【第6話:情熱だけでひたすら行動】人生を180度変えた黒幕の正体
こんにちは。
ブログ歴13年、香港のオレンジゴミ箱が大好きなASAKOです。
この連載で、夫の駐在に帯同して香港で生活した6年間で、人生が180度変わってしまい、絶対ムリと思えるようなことも全て叶えてきたことについてを書いてきましたが、
その人生を180度変えた『黒幕の存在』
それを暴いていくために、学生時代からどんな風に過ごしてきたかを、前回書きました、その続きです。
なんとなく生きづらさを抱えてる人へ、私の経験から何か伝えられることがあるんじゃないか。私が書きたい理由はただこれだけ。ぜひ最後までお読みいただけたら嬉しいです。
なんのことはさっぱり分からない方は、まずはこちらからお読みいただければと思います↓
1つ前の記事はこちら↓
前回は、永田町の国立国会図書館で連絡先を手書きでメモし、帰宅してから電話をかけまくって「お」のところで拾う神が現れた、ってとこまででした。
「お」で現れた神さまとは・・・
元レースクイーンでタレントのOさん。電話では事務所の方と話したんだけど、Oさんに確認を取ってくれたようで折り返し電話がかかってきました〜
ご本人からΣ(oдΟ;)!!
それで・・・一度会ってくれると!
この時点で私、わははーい決まったー!・・・と、なぜか思ってしまうんだよね毎回 ( ̄▽ ̄)
でまあ結論から先に言うと採用が決まった訳だけど、大賞を取った作品、その他これまで作ってきた作品の、写真と現物も2つくらい背負って、
Oさんの事務所へ。
面接の日、言われた通りにやってもなかなかマンションに入れなかった私、事務所に到着早々、さっそく叱られたのを覚えているー。。
Oさんは一言でいうと、プロだった。何でも自分でやっていた、ギャラ交渉まで!!なんていうか、私はほんと世間知らずで育ってきたので、
現場では恥ずかしい失敗ばかり。業界自体も初めてなので、Oさん直々に色々と教えてもらった。でそこは個人事務所だったので、私はいきなり専属で衣装を担当することに。
当時レギュラー7本+αの仕事を忙しくこなしていて、地方と海外以外は全て付き人のようにOさんと行動を共にし、本当に多くの衝撃を受けたし、衣装以外のことも多くのことを学んだ。
スタイリストの仕事って、衣装だけじゃないの。
雑誌のページとかって、例えばテーブルセッティングや、お花やクッションなどの小道具、ときにはソファーなど
洋服を含めたページ全体をテーマに沿って作っているから、それらを全て、用意するのね。
通常スタイリストになるためには、師匠のアシスタントとして2〜3年は学ぶんだけど(私の時代の話ね、今はわからないけど)
私はそこをすっ飛ばしてタレントの専属スタイリストになったので、洋服も、靴もbagもアクセサリーも、雑貨も家具もなにもかも、
どこで貸してくれるのか知らなかった。
1番最初は雑誌のお仕事で、卓上マイクを2つ借りなければならないのを、私は電話帳で調べ(笑)
やっと見つけたとんでもなく遠い、よく分からない倉庫へ行き、とんでもなくダサいマイクを借りてきた、っていう
悲痛な記録を保持しております。。
当時のOさんは仕事も目まぐるしく多かったので、衣装もたくさんコーディネイトさせてもらい、楽しかった。楽しかったけど・・・
スタイリストにも色々あって、借りてきた服をコーディネイトする仕事もあれば「デザインして作る」ってのもあって。
例えばコマーシャルで使う衣装とか、映画、舞台衣装なんかもそうね、私はどちらかと言うと「デザインする」仕事をやりたかったので、
「スタイリスト事務所に移って勉強したい」とわがままを言い、Oさんも私の想いを理解してくれ、送り出してくれた。
タレント事務所にいきなり電話するような、こんなド素人の私を拾ってくれたOさんには、時々思い出しては感謝をしている。
で、わたしは再び、無職に。
はい、またしてもこの時点で、次の行き先は決まっていません。
※良い子のみんなはマネしない
Oさんの事務所にいる間に、他のスタイリストの先生とも知り合ったけど、どこもアシスタントの空きがなくて声がかかるのを待ちつつ、
私は本屋へ行って「コマーシャル・フォト」を買ってきた。
この雑誌にはコマーシャルの製作に関わったスタッフの名前があり、求人も載っているので、そこで募集されているスタイリスト事務所へ電話して、面接にいった。
西麻布へ。
その事務所には先生と、先生の元で数年間アシスタントを努めてから独り立ちした、先輩スタイリストが数名所属していた。
私はこちらで、先生のアシスタントとして働かせて貰えることになったのね〜
先生のアシスタントは既に2名がいて、新人の私は3番手。先輩アシスタントに仕事の色々を教えてもらうことからスタート!
