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帯に短し襷に長しって話

 考え方も中身も10代や20代の頃とさほど変わっていない。今より若い頃の諦めみたいな落ち着きを年齢がすっかり追い越して、痛いアラフォー手前独女(恋人なし)への急勾配を今一歩踏み出し始めて足の裏が地面につく少し前に多分私はいる。

結婚願望はないが、結婚の選択肢はある。と、最近思う。私は信頼している人と同じ空間で1人で好きなことをしたい。四六時中草木や動物に話しかけたりしないでしょう。そうやって暮らしたい、1人は寂しい。1人で好きなことはするけどなんかいるながいたらいいと思う。何かも1人で好きなことをして私になんかいるなとマイナスにではなく思ってもらえたら一番理想的だよな。
大体恋人や猫がいたし、ここ1年は友人といた。

私が大丈夫でも相手が大丈夫じゃない、や、その逆もある、基本そういうのだ。奇跡的にそこまで途切れることなく心身を寄せられる相手や猫が側にいてくれてこの歳になった。で、今また1人だ。歳を重ねるごとに元々重かった腰は膝に石臼乗せられてるみたいに微動だにしなくなり、新たに人に出会うことが心底億劫でたまらない。表向きの人間関係の構築は敵を作らず上手くやれる方だが、性格上、使える器が浅いので工数が膨大な量になってしまう。心構えと勢いをつけずに人と出会っていけるタイプの人間は本当にすごいと思う。私にはできない。
とは言え、価値観が似ていたりお互いがいいと思える環境を作れる相手が自分を見つけてくれるまで待つなんて宝くじを買っていないのに宝くじ当たんねえかなと言ってるようなものだ。でも別に結婚したいわけじゃないから婚活も違う。共依存でなく共存できるパートナーがいたらもう私は私はもう

とかなんとか1円にもならんことを考えてたら煙草も切れた、本当何かするには短すぎるし、1人で生きるには長すぎるな人生

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