偽りの達成感
冒険家の皆さん、今日もラクダに揺られて灼熱の砂漠を横断していますか?
さて今日は語学学習アプリの Duolingo と LLN(Netflix で日本語を外国語を勉強するChrome の拡張機能)の二つをやってみて考えたことを書いてみたいと思います。
【Duolingo】
まず最初に Duolingo について話します。このアプリで日本語を勉強している人が1200万人ぐらいいます。国際交流基金の海外日本語教育機関調査の日本語学習者の数が350万人ぐらいですから、世界中の学校の先生が力を合わせて教えている学習者の数の3倍以上もの学習者をたった一つのアプリが教えていることになります。
そしてこれにはやっぱり理由があると思います。僕自身もヒンディー語をこのアプリで勉強してみたのですが、学習を継続するための仕組みが色々あります。
一つは、リーグ制であることです。毎日ちゃんと勉強をしていくと、EXP と呼ばれる経験値を獲得することができ、経験値の多さで順位が付けられ、そのリーグの上位10人ぐらいが一つ上のリーグに昇格することができるのです。もちろん勉強しなかった人は上のリーグから下のリーグに落ちていきます。このような制度があるので、僕も一番上のダイヤモンドリーグに到達した時は大きな達成感がありました。
もう一つの学習を継続するための大きな仕組みは、学習者のフォーラムです。しかもそのフォーラムが一つ一つの例文に紐付けられているのです。例えば一つの意味がよくわからない例文に出会ったとしましょう。そうするとそのページから直接その例文専用の掲示板に行くことができるのです。一般的な学習者フォーラムでは自分で例文をコピペしてこの意味が分からないなどと説明しなければなりませんが、このアプリの場合はそれぞれの例文ごとに掲示板があるのでそうした手間が全く必要ないのです。。そして多くの場合、自分が質問しようと思っていたことはすでに他の誰かが質問しているので、すぐに答えを見つけることができます。もし質問がなかったとしたら、もちろん自分で質問をすることもできますし、コメントがついたらそれがメールで通知されます。
同じコンテンツを何度も勉強するような仕組みも非常に優れています。例えば最初は選択肢の中から選ぶだけだった問題が2周も3周もするとキーボードで入力しなければいけなくなります。例文自体は変わらないのですが、それに対する回答の方法がだんだん難しくなってくるわけです。
おかげで僕も同じコンテンツを5周することができました。もう5周で終わりだと思っていたのですが、実は5周すると次はレジェンダリーレベルという新しいレベルがあることもあって、いま最初の方を6周目で回っているところです。
【LLNと併用して気づいたこと】
さて、このアプリで英語のコンテンツを4周してから、僕はLLN(Netflix のコンテンツで語学を勉強するためのGoogle Chrome の拡張機能)を入れてそれで勉強を始めました。つまり Duolinngo で5周目をしていた時は、Netflix の映画で勉強するのと並行して続けていたことになります。
Netflix のコンテンツでは、さすがにネイティブ用なので Duolingo に出てこないたくさんの新しい表現を知ることができました。順番としてもやっぱり Duolingo の後でネイティブ用のコンテンツを使って勉強するというのは非常に良かったと思っていました。
しかし Netflix とこの Duolingo の両方で勉強をしていると、驚くようなことが次々と起き始めました。
「Duolingoの方では出てこなかったけど Netflix で初めて覚えたとても重要な表現」だと僕が思っていたものが、Duolingo の方のコンテンツにも入っていたのです。
つまり僕には Duolingo の方で4周過ぎてもまだ自分がそれを習ったことすら覚えてないようなものがたくさんあったのです。しかもそれが Netflix のようなコンテンツの中ではすぐに覚えることができたのです。
おそらくこれには理由があると思います。
Duolingo の方では人物名が四人ほど出てくるのですが、例文によってその人物が大人だったり子供だったり、時には猫だったりもします。それはそれで楽しいと思っていたのですが、それは要するにキャラが立っていないということでもあります。ですので当然、どうしてその人物がそのような行動をとるのかなどの情報も全くありません。その人物がどのような顔なのか、どのような性格なのかも全く分かりません。
