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影響力の武器

冒険家の皆さん、今日もラクダに揺られて灼熱の砂漠を横断していますか?

先日、ロバートチャルディーニという人の影響力の武器という本を読みました。
僕は最近までこの人の名前をあまり聞いたことがなかったのですが、「弁護士はみんな読んでいる」と『いい質問が人を動かす』に書いてあったので、この本を買ってみようと思いました。実はそのすぐ前にも「ファクトフルネス」か「仕事に追われない仕事術」にも書いてあったように思います。2冊続けてこの人の名前を見かけたので、おそらく社会心理学の世界ではかなり有名な人なのでしょう。

Kindle では2673円で、1398個の評価がついており、評価の平均は5点中の4.4となっています。これだけ多くの評価がついていてこの点数ということは、かなり評価は高いと言っていいのではないでしょうか。

今日のこの記事では日本語教師としてこの本をどう応用するかということを念頭にご紹介してみたいと思います。

まず、この本では社会心理学上の人間の影響力として以下の6つが取り上げられています。

返報性
一貫性
社会的証明
好意
権威
希少性

以下にそれぞれについて簡単にご紹介してみたいと思います。

1【返報性】
これは端的に言うと「人は恩返ししたくなる」ということです。
日本語教師の現場で考えると、「先生が自分のために色々やってくれたから、自分もその恩に報いるためにきちんと勉強していい人にならなければいけない」と思ったりするようなことですね。

これについて僕が考えたのは、自律性を重視する教員よりも、手取り足取り教えたがる教師の方がこの面では学習者に対する影響力は強いのではないかということです。

というのも自律性を重視する教員というのは、自分では学習者に情報を与えたりしないで、学習者が自分で情報を得ることができるような環境を作ったりすることに注意を払うわけです。僕も簡単に調べられるようなことを質問された時は、「それを調べるための辞書を持っていますか」などと聞き返したりすることがあります。こういう教師よりも、学習者はすぐにでも教えてくれる教室の方に恩を感じる可能性が高いのではないかと思います。その場合は返報性の面からは、自律性を重視する教師はあまり影響力が大きくないと考えることができるかもしれません。

また、この返報性を応用した一つの方法として、「拒否されたら譲歩する」というやり方があるそうです。これは例えば、コースの始まりに「明日からこのコースが終わるまでの期間の学習計画を1分きざみで毎日ぶん、明日までに作ってきてください」などとわざと大変な課題を押し付けておいて、「そんなの無理です」と言われたら、「じゃあ一週間ごとの学習計画でいいですから必ず作ってきてください」などというわけですね。この場合、最初に「1週間ごとの学習計画を作ってきてください」と同じことを言うよりも、その課題をやってくる率が高まるということが予想されます。というのも、相手の依頼を拒否したことで借りがあるように感じてしまい、この返報性が発動して教師の強い影響力を受けてしまうわけです。

その時に、「私も時間をかけて皆さんの詳しい学習計画を見るのは大変なんですけど、これは必ず皆さんの役に立つから教師が見ておくべきだと私は思っているんです」などと恩着せがましく言っておくと、更にこの返報性が発動して教師の影響力が強くなるのかもしれません(^^)。

【2【一貫性】】
次は一貫性です。これは「最初に自分が言ってしまったことと一貫性のないことを言うのには抵抗を感じてしまう」という人間の心理を応用したテクニックです。本にはこのように書いてあります。
「コミットメント(つまり、自分の意見を言ったり、立場を明確にしたりすること)をしてしまうと、人はそのコミットメントに合致した要求を受け入れやすくなる。」
これを考えると、 ここの部分は一斉授業で手取り足取り教える教師よりも自律性を重視する教師の方に優位性がありそうです。
というのも、一斉授業の場合は普段は学校や先生がコースデザインをしますよね。しかし自律学習の場合は以下のような質問に答えてもらうことによってコミットメントを引き出すことができます。

