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ひとまわり~1人目(後編)~

きっかけ

Nさんが独立してから6年が経っていたある日、当時の職場でバリスタの大会の話題になりました。私が元バリスタだということは部署内で周知されていましたが、バリスタの頃の繋がりの話などは、その話題になるまで詳しくは話していませんでした。話す必要もないと思っていたからです。

大会の話の中で、昔の大会の話になりました。「12年位前の予選会とか、凄い緊張感の中で行われていましたよね。」と話すと上司から、「よく知っているね、予選出ていたの?」と聞かれたので「まさか、〇〇さんの応援に行った事があったのです。」と答えたのをきっかけに、当時の繋がりの話に発展しました。その上司は、コーヒー業界に長く携わり、人脈も広いこともあり、私の繋がりにすぐ反応しました。

「そんな昔のバリスタ達と繋がっていたとは、お見逸れしました。」そう上司が行ったあと、Nさんと独立前から8年ほど会っていない事を話すと「お店行っていないの?じゃあ、一緒に行こうよ。」と誘ってくれました。「是非、でも多分、私の事は忘れていますよ(笑)」と話し、Nさんのお店に行く日をその場で決めました。

一言だけの再会

Nさんのお店に行く当日、内心は穏やかではありませんでした。仕事中も時間が迫るにつれ、ザワザワ心が落ち着きません。「万が一、覚えられていたら...、どこから話そう。」余計な想像が過ります。

勤務終了後、上司に声をかけられNさんのお店に行きました。夕食前のひと呼吸おける時間ともあり、店内は賑わっていました。上司は慣れた様子で迷わずカウンター席に立ち、私も緊張しながら隣に立ちました。上司とずっと繋がりのあるNさんは、「こんにちは」と声をかけたあと、上司と大会の話を始めました。

話がひと段落したころ、「この子今一緒に働いているんだ、元バリスタでね。覚えている?」と私のことをNさんに話しました。「覚えていますよ、勿論」と、私と目を合わせ伝えてきました。私も「ご無沙汰しています。」と一言だけ話した後、Nさんは再び上司と話し始めました。その時の私には、その一言を言うので精一杯でした。それ程、昔の印象が強く残っていたのと、何よりNさんの立ち居振る舞いが、当時と変わっていなかったのです。

店を出た後、私の中では不完全燃焼なモヤモヤが残っていました。「忘れていないなら、どこまで覚えているのか確かめたい」その思いが強くなり、次は一人で行こう、そう決めました。

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二度目のあの言葉

一人でNさんのお店に行ったのは、それから半年以上経ち、コロナによる制限が緩和された頃でした。お店に入るとフロアにいたNさんから「お一人様ですか?」と声をかけられ、カウンター席に案内されます。

メニューを出して頂き、Nさんから説明され、スイーツとマッキァートを注文しました。程なくして、もう一人のバリスタさんが作ってくれたマッキァートとスイーツを食し始めた矢先、洗い物をしながらNさんが話かけてきました。「今も変わらずですか?」

その一言を聞いた瞬間、一気に全身が硬直しました。食べていたスイーツも、やっとのことで飲み込み、「え?...」と反応すると、「先日は〇〇(上司の名)さんと来ていたでしょう?」と。お店には半年以上行かず、その時の会話もたった一言。それなのに、誰と来ていたかまではっきり言われた瞬間、頭が真っ白になり、どこまで覚えていますかと聞ける状態ではなくなってしまいました。数秒黙った後、「今は退職して、違う事を始めました」と、今の状況を話し、「へぇ、そうなんですね。」と会話はそこで終わり、硬直して締まった喉でなんとか食べ終えた後、店を後にしました。

店を出て数十メートル程歩いた瞬間、一気に深呼吸しました。「緊張した、あの言葉がまた出た。そうだった、Nさんは一度見た顔を忘れない人だった。」フラッシュバックの様な感覚で、昔同じ言葉を言われた時を思い出しました。それと同時に、またもや確認出来なかったことにモヤモヤが残り、「次は、絶対。」と心に決めたのでした。

実行

再びお店に行ったのは、それから1ヶ月程たった頃でした。「今度は、絶対確認する。」そう決めていた私のカバンには『バールノート』が入っていました。

お店に入り、いつも通りメニューを見て注文します。お店はランチタイムが終わったばかりの時間帯とあり、比較的落ち着いていました。少しずつ、注文したドリンクを飲みながら、Nさんに話しかけるタイミングを見計らっていた時に、Nさんが話しかけてきてくれました。

「今だ。」そう思った私は、話終わって直ぐに「Nさん、12年前にお会いしていた事とか覚えていますか?」そう聞くと、「え?12年前に…?ごめんなさい、そこは覚えてないです。」と返答がありました。そのタイミングで、私はバールノートを出しました。「実は当時、バールノートを付けていて、Nさんのも記録していたんです。あれからもう12年経ちましたが…。」そう言いながらNさんのページを見せると「うわぁ…懐かしい。」と、他のページも見ながら少しだけでしたが、当時の話が出来ました。

店を出た私は、数十メートル歩いた瞬間、また一気に深呼吸しました。前回とは違う、やり切ったという安堵からの深呼吸でした。当時の存在は忘れられていたけど、そんな寂しさはほんの一瞬で、当時の様な雑談が出来たことが何よりも嬉しかったのです。「これで、他の人にも会いに行ける。」そう向かわせてもらえた、最初の大切な「ひとまわり」の存在でした。




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