また、学習の方法としては英語が与えられて、それと同じ意味になるようにヒンディー語の単語を並べ替えたりします。基本的には文型練習と同じです。文を言語的に操作する練習があるだけで、その意味などを考える必要はほとんどありません。
一方で Netflix で語学を勉強する時は、よほどの脇役の台詞でもない限り、そこには何らかの意図があります。どのような人物がどのような場面でどのような意図を持って一つ一つの台詞を言うのかが分かるのです。
そしてもちろん映像や効果音なども含まれています。
このような違いが Duolingo で勉強する時とコンテンツで勉強する時の間にはあるのではないかと思います。
そしてとても恐ろしいことに、 Duolingo で勉強する時にはとても大きな達成感があったのです。Netflix で勉強する時はこれは元々コンテンツを楽しみながら勉強をしているので、それほど達成感があるわけではありません。
しかし実際には大きな達成感を得た方の Duolingo ではあまり身についていないどころか、実はそれを勉強したという認識すらないようなこともある一方で、Netflix で勉強した方が非常に効果的に覚えることができるのです。
【第二言語習得理論の実験から】
そして思い出したのが、何ヶ月か前に日本語教師ブッククラブの本として選ばれた小柳かおる先生の『第二言語習得について日本語教師が知っておくべきこと』です。この本でも似たようなことが書かれていました。この実験自体は既に1990年代には行われていたので、もう20年以上も前のことになりますが、改めてここでも紹介しておきたいと思います。
この実験では統制群も合わせると、全部で以下の四つのグループがありました。
一つ目のグループは文型練習をするグループです。
二つ目のグループはインプットで日本語を学ぶグループです。ただ日本語を見たり聞いたりするだけではなくて、その後で絵を選ぶというタスクがありました。しかし言語としてアウトプットする練習はしなかったわけです。
三つ目のグループはインプットもアウトプットも両方するグループでした。
そしてもう一つ、こうした授業は受けずにテストだけ受ける統制群(コントロールグループ)もありました。
さて、授業の効果ですが、こうした授業をした直後では授業を受けた三つのグループはどれも同じような結果だったそうです。
しかし1ヶ月後に同じテストをしてみると、文型練習をしていたグループは、授業を受けずにテストだけを受けたコントロールグループと同じ点数まで落ちてしまったのです。つまり文型練習の授業は受けても受けなくても同じだったわけですね。一方でインプット中心だったグループと、インプットとアウトプットの両方をしたグループも授業直後と同じレベルを維持していたそうです。まさに第2言語習得の理論通りですよね。
これについて著者の小柳先生は以下のように書いています。
「ドリル群の学習者は、たくさん声を出して練習したという実感があったようで、実験のあとでそうコメントした学生もいました。でも実際には機械的なドリルをたくさんやっても、自発的に発話できるほどには習ったことが残っていなかったということです」
ここで述べられている「練習したという実感」というのは、僕がアプリで勉強したときの達成感と全く同じものだと思います。
しかし問題は達成感があったかどうかではないのです。言うまでもありませんが、言語習得がきちんと進んだかどうか、それが大事なのです。実際には言語習得が進んでいないのに、このような達成感だけ感じてしまうことは、非常に大きな弊害があります。
弊害の一つはもちろん実際に言語が習得できないという問題ですが、それより大きな本当に深刻な問題が、「言語習得が進んでいない」という事実を見えなくしてしまうことではないかと思っています。
繰り返しますが、授業をしたあとに達成感があったかどうかは重要ではありません。どれだけ口を動かしてがんばったとしても、それが自分と関係のないミラーさんなどの例文で、空欄に適切な言葉を入れるような言語操作のみの練習では意味がないのです。
大切なのは言語習得が進むかどうか。それを基準に授業の良し悪しを考えましょう。
そして冒険は続く。
【参考資料】
Duolingo
https://www.duolingo.com/
Language Learning with Netflix
https://languagelearningwithnetflix.com/
第二言語習得について日本語教師が知っておくべきこと
https://amzn.to/3k2ZZdO
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