「どうして日本語を勉強したいんですか?」
「そのためにはどんな努力が必要だと思いますか?」
「明日から実際にできそうなことはありますか?」

一方的に教師から「これをやってください」と言われた場合は、一貫性は発動しないので、サボってもあまり心理的な抵抗はないと思いますが、このように質問されて自分から言ってしまった学習計画なら、 教師から「それじゃあ村上さん、昨日言っていた成果物ができたら私に見せてくださいね」などと言われても拒否できなくなってしまうわけです。

【3【社会的証明】】
3番目は社会的証明です。これは端的に言ってしまうと、「みんなやっているよ」というと、自分もやらなきゃと思ってしまうことです。個人的にはこれは日本人特有の心理かと思っていましたが、実はそうでもなく普遍的に人間社会の間に存在するもののようで、ちょっと安心しました。

これを日本語学習の 現場で応用するとすると、例えば先ほどの学習計画を作るというような課題を出した後で、まだ提出者の数が少ない場合はその人数は共有しないで、例えば半数を超えたら、「もう13人の人がこの課題を提出していますよ」などということがプレッシャーになって、学習者に「自分も学習計画を提出しなければ」と思わせることになるわけです。

この社会的証明には、類似性が加わるとさらに影響力の方がが強くなるということも実証されているようです。例えば授業では「優秀な学生がもうすでに課題を提出した」ということを言っても一般的な学習者にはあまり効果がないと思うのですが、自分と同じぐらいかあるいは自分より優秀ではないと思っている同級生がその課題をもう提出したと聞いたら、「それじゃあ自分ももう提出しないといけないな」と思わせることができるわけです。

類似性についてもう一つ思い出すのは、やはり日本語を母語としない教師の役割です。日本人はもともと日本語のネイティブですから日本人の先生が日本語を上手に喋れるのは当たり前で、その点、例えばインドで日本語を教える学校ではインド人の先生が流暢に日本語を喋っているのを見ると、自分だって勉強しなければと思うようになるのではないでしょうか。

【4【好意を持っていること】】
4番目の影響力の武器は相手に好意を持たせるということです。
この本では以下のように書いています。

1.人は自分が好意を感じている知人に対してイエスと言う傾向がある。
2.全体的な好意に影響する要因の一つとして、その人の身体的魅力があげられる。
3.好意と承諾に影響する第二の要因は類似性である。
4.人や事物と接触を繰り返し、馴染みをもつようになることも、たいていの場合は、好意を促進する一つの要因となる。この関係は主に、不快な環境ではなく、快適な環境のなかで接触が起こる場合に当てはまる。

2番目は身も蓋もない話なのですが、要するに外見のいい人の影響力は強いということです。この本では以下のように書かれています。

「ペンシルバニア州で行われた研究では、刑事裁判が開始される前に、七十四人の男性被告の身体的魅力を評価しておきました。そして、後で研究者がこれらの裁判の判決記録を調べたところ、ハンサムな男性の方が、ずっと軽い判決を言い渡されていることがわかりました。実際、外見的に魅力のある被告で刑務所に入れられたのは、そうでない被告の半数しかいませんでした」

これは日本語教師の現場で考えると、まあ、先生が整形手術をしたりする人もいるかも知れませんが、それより、スピーチコンテストなどの公平な審査にかなり影響を与えている可能性を考えなければいけないと思います。スピーチコンテストの時に審査員が出場者の顔を見たりしないで審査できるようになれば、より一層公平な審査が期待できるでしょう。しかし実際にはアイコンタクトや身振り手振りなどの非言語的コミュニケーションも審査基準に入っていることがあってなかなか難しいかもしれません。オンラインでこうしたスピーチコンテストなどが行われる場合は、出場者が全員同じアバターを使ったりするのも一つの方法かもしれませんね。

これについては「やりすぎ」と思う人もいるかもしれませんが、審査員は出場者の外見に影響を受けているということを自覚していないので、こうしたことはもう少し真剣に考慮して見る必要があるのではないかと僕は思っています。

