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「脳から直接考えを読み取るデバイス」が我々人間の脳に埋め込まれたその後の世界を考える -Neuralinkの衝撃から数日明けて-

Neuralinkの野心的取り組み

 まずは、以下の記事を読んで欲しい。

 以上の記事で報告されている通り、我々人類の叡智は、昨今急速に技術が進歩してきている機械学習技術や脳神経科学、脳神経外科手術などの応用により、サル(マカクザル)の頭脳に「脳から直接考えを読み取るデバイス」であるNeuralinkデバイスのインプラントを埋め込み外部のハードウェアで脳の神経活動を受信してコンピューターを彼の思念のみで操作できるような技術水準にまで到達した。

 この事実はとてもセンセーショナルでショッキングだ。なぜなら、Neuralinkはこの技術を将来的に我々の人体に活用すべく、イーロン・マスクが率いた新興企業だからだ。その目的は「ブレイン・マシン・インターフェイスを頭に埋め込み、記憶障害、難聴、抑うつ、不眠、依存症、脳卒中、麻痺、発作など、様々な神経疾患を解決する」こと、つまり現段階では神経疾患などの病気や障害に悩む患者への救済である。だが、同様の技術は20年以上前からIBM、現在はFacebookなどの名だたる企業が、現在も研究開発競争を激化させていることからも推察される通り、やはり彼らの最終的な目的はブレイン・マシン・インターフェイスによる我々人間の思念とコンピューターの直接的な接続からの、それに付随した社会インフラの整備によるイノベーションであろう。まさしく、攻殻機動隊に代表されるようなSFでしばしばテーマになる電脳の世界観だ。今回はそのような社会が実現したその後の世界を考える。


電脳インフラ社会は意外に便利で住み心地が良い?

 ここからは精一杯の想像力を発揮して考えてみて欲しい。まずは、電脳インフラがどのようにして整備されるかを予想してみよう。

 Neuralinkは現在「神経疾患などの病気や障害に悩む患者への救済」を目的としてブレイン・マシン・インターフェースの開発に取り組んでいることは先程申し上げた通り。その上で、いつそれが一般的な健常者にも普及するかだ。それは、ブレイン・マシン・インターフェースをインプラントした人の社会的パフォーマンスが一般的な健常者を凌駕し、嫉妬した大衆の世論により規制緩和が進むことがスタートラインだと考えている。

 ブレイン・マシン・インターフェースは外部ハードウェアを介して、考えたり思ったりする思念のみでコンピューターを操作でき記憶や思考や動作などの補助やバックアップが可能とする。更に言えば、その外部ハードウェアが機械学習されることにより、思念を具体的に想像するよりも早く、直感的だったり無意識的だったりの時点で、半ば自動的に様々なタスクをこなせる可能性がある。そうなれば、学業や仕事など、様々な社会的パフォーマンスはブレイン・マシン・インターフェースをインプラントしない人を大きく凌駕することだろう。それが規制当局への規制緩和を促す世論を形成すると思われる。

 そして、ブレイン・マシン・インターフェースが社会インフラ化すると、様々な電脳ネットワーク用のサービスが誕生する。例えば、まずは現代でも存在する様々なインターネットへの接続とサービスの提供、つまるところ、Amazonのようなネット通販サイトの思念のみによる利用や、Googleの検索エンジンの思念による利用、FacebookやTwitterのようなSNSの思念による利用など。また精神的健康の24時間監視とブレイン・マシン・インターフェースを介したストレス作用の緩和サービス、警察機関等の直接的な記憶介入による捜査、ロボット操作の電脳化による一次産業や二次産業の遠隔化マルチタスク化、他にも知的作業の高速化や自動化サービスは異次元の発展を遂げるだろう。それと共に、人類の文明の発達は更に加速していく。

 ここまでの考察を読めば、読者の中にはユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』を思い浮かべた方も多いだろうと思う。

 大局的な歴史は、ホモ・デウスにあるように進むかもしれないと、私も同様に考えている。つまりは、ホモ・デウスになる人々、ブレイン・マシン・インターフェースをインプラントする外科手術の恩恵に預かれる富裕層と、それにありつけない貧困層との格差の拡大と紛争問題の発生が危ぶまれるかもしれない。

 だが、私はユヴァル・ノア・ハラリよりは楽観的に考えている。なぜなら、最初に頭脳へ侵襲的だったブレイン・マシン・インターフェースは、技術の発達と共に非侵襲的、つまり着脱可能な外部機器へと進化を遂げるだろうと考えているからだ。そして、その外部機器も、現代のスマートフォンのように価格が安定し、多くの大衆がその恩恵に預かれる、列記とした社会インフラへと成長すると考えている。すなわち、ブレイン・マシン・インターフェース技術は、我々の生物的な人間性と併存可能だということだ。

