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あの頃の外語祭が好きだった

多分5年ぶりくらいに外語祭へ行った。外語祭は東京外国語大学の大学祭で、世界中の料理と専攻語による劇(通称語劇)を楽しめるのが売りだ。初めて訪れたのは高校2年生のときで、母校との出会いでもあった。

結論から言うと、久しぶりに訪れた外語祭で、規制が文化を物足りないものにしてしまうのを感じてしまった。

先ほども書いたが、外語祭は世界中の料理を楽しめる料理店が最も人気だ。語劇にも力を入れているが、ほぼ内輪かその言語に興味ある人を中心に盛り上がっている。言語や外国に興味がない人も集まってくるのはやはり料理店である。
料理店は1年生が中心になって運営している。専攻地域の料理を実際に自分で作ってみて食文化を学びつつ、これまでラオスとかマレーシアとか縁がなかった人たちに紹介するのだ。味わい、現地の人と同じ目線で作り、売ることで、教科書を読んでいるだけでは分からない異文化を体験することができる。
私が入学したころは26の専攻語があり、それぞれの語科がみな料理店を出していた。のちに中央アジア、アフリカ、オセアニア、ベンガルが増えて今では30の専攻地域の料理が味わえる、なかなか類を見ない特色ある大学祭となった。

料理店の魅力は、やはりこれだけ多くの国、地域の料理を一度にたくさん味わえることだろう。外語祭で出ている料理のほとんどは都内のエスニック料理屋で食べられる。イラン料理で調べてみたところ都内だけでも10軒以上ある。30ある料理店の料理はすべて都内にも存在したし、なんなら外語祭で出てこないような国の料理もたくさんある。ルーマニア、クロアチア、ブルガリア、ギリシャ、イスラエル、ブータン、スリランカなど。余談だがスリランカ料理は現在首都圏で急速に数が増えている。
話が逸れてしまったが、一方で「マレーシアのナシゴレン、ペルシャのキャバーブ(ケバブ)を食べながらチェコのビールを飲み、デザートにトルコのバクラヴァ、アラビアのコーヒーを味わい、締めにラオスの麵料理に挑戦してみる」のような楽しみ方は外語祭でしかできない。私の好きな外語祭はまさにこういうものだった。高校2年のころから通い続け、内外の友人に自分のおすすめ料理を紹介し、時に恋人とデートで使ったり。外大に入学して実際に料理店をやってみると大変なことだらけだった。仲良かったはずの語科の人間関係にひびが入るほど。精神的に参ってしまい一時期不登校になったこともあったが、それでも外語祭は好きで、翌年には友人と外語祭を回った。そのまた次の年も。途中でアルコールパスポートなるシステムが導入されて一日で飲めるお酒が5杯までに制限されたが、それでも料理店は魅力あふれるものだった。朝から晩まで世界中の料理を食べたり飲んだり、次の日は中東系語科ケバブ料理食べ比べツアーなど趣向を変えてみたり。5日連続で来場しても飽きない。そしてどの日も終わる頃にはお腹がいっぱいで世界旅行をしてきたような気分になったものだ。

私が卒業したあたりから外語祭は変わってしまった。保健所の介入が強くなり、まずお米と麺料理を提供することができなくなってしまったのだ。マレーシアやインドネシアの名物料理であるナシゴレンやミーゴレン、ポルトガルのタコのリゾット、ペルシャのキャバーブについてくる塩気のあるライス、有志で出してる模擬店のビリヤニ、あげていくとキリがない。お米と麺が禁止となると多くの料理店で提供できない料理が続出することになる。
先日久しぶりに出身語科であるマレーシア語専攻の料理店に足を運んだが、メニューは「アヤムゴレン(鶏の唐揚げ)とペットボトルのマンゴージュース」