計画性とか評価とか必要でしょうか
冒険家の皆さん、今日もラクダに揺られて灼熱の砂漠を横断していますか?
ホームスクーリングの世界では計画性や評価というものが重要視されていないことについて、懸念を感じる方もいらっしゃるようです。今日の記事ではこの二つについて書いてみたいと思います。
【計画性】
学校の授業では、義務教育の6年間の計画が全て事前に作られています。
ホームスクーリングでもそういうスタイルをとる人もいますが、自分の関心に導かれて無計画に勉強する人もいます。というより無計画に遊んで、 気が付いたら結構いろんなことができるようになっていたというわけです。
結果的に同じようなことが学べるのに、どうして学校とホームスクーリングではこんなに違うのでしょうか。
このような違いがある理由の一つに、リソースが少なかった時代には計画性が非常に重要だったという事情があります。リソースを準備するのにも時間がかかりましたから、あらかじめいつ何をするのかを決めておいて、それに間に合うようにリソースを準備しなければいけませんでした。また本などの印刷物はお金がかかりますから、必要かどうか分からないものを無制限に使うわけにはいきません。そのためにはいくつかのリソースの中でどれが一番いいかを調べて、選ばなければなりません。
しかし、これは何度も言うようにリソースが少なかった時代の発想です。もちろん物理学の実験に使う粒子加速器などを準備するのにはお金も時間もかかりますから、そういう状況なら計画性は今でも重要でしょう。しかし語学を勉強したり、義務教育程度の内容を学ぶだけでしたら、リソースを準備するのには全く時間はかかりません。 Google で検索すれば1秒もかからずに大量のリソースを見つけることができます。
それを選ぶのが大変だと思う人がいるかもしれませんが、そんなことはありません。選ぶ必要などないのです。なぜならそれらのほとんどが無料だからです。適当に目についたものを使ってみて、 役に立つと思えばそのまま使えばいいし、役に立たないと思ったら2番目のものを使えばいいのです。
つまり計画性などいらないのです。
リソースが少なかった時代の発想で計画性を重視し、綿密な学習計画などを作っていては、多忙な現代人の貴重な時間がどんどんなくなっていってしまいます。それを考えれば、情報収集や計画の段階はあまり時間をかけずに、どんどん実際の学びに入っていくのがいいのです。最悪なのは、立派な計画ばかり作って実際の学びを始めない人です。
つまり、教育の流れで言うと、詳しくニーズやレディネスを分析して、それに基づいてコースをデザインするよりも、手当たり次第に勉強を始めてしまった方がいいのです。
【評価も必要ない】
ちなみに伝統的な評価も必要ありません。それに時間をかけるのなら自分の好きなことをもっともっと貪欲に勉強していた方がいいでしょう。
例えば、落ちこぼれている学習者って、試験で悪い点を取らなければ自分が落ちこぼれていることに気づかないのでしょうか。逆に、浮きこぼれと言われる学習者はテストで百点を取らないと、自分がクラスのほかの人より理解度が深いと認識できないのでしょうか。「そんなこと分かってるよー。つまんねー授業だなー」とは思わないのでしょうか。
つまり、評価というのは学びの段階で同時に進んでいるのです。そしてそれは常に自覚されています。
例えば多読のことを考えてみましょう。多読の四つのルールの中に「進まなくなったらやめる」「途中で違う本に変えてもいい」というのがあります。ページが進まなくなったり、他の本を読みたいと思ったら、それが自分のレベルに合っていないという評価なのです。つまり、読解力の試験など受けなくても、評価なんてできるのです。大量に読む時間を削ってまで、読んだ本の理解度を評価するような授業があったら、それは多読ではありません。第二言語習得の研究からも良質なインプットを減らすことになるので、言語習得の障害になってしまうと言えるでしょう。
もちろん、それを他の人に証明するためにはテストなどは必要です。また、コミュニティの力を応用して勉強し合う場では、自分のためというよりも他の人と共有して他の人の学びを助けるために、自分の学びを振り返ることは有益だと思います。しかし自律的に自分のためにだけ勉強する人が、自分の学びを評価するためにわざわざ振り返りの時間を用意する必要はないと思います。その典型的な例がホームスクーリングです。
評価は必要ですが、それは学びの段階で同時に進んでいくので、特に時間を取る必要はないのです。
つまり、計画も評価も今までの伝統的な方法ではしなくていいのです。好奇心の赴くまま、学びたいものを何でも貪欲に吸収していきましょう。それが21世紀の学び方なのではないかと思います。
もちろん、こうした学びの方法は、硬直した学校教育で今すぐできるかと言うと、なかなか難しいものがあります。しかし、ホームスクーリングなら簡単です。というより、むしろホームスクーリングでは何か特別な事情でもない限り、子供が自分の関心を通して社会を知っていく方が自然なのではないかと思っています。
また、ホームスクーリングを実施している家庭などでは、こうした教育方法に関して「これでいいのだろうか」と悩んでしまうこともあるかもしれませんが、今日ここに書いたように、21世紀にはそんな心配はまったく必要ないのだということに留意していただければと思います。
人間の学びというのは本来、多様で無秩序なものなのです。無秩序なものを定量的に評価しようなどという試みに時間をかけることよりも、一歩でも前に進むことを優先したいと僕は思っています。
そして冒険は続く。
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【参考資料】
むらログ: 宝箱システム 多様性の中の評価
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