 そして、ブレイン・マシン・インターフェースをインプラントした人には公的な市民的優遇措置が取られることも考えられる。なぜなら、オンラインで常に思考や記憶を外部から監視されることを意味しているからだ。その公的機関へのプライバシー権利の放棄と引き換えに、様々な公的特権が与えられることも想定できる。つまり、人々はブレイン・マシン・インターフェースをインプラントし善良な市民としての認知と権利を得るか、着脱可能なブレイン・マシン・インターフェースによって認知的プライバシーの自由の権利を得るかの二者択一を迫られることとなるだろう。

 そのような世界では、最初はブレイン・マシン・インターフェースの内部化と外部化の激しい論争や紛争が予想されるが、次第にブレイン・マシン・インターフェースは全て外部化への流れを辿るだろうと思う。それはやはりコストとリスクの課題があるからだ。内部化には外科手術が必須であり、その時点でコストもリスクも高く、また外部に自己を完全にコントロールされるリスクも高い。喩えそれが公的機関であっても、果たして正常に独立した一人の個人だと言えるだろうか。内部化には、このような倫理的課題もあるのだ。


ブレイン・マシン・インターフェースへの倫理的懸念

 現段階では、下記の記事にある通り、この技術には様々な倫理問題が指摘されている。

認知心理学者・倫理学者であり、コネチカット大学のスーザン・シュナイダー(Susan Schneider)准教授は「AIを人間の脳に埋め込むことは人々が考える能力、そして人間自体を殺しかねない」と強い懸念を示した。

シュナイダー氏は以下のような例をあげて説明している。

「例えば、生まれてすぐにこのAIデバイスを頭に埋め込んだとする。デバイスがあなたの考えていることや行動を逐一チェックし、モニタリングしたとしたら、大人になった時にはきっと完璧に脳のバックアップを保持でき、まったく同じ考えや行動ができるようになるだろう。そこで脳を取り出し、このデバイスを頭に埋め込んだ時、本当の“あなた”はいったいどっちになるのだろう?」

 このペースであれば、少なくとも後数年でブレイン・マシン・インターフェースの臨床利用は実現するだろう。だからこそ、真剣に、我々はこの問題と向き合わねばならない。

 まず、シュナイダー氏の指摘について、神経科学的知見も交えて以下のような反論ができる。

 我々人間の脳神経は、過去の経験に基づく記憶を蓄積し、不必要な記憶は数多く忘却していることが知られている。そして脳神経には、各々の経験に基づく表象や動作を形成するための因子が抽象的な記憶の素となり、多くの脳領域に偏在していおり、ここでのブレイン・マシン・インターフェースによる外部ハードウェアとの記憶の送受信があったとしても、各々の記憶の素を励起させて複雑な表象を形成するのを補助しているだけにしかならないだろう。そのため、どれだけブレイン・マシン・インターフェースの技術が発達しても、記憶の素のレイヤーでは無から有は生み出せず、せいぜい記憶の保持や想起を補助する外部機器としての位置付けにしかならないと考えられる。したがって、ブレイン・マシン・インターフェースの実現による自己同一性が倫理的に侵害される恐れは低いと私は考えている。

 つまり、ブレイン・マシン・インターフェースは、個人の頭脳の内部と外部で明確に区別された記憶を送受信するのではなく、元々在った記憶の素に作用して様々な表象や動作を形成しているだけであるということ。だからこそ、先程の倫理的懸念には反論できたとしても、もっと大きく根源的で直接的な問題が指摘できてしまう。

 例えば、これだ。仮にブレイン・マシン・インターフェースがインフラ化した社会では、ブレイン・マシン・インターフェースとオンラインネットワーク上で接続された外部ハードウェアへのハッキングなどで、個人の記憶情報が不当に取得されたり、また悪意ある神経情報を送信されることによる直接的なマインド・コントロールが可能となるだろう。これに関しては、その後の世界であってもセキュリティのクオリティとハッカーのクオリティとのいたちごっこにしかならないのは容易に想像できる。そうなると、犯罪や紛争に関する責任や刑罰の法哲学的な視座が大きく変化することは避けられない。その場合に、現在の各国の法体系を根本から刷新せねばならないような倫理的問題が幾つも考えられることだろう。それと共に、ハッキングへのリスクヘッジとして、ブレイン・マシン・インターフェースの外部ネットワークのサーバーやコントロールサービスの多角化も必須であると考えていて、それに準じた社会制度やインフラの構築が進むことだろう。

 いずれにしても、ブレイン・マシン・インターフェースによる倫理的課題は、社会そのものが変容することで対応が図られるだろうと思う。


最後に

 以上のように、一歩道を誤ればディストピア世界に突入してしまうような危うさを秘めながらも、我々人類の文明の発展に大きな礎を築くと期待されるブレイン・マシン・インターフェース技術についてを簡単に論じてきた。

 とは言え、現段階ではまだ臨床利用にも達しておらず、まだ動物実験の段階である。この技術の行く末は、今回私が予想した通りになるかもしれないし、全く違った道筋を辿るかもしれない。我々はこの時代に生きて、この技術の行く末を見守れるというワクワクする現実に大いに感謝すべきだろうと思う。