仕事は主にファッション雑誌、それも表紙や巻頭ページ。先生は大御所の部類に入る大ベテランで、毎日のように撮影が入っていた。
スタイリストの仕事は撮影当日だけでなく、その前後にも仕事があるのよ。撮影日より前に衣装や小道具を借りて、撮影日は現場へ。そして撮影の翌日には借りたものを返却する。
だから毎日撮影があるということは、今日は撮影があるけど昨日撮影分の返却もあるし、明日の分の貸し出しも同時に動く、っていうこと。
なので、売れているスタイリストになる程、アシスタントが3人とか4人とか、必要なんですね〜〜
とにかく、忙しかった。撮影はたいてい朝早いから、早朝出勤。撮影自体は昼頃に終わるけど、午後は返却、貸し出し、それから翌日撮影分のアイロンがけなどの準備がある。
それに加えて撮影用の小道具製作。例えば看板や飾りの箱、テーブルクロスやカーテンなど、ページテーマに合わせて作ることもある。
それらを同時進行しつつ、アシスタントのうち2人は先生と現場へ。残りの1人が、返却と貸し出し。
このようにアシスタントの中でも役割分担をしながら、日々動くわけ。常に先の撮影の事を、しかも複数の撮影のことをやはり同時進行で頭の中で考える。
休みは週1あったけど、気づくと3ヶ月で2日しか休んでいなかったり、忙しい時はほんとに休みなんかなかった。
それでも!!仕事はとても楽しかった。
私は気が付かないし、気が利かないので、先生や先輩にはご迷惑もかけたし、恥ずかしい思いも沢山したけど、
先生には可愛がっていただき、本屋で携わった表紙を見るたび、充実感で満たされた。
普通、◯◯さんのセンスが好きだからとか、◯◯さんのスタイリングのファンで・・・とかって、好きな先生のアシスタントにつくんだけど、
思えば私はコマーシャルフォトの求人でたまたま見つけた事務所に入った次第。でもこれが当たりでね、先生が作るページは本当に素敵だった。
アシスタント時代
厳しいながらも楽しく、忙しく、充実した日々を送りながら・・・あれ?と気づいた。
この事務所、ファッション誌やカタログ、広告の仕事が多くて、オリジナルで洋服作ってない「借りた服をスタイリングする」仕事ばかり。
私、デザインして1から衣装を作る仕事がしたかったんだ、、よね?
出た。行動力があるのはいいんだが、要はあまり考えていないわたし、、
いつもノリと感覚でロケットダッシュするので、こういうことが起きるのであるΣ(´∀`||;)
それを先生に正直に話した!!
すると「分かった」と(先生は男性)
そして、こうも言ってくれた。
「分かった。ではまずどの人の作品が好きなのか、調べなさい。それから次の事務所が決まるまで、ここにいなさい」と。
そう、また私がアホで無駄な動きをしないように、ちゃんと「自分の好き」「目標とあってる」ところを調べてから動きなさいって、仕向けてくれた。
まあ私は間違いとか無駄な動きが人生全般に多いのだけど、でも無駄なことって1つもなかったよ。全部なんかしらんけど、他のところで活きるんだよね。
いやーほんとセンセー!ありがとうございますー!今度こそしっかりやりまーーす♡って感じで、調査開始。
してようやく私は!!前から好きだなーと見ていたCMの衣装を手掛けているスタッフを調べ(こういう時にコマーシャルフォトを使う)
その先生が他にも手掛けている舞台衣装を見て、ああ、やっぱり好きだ、、と思ったところで、手紙を出した!!←また
そして、もう着いたであろう頃に電話を入れた!!←また
そしたらお返事はこうだった。
「現在アシスタントは間に合っている。でも一度会いにきますか?」
わっはーい!!決まったー!!
と、どうしても思ってしまう私←アホ
そして今所属している事務所の先生に事の流れを話し、面接に行った。
今度は、渋谷。
アシスタントは間に合ってる、と言われた割には・・・
採用された( ̄▽ ̄)
してここでもアシスタント3番手からのスタート。
けどね、同じスタイリスト事務所と言っても仕事内容はまるで違い
(ちゃんと前の事務所の先生に言われて「調べて」選んだから)
西麻布では雑誌がメインで撮影も毎日のようにあったけど、渋谷ではCMや舞台が中心なので、撮影は時々で、時間もゆっくりと流れていた。
アシスタント同士で打ち合わせして、さあすぐに出動するか!と思ったら、
「じゃあまずお昼食べようか」と言ってファミレスに行く。
西麻布の時はゆっくり食べる時間もなく、駅のホームで板チョコをかじる、みたいな感じだったから、この違いにはほんと驚いた。
それまで分刻みで動いてきたから、その変化に戸惑いつつも、もう私にはアシスタントの下地があったから、前のコネも活かしつつ、仕事にはすぐに慣れていった。
現場はCMなので、テレビに近い。ていうか、テレビ(笑)
格闘家のSさん、タレントのOさん時代が蘇って、懐かしい。お休みも週2になって、遊ぶ時間もできた。
西麻布ではアシスタント同士が休みの日に出かけるなんて無かったけど、渋谷では休日に遊んだりした、それくらいに、余裕がうまれた。
仕事はこれまた、楽しかった。渋谷の先生は(女性)ご自身も時々メディア出演するくらいの有名な人で、そういうの分からん私でも、一緒にいるとなんか凄いパワーを感じた。
感性も、知識も、生み出す作品もとても素晴らしく、尊敬した。
私はここへ来てようやく、正しい道の上に乗っかったんだーーー!!!と感じられる環境に身を置くことが出来た。
ここまで遠回りした。スタイリストになりたい!と言ってから、
なぜか永田町へランし、
なぜかタレントの個人事務所に所属し、
やっとスタイリスト事務所に所属したかと思ったら、
仕事内容が目的ちがい。
沢山の経験をすることができ、これら全てが私の武器となり、財産となったのは確かな事実。
遠回りしたことで、アシスタントの中では3番手なのに年齢は一番上、ということになってしまったけどね。そんなのどうだっていい。
ここで学べば、私はCMに自分でデザインした作品を使ってもらえる日が来るだろう!と、信じていた。
もうどこにも行かないつもりだった。ノリと感覚だけでぴょろぴょろ動いてきた私がやっと、HOMEを見つけたのだよ。
でもね。
私って定住させてもらえない星に生まれたんだろうか。
それはある日・・・突然だった。
長いから一旦切る。つづきます。
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それじゃあまたね!!ばいばい!!
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