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【歌詞翻訳・考察】Si l'on pouvait vraiment parler(1974)【フランス・ギャル】


※多分に推測を含む内容となっているので、ご了承の上お読みいただくことをお勧めします。



①概要

 
 前回に続きミシェル・ベルジェ作詞作曲の初シングル"La déclaration d’amour"(愛の告白)から、B面曲"Si l'on pouvait vraiment parler"(もし本当に話せるのなら)を取り上げたいと思います。

 こちらはシングルB面曲として発売されたものの、その後長年にわたってアルバムに収録されたりCDとして再発売されることはなく、フランスでは2004年発売のベスト盤"Évidemment"(エヴィダマン)でようやく聴けるようになったそうです。日本ではこの"Évidemment""La déclaration d’amour"のシングルも出ていないはずなので、おそらく日本未発売の曲かと思われます。2023年現在ではサブスク、YouTube等で聴くことができます。

 音源です

 こちらはシングル発売時収録の映像。ベルジェがピアノ伴奏で一緒に出演しています。

 
 このマイナーな曲を取り上げたいと思った理由ですが、個人的にはこの曲が「フランス・ギャルが自らのアイドル時代について否定気味に語る歌」とも取れる内容であると感じ、非常に気になって仕方ないからです。いろいろ関連情報を調べたのですが、ギャルによる「ミシェルが私の立場に立って書いた初めての曲」というコメントしか出てきませんでした。(A面曲が「ベルジェからギャルへの愛を歌った曲」であるため。解説は前の記事をご覧ください)ただ、これがベルジェを通して書かれた、ギャルの「自伝」的な内容の歌詞であることはおそらく間違いないと思います。「出会った頃ミシェルは私のことを何も知らなかったはずなのに、彼は曲の中で私の人生について語り始めたのよ」等と、ギャルは後に語っています。


②歌詞翻訳

 先に歌詞を載せます。太字の部分にも注目いただければと思います。

Si l'on pouvait vraiment parler

Si l'on pouvait vraiment parler
Je te décrirais mes poupées
Qui ne sont plus que des chiffons
Et je me souviens de leur nom
Et les secrets qu'elles racontaient

もし本当に話せるのなら
私の人形について説明するのに
それらはただのぼろ切れだった
私はその人形達の名前を覚えているわ
そしてそれらが語った秘密も

Si l'on pouvait vraiment parler
Je te décrirais la maison
Où mon père m'a embrassée
Peut-être plus que de raison
Si l'on pouvait vraiment parler

Si l'on pouvait vraiment parler
Si l'on pouvait vraiment parler

もし本当に話せるのなら
あの家について説明するのに
そこはパパが私にキスした場所
多分必要以上に
もし本当に話せるのなら

もし本当に話せるのなら…

Si l'on pouvait vraiment parler
Je te parlerais des miroirs
Qui renvoyaient mes cheveux blonds
Qui me faisait m'apercevoir
De ce que voulaient les garçons

もし本当に話せるのなら
鏡についても話すのに
それは私のブロンドの髪を映した
そしてそれは私に見せたの
男の子たちの欲望を

Si l'on pouvait vraiment parler
Je te dirais comment je l'ai rencontré
Comment j'ai changé de famille
Tout en restant petite fille
Au fond rien n'a vraiment changé

Si l'on pouvait vraiment parler
Si l'on pouvait vraiment parler

もし本当に話せるのなら
どうやって「彼」と出会ったのか言うのに
どうやって私が家族を変えたのか
小さな少女のままで
そして本当は何も変わっていなかったことも

もし本当に話せるのなら…

Si l'on pouvait vraiment parler
Je te dirais que je n'ai jamais pleuré
Sauf quand je suis très énervée
Et qu'il ne sait pas dire qu'il m'aime
Ce n'serais pas un vrai problème

もし本当に話せるのなら
「私が決して泣かなかった」ということを話すのに
余程怒っている時以外には
そして「彼」が「愛してる」と言ってくれなかったとき以外は
それは本当の問題にはならないけれど

Si l'on pouvait vraiment parler
Je dirais que la vie s'est elle-même chargée
De me fabriquer un bonheur
Dont je ne sais pas profiter
Et que mes rêves me font peur

Si l'on pouvait vraiment parler
Si l'on pouvait vraiment parler

もし本当に話せるのなら
「人生そのものが私に幸せを作り出してくれた」ということを話すのに
その幸せを享受する方法を私は知らないけれど
そして私の夢は私を怖がらせるけれど

もし本当に話せるのなら…

Et je te demanderais de m'emmener
De tout comprendre sans me parler

そしてあなたにお願いするの
「私を連れ出して」と
「話さなくても全てをわかって」と


③解説・考察


 聞いた感じはごくシンプルなピアノ伴奏のバラード曲ですが、実はものすごく含みのある歌詞だと思います。

 太字の単語に関してですが、これはギャルのアイドル時代を代表する曲、"Poupée de cire, poupée de son”(夢見るシャンソン人形)に使われている単語です。最初からタイトルにもなっている"poupée"(人形)に言及するあたり、偶然ではなく意図的なものを感じるのは私だけでしょうか…。