もっと日常的な日本語教師の仕事に関して言うと、作文などの評価に関しても同じような事は言えるのではないかと思います。その課題の提出者の名前を隠してから採点して、その後で名前を確認して採点表に記入するような方法が望ましいかもしれませんね。

もちろん身だしなみも注意した方が良いとは思いますが、オンラインで日本語を教える場合はそれ以前にライティングなどに気をつけることによって影響力を向上させることもできるかもしれません。

【5 【権威】】
影響力の5つ目の武器は「権威」です。要するに偉い人の話はよく聞いてもらえるということですね。この本で非常に面白いと思ったのは以下の部分です。

「権威者に対して自動的に反応する場合、その実体にではなく権威の単なるシンボルに反応してしまう傾向がある。この点に関して、効果のあることが実験で明らかにされている三種類のシンボルは、肩書き、服装、自動車である。」

これはアメリカで調査された研究なので自動車が入っていますが、日本語教師の場合はあまり関係ないかもしれませんね。教育関係者の場合、むしろ非常に効果があると僕が思ったのは出版物です。僕自身も2007年ぐらいからアルクの「月刊日本語」という雑誌で連載を始め、それとは別に2008年に教科書を単著として出版したのですが、それ以降非常に他の人に意見を聞いてもらいやすくなったという感覚があります。

幸いなことに今では Kindle で簡単に自費出版できるようになりました。もちろん自費出版と商業出版ではその価値は全く違うのですが、まとまった意見や考えを一つの出版物にできる能力があるという意味で、自費出版もできない人よりは大きな違いがあるということを学習者に認識させることはできるのではないかと思います。 また自費出版と商業出版の価値の違いがよくわかってない学習者に対してはさらに大きな影響力を持つことができるのではないかと思います。

【6.【希少性】】
6番目の影響力の武器は希少性です。この本では以下のように書かれています。
「1.希少性の原理によれば、人は、機会を失いかけると、その機会をより価値あるものとみなす。この原理を利益のために利用する技術として、「数量限定」や「最終期限」といった承諾誘導の戦術があげられる。」
「4.希少性の原理は、商品の価値の問題だけではなく、情報の評価のされ方にも適用できる。研究の示すところによると、ある情報へのアクセスが制限されると、人は、それを手に入れたくなり、また、それに賛同するようになる。」

よく自律性を重視した教え方の一つとして、宿題をやるかどうかを学習者自身に決めさせるという方法があります。それでだいたい学習者の半分しか宿題プリントをやらないということが分かっている場合、その宿題を印刷する数を学習者全員の枚数ではなく半分ぐらいにしてみるのはどうでしょうか。

この本によると、他の参加者と競い合うことによってさらにこの希少性の影響力は強くなるとされています。したがって枚数が少なくなってきた時には、これまで学習プリントを持って帰らなかった学習者も、その機会を逃すのがもったいなくなって宿題プリントを持って帰るようになる可能性があります。

そして、もし仮に宿題プリントが足りなくなってしまったら、「じゃあ今からプリントしてくるから、必ずやってね」というわけです。そうすると最初にご紹介した返報性によって、宿題プリントを入手できなかった自分のために先生がわざわざコピーしてくれたという恩を着せることができ、さらに必ずやると言わせることによって一貫性という影響力の武器を使うことができるわけです。

このように複合的に影響力の武器を使うことによって、学習者の学習動機を高めることができるというのが、この本を選んだ僕の印象です。

これは詐欺師にとっては非常に役に立つ技術書だと思いますが、こういう能力は悪い人ではなく真っ当な側の人間こそが正しく使うべきだと思います。そのためにもこの本を皆さんにも強くお勧めしたいと思います。

そして冒険は続く。

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【参考資料】
影響力の武器[第三版] なぜ、人は動かされるのか Kindle版
https://amzn.to/3MZGsIr

この記事の音声版(若干内容は違います)
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