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自分探しは不幸探し(365日スクリーン三昧003)

自分が誰なのかわからなくても、自分が存在することだけは確かだ。
確かなのはそれだけ。「私は在る」。
でもそれだけでは何となく落ち着けなくなって、「自分は誰なのか?」、「何のために存在しているのか?」などと、自分探しをはじめたりする。
でも、これはただの不幸探し。
なぜなら「自分は何なのか?」を探すということは、自分を「何か」のなかに探すということだから。
自分が「何者か」を探すためには、自分は「何者か」にならなければならない。
「何者か」になるにはどうすればいい?
自分は「何者か」だと、「自分はAだ」「自分はBだ」と自分で認めればいい?
いや、それは無理だ。
それは単に自分でそう思っているにすぎない。
自分が「何者か」になるためには、他人に自分が「何者か」であることを認めてもらわなくちゃならない。
まあ、それは無理だ。誰も自分のことで手が一杯で、あなたが誰であるかなどに興味がない。
あなたが誰であるかは、あなたが発見するしかない。
自分が絶対の確信をもって知っていること。(-_-;)
それは自分が存在するということだけ。
あなたは親に言われたから、本に書いてあったから、自分は存在すると言っているわけではないだろう。
あなたは自分で自分が存在していることを知っている。
誰の許可も要らない。
誰に相談する必要もない。
「私は在る」。
すべては、そのあなたによりかかって、あなたの許可を得て、存在しているのだ。
それだけで満足したらいい。

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