※"Poupée de cire, poupée de son”の歌詞はこちらをご覧いただくとわかりやすいです。


 結局「本当に話せるのなら…」と繰り返すその具体的な内容については最後まで語られず、終始曖昧な言葉を繰り返す歌詞となっています。文法的にもすべて英語でいうところの「仮定法過去」のような形を取っていることから、「実際には決して話すことはできない」というニュアンスです。私には「ギャルがアイドル時代に味わったさまざまな経験」「本当は話したいんだけど話せないの」と淡々と語っているように聴こえるのです。

 また、1番の"Je te décrirais la maison ~Peut-être plus que de raison”あたりのくだりに関して、「これは近親相姦のことでは?ギャルはその被害者?」といったコメントがYouTube等で散見されます。が、個人的には「この曖昧な表現に終始している歌詞の中でそこだけ直接的な表現をするだろうか?」と疑問に思います。

 ギャルの父親(作詞家のロベール・ギャル)は娘を溺愛しており、「子ども時代は幸せで溢れていた」と彼女も証言しています。「ギャルが父親から虐待を受けていた」とはちょっと考えにくいのです。

 個人的にはこのくだりは"Les sucettes"(アニーとボンボン)など卑猥な歌詞の曲をそうとは知らず歌わされ、作られた「ロリータ」のイメージの型にはめられていた、ギャルのアイドル時代を暗喩しているのではないかと思います。"mon père"はギャルの父その人ではなく「周りの大人」の象徴かもしれません。それこそゲンスブールのような…。(ロベールもそれに間接的に加担していた、とも言えなくもないですが)

 "Les sucettes"の真実を知った際、ギャルは人間不信に陥り、しばらく引きこもってしまったとか。あまり気持ちのいい話ではないので、有名な"Les sucettes"騒動に関してはこのnoteで書くつもりはありません。興味のある方は調べてみてください。

「ブロンド」「男の子」が出てくるあたりはそのまま「夢見るシャンソン人形」だと思います。ちなみにギャルの地毛は茶色で、デビュー後の1964年頃にブロンドに染めるようになっています。

 2番から出てくる「彼」に関してはちょっと確証がないです。もしかしたらギャルがアイドル時代に交際していた元カレで歌手の「クロード・フランソワ」や「ジュリアン・クレール」のことを指しているのかもしれないと思いますが…。どちらかというと前者のような気がします。

 そして最後の「幸せ」は他ならぬベルジェと出会い、歌手として新たな一歩を踏み出したことを指しているのではないでしょうか。まだその幸せに戸惑いを覚えている、という段階のようですが、その後のギャルの躍進を考えると、このレアでマイナーな曲が非常に意味のあるものではないかと私は感じます。


④余談

 74年の「復活」以降のギャルは、この曲においてだけでなく、あらゆる場面で「アイドル時代」を否定する売り方をしていたようです。過去の持ち歌も74年10月にクロード・フランソワ(例の元カレ)と共演したTV番組で披露してからは、基本的に歌いませんでした。

 こちらがその時の映像のようですが、ため息をつくなど、物凄く嫌そうに、半ばヤケクソで歌っているように見えます。"Laisse tomber les filles"(娘たちに構わないで)"Un jour, c'est toi qu'on laissera"(いつか見捨てられるのはあなたの方よ)のところでクロードを「アンタのことだよ!」とばかりに指さしているのが何ともいえないです。クロード・フランソワとギャルに関しては興味深いエピソードが沢山ありますので、別途記事を描きたいと思います。

 確かにアイドル時代のギャルは、「アイドル(偶像)」の言葉通り、完全に「作られたお人形」だったのかもしれません。「10代の少女に毒気のある歌詞や性的な暗喩を含む歌詞を歌わせる」という当時の売り方は、今考えると相当な大問題です(日本で言うなら秋◯康とおニャン子◯ラブのもっと酷い版といった感じでしょうか…)。そして勿論、「復活」以降のギャルこそが本来の彼女の実力を発揮しているのだとも感じます。とはいえ、たとえ作り物だったとしても、アイドル時代はアイドル時代で別の魅力があるのは事実であり、本国フランスでも「アイドル」のギャルの方を好むファンも少なからず存在するようです。個人的にはどちらのギャルも好きですし、アイドル時代があったからこそ、後のステージシンガーとしての活躍がより輝いて見えるように思えます。

 次回はギャルの「復活」を成功させ、のちに夫となった人物Michel Berger(ミシェル・ベルジェ)について簡単に紹介したいと思います。


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