【第8話:結婚、育児、そして香港へ】人生を180度変えた黒幕の正体
こんにちは。
ブログ歴13年、香港のオレンジゴミ箱が大好きなASAKOです。
この連載で、夫の駐在に帯同して香港で生活した6年間で、人生が180度変わってしまい、絶対ムリと思えるようなことも全て叶えてきたことについてを書いてきましたが、
その人生を180度変えた『黒幕の存在』
それを暴いていくために、学生時代から社会人時代に、私がどんな風に動いてきたかを書いてきました。
なんとなく生きづらさを抱えてる人へ、私の経験から何か伝えられることがあるんじゃないか。私が書きたい理由はただこれだけ。
ぜひ最後までお読みいただけたら嬉しいです。
なんのことかさっぱり分からない方は、まずはこちらからお読みいただければと思います↓
1つ前の記事はこちら↓
そして私は、6年間の遠距離恋愛を経て結婚。
夫となった人とは東京で知り合ったんですが、出会ってから半年で彼は海外留学へ行ってしまい、
はい帰国したと思ったら、山形県にある会社に就職した。でも私は東京。
正直、ウソでしょー!と思ったよ、東京で就職すると思ってたし、私も好きで東京にいたから離れるつもりはなかったし、帰国してからも遠距離かーーってね。
それで遠距離恋愛が6年になってしまい・・・20代終わりが近づくと、外野がざわつくよね。麻子ちゃんは結婚しないの?って。
紹介もしてくれようとしたから、面倒だった。付き合ってる人いるし。
かといって私もそれほど結婚がしたいという感じでもなくて、30歳過ぎてから、私もようやく山形へ行く決意をしたってワケ。
毎冬しもやけが酷くて、南国で暮らすのが夢だった私が、雪国での暮らし。夫以外、誰も知ってる人がいない土地。
山形へ越してからは、なんだかのんびりしちゃって、製作活動はしなかった。露出としては仙台で1回展示とテレビに1回出たのと、山形のテレビに2回出たくらい。
テレビの話は東京に居た頃にも、いくつか頂てたんだけど、人前に出るのがめっちゃ嫌だったので、全部断ってきたんだけど、
地方なら目立たないだろうと思って、こっそり出たんだよね。
↑仙台の東北電力グリーンプラザ
↑山形のさくらんぼテレビ
まあでもこれも、過去に作り溜めた作品があったからこそ、お話をいただけたということ。
上の写真に映ってるけど、山形へ行って4年目の時に、出産。息子が1名おります。
私は器用なタイプだと思ってたけど、器用なのは手先だけで子育てと製作の両立が出来ず、息子が2歳の時に実は、ネクタイ作家を一度辞めております。
両方共中途半端になるのが、嫌だったんだよね。それで子育てに専念。それもあって山形での生活は、殆どが子育てだった。
けど環境の良いところで子育てが思い切りできたのは、良かったよね。本当に一生懸命にやってきたと言い切れる。
私はいつも、何事にも、全力投球だね、やりすぎなくらい 笑
そして息子が6歳の時に、私たちは香港へ。
東京から山形へ越した時と決定的に違う点が『今回は子供がいること』
自分のことだけでなく、子供が新しい環境に慣れること、これにも気を配る事になり、少ししんどい時期が続いた。
このネタは20年後に書くわ 笑
そんなこんなで私の香港時代、ここへ話が繋がるのです。
↓
ココまでの自己紹介で散々、私の行動力を見せつけておいてなんなんだけど、ほんとは私、人付き合いが超苦手で、
物心ついた頃から劣等感の塊で、ずっとずっと、自分に自信がなくて、いつも何かに怯えてた。
コンプレックスのない人なんていない、と分かっているけど、私的には「私、学歴コンプレックスなの」とか「一重まぶたなのがコンプレックスで」とかって人に言えるものは、
コンプレックスのうちに入らない、なんて本気で思ってた(みんな同じように悩んでいるのに酷いよね、って今なら分かるよ)
だから私は「コンプレックスがある」こと自体を隠し、人に悟られないようにと自ら前へ、前へと出ることによって、
さも自信がある人みたいに、悩んでなんかいない風に、振る舞ってきたわけ。だからね、本当の自分はぜんぜん違うのに、表向きは必死になって演じてきたワケなので、
それがいつかバレるんじゃないかと、怯えていたんだろうね。心だって苦しくなるよ。それがずっとなんとなく抱えてきた、生きづらさの原因だったんだと思う。
自分を大きくみせようと偽って、もがいてきたんだから。
そんなんだから私はいつも、どこかイライラしていて、不満げで、周りはぜんぶ敵だと思っていて、人のことを応援なんかできるわけがなくて、ずっと苦しかった。
つらかった。
そんな自分をなんとかしようと、めっちゃ行動して、結果も出してきた。それなのに心がラクになれない。自分を認めることができない!
こんなにやっているのに?!こんなに必死に、一生懸命やっているのに?!自分のことを認めてやれない、自分が大っきらい!!!!!
大っきらいな自分のことを『自分』として生きていくことが、どれだけ辛いことか。
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そんな時に、アレです。44歳のときに「マインドのことが学べる」と思って当時流行っていた起業塾に「間違って」入った。
ビジネスやるにもマインドの「土台」を整えることは大切だからね、そこの部分に私は吸い寄せられたんだと思う。
でも実際は起業塾なので、ビジネスとは真逆の世界で生きている「アート脳」の私はみんなの言っていることがさっぱり分からず、完全なるアウェイ状態。
私も私で脳みそお花畑なトンチンカンなことばかり発言するから、塾の先生からもコテンパンに野焼きされて、
私は酷く、凹んだ。
でも私は真面目なもんだから、周りについていこうと必死で、私なりに一生懸命に勉強して、仲間とのコミュニケーションも必死に取ろうとして、
・・・今まで自分にウソをついてきたのに、そこへ更に得意ではない大量の真新しい情報をぶち込んでいったから、免疫力は下がってたかもね。
人生初のインフルエンザにかかった。熱にうなされながらも、塾で置いていかれるのが不安で頭から離れなかった。やらなきゃ、やらなきゃ、やらなきゃって。
して熱も下がり、さあ遅れを取り戻さなきゃ!!と立ち上がろうとした時、、、なんかおかしい。
私は急に不安で仕方がなくなり、出勤する夫を前に少しパニくった。それは家に1人残されてから、急激に加速していき、
つぎの瞬間、完全に、ハマった。
強い不安感、動機めまい、激しい頭痛。立っていることも出来ず、横になる。横になっても、天井がぐるぐる廻る。
絶望的、辛い、食欲ゼロ、すぐ疲れる、急に涙が出る、とにかく悲しい。眠れない、イライラしなくなる、人の事も自分の事もどうでもよくなる、子供を叱らなくなる、興味がない、化粧をしなくなる、TVを見たくない、本も読みたくない、音も聴きたくない、人に会いたくない、人が怖い・・・
私、今度は人生初のウツになった。愛想笑いもできなくて、人と会っても
無表情、だったと思う。
そんな私を心配して、友達が誘ってくれたんだけど、申し訳ないけど、それも悩みのタネになった。
家から出たくなかった。誰にも会いたくなかった。気が遣えなかった。
まさか、自分がウツになるとは。結局ね、向いてないことを必死になってやってたから、無理をしてたんだよね。
いよいよほんとうの私が、悲鳴をあげた。
周りに合わせようと、無理にムリを重ねていたところ、インフルになり、強制的に行動にSTOPがかかり、完全停止した時、
今まで堪えてきたものが一気にぜんぶガラガラっと、崩れ落ちたんだ。
そして悪いことは重なるもんで、そんな状態の時に学校の集まりに出ねばならず、息子の学校の仕事を一緒にした人から、アホらしい裏切りを受けてね。
更に落ちていった。
人生、底だった。
消えたかった。
その時、息子の母親であるなんて理性は働かず、とにかく、消えてしまいたかった。。
香港の高層マンションの一室から、嫌な連想を何度もかき消した。
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人には、得手不得手がある。どうしたって、苦手なものがある。
それを無理やり出来るようになろうと本当の自分にウソをつき続けていると、人は・・・壊れてしまうんだね。
そもそも私は本当の自分も隠してウソをつき続けてきた土台があったワケなので、起業塾のそれはトドメでしかなかった。
でも、でもね、今だから言える。
表向きは、起業塾。でもこれが体験できて、本当に良かった。
子供の頃からフタをしてきたことを、死ぬまで見ないふりしようとしてた事を、ひょんな偶然からではあったものの、
表に引きずり出すことができた。
目の当たりにして、怖かった。痛かった。でもそれにも少しずつじょじょに、慣れていった。
すると今度は、あんなに一人でひた隠しにしてきたそれを、結婚13年目にして夫に話すという偉業を果たすことができ、私は果敢にも、この問題に立ち向かう。
ウツが回復してきたころ、私の苦しみの正体はなんなのか探りだした、その時にたどり着いたのが、
「身体醜形障害」
衝撃だった。色んな感情が出入りしたけど、少しだけ、嬉しかったのを覚えてる。
わけの分からない苦しみの正体が、分かったのだ。
当たり前のようにして共に生きてきた、得体の知れない苦しみに、そもそも『正体』なるものがあるだなんて、そんなこと知りもしなかったけど、
棚ぼた的に突き止めたのだった。
しかしこの黒幕、いつからどうして、どうやって、私の中にやってきて、そのまま住みつくことになったの?
そもそもこれってなんなの?
ここまで長い自己紹介?を読んでいただき、ありがとうございました。
この黒幕が暴かれたことにより、ここから少しずつ、私の中での癒やしが巻き起こるワケです。
そうして私の人生は、ここから180度変わっていったワケです。
自分の人生に、いま心から満足をしている私が経験してきた癒やしと克服の記録を、過去の私のような人に届くといいなと願って、公開していきます。
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それじゃあまたね!!ばいばい!!
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