編を通してMVPはどう考えても彼女です!

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“GEE,OFFICER “KURAPKE”

白人系移民グループ「ジェッツ」の脇役勢が、巡査部長クラプキ(KURAPKE)や裁判官をからかいながら、自分たちの哀れな境遇を訴える曲。

母は麻薬中毒、父はアルコール中毒、オレたちがグレるのは育ちのせいだと、そんな哀しい言い分けをコミカルに歌い語ります。

ドタバタ喜劇調の振付と、アメリカンコミックみたいにコロコロ変わる表情であらわす泣き笑い感が印象的です。

“QUINTET”

決闘に向かうジェッツとシャークス、教会のミサ中にエッチな夢想に耽るアニータ、決闘を止めに行こうとするトニー(アンセル・エルゴート)、トニーに会うのが待ち遠し過ぎて1時間が1週間にも感じるマリア(レイチェル•ゼグラー)

同じ時間軸で交錯するそれぞれの行動と思いが、五重奏(QUINTET)となって、怒涛のように迫って来ます。

この五重奏がスゴいのは、ジェッツとシャークスの、どことなく「ローハイド」を思わせるような焦燥感を持つ戦いの曲と、トニーとマリアの甘いテーマ曲「トゥナイト」が、まったくちがうテイストの曲なのに見事に合流し、バシッとひとつになるところ。

ミュージカルってスゲェ!と感服させらたナンバーです。

“SOMEWHERE”

ジェッツとシャークスの決闘が招いた「悲劇」

そのすぐ後にトニーの保護者であるバレンティーナ(リタ・モレノ)が燻らすように想いを馳せながら静かに歌います。

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この映画いちばんの号泣ポイントです。実際の撮影現場においても、本読みの段階でその場にいた全員が泣いていたそうです。

オリジナル映画版でアニータ役を演じたリタ・モレノが60年の年月を経た今回のリメイク版に、このような役で登場することには重要な意味があります。

バレンティーナという役は、ブロードウェイミュージカル版にもオリジナル映画版にも登場しない、本作ならではの人物です。

元の設定ではトニーの保護者はドクという白人のお爺さんですが、本作ではドクは亡くなっていて、妻のバレンティーナがそれを担っています。

バレンティーナはプエルトリコ人。つまりドクとの夫婦関係は、トニーとマリアの恋が成就した姿の投影でもあります。

スピルバーグは物語の悲しい結末とは別に、人種の壁を超えらるという前提を、独自に付け加えているのです。

そして、オリジナル映画版のアニータ役で、 プエルトリコ人として初のアカデミー賞を受賞したリタ・モレノと同じ助演女優賞を、つい先日発表された2022年アカデミー賞において、アリアナ・デボーズ(この人もプエルトリコ人です)が、まったく同じアニータ役で受賞するというドラマ!

元々、アカデミー賞にはあまり興味がなかったのですが、こんな風に映画の余韻を深めてくれるなら最高です。初めて心から受賞を祝います。

おめでとう、アリアナ!

そして天晴れ!ウィル・スミス👋

出典:

映画「ウエスト・サイド・ストーリー」スペシャル・メイキングブック

ウエスト・サイド・ストーリー|映画|20世紀スタジオ公式サイト

ウエスト・サイド・ストーリー : 作品情報 - 映画.com


ウエスト・サイド物語 : 作品情報 - 映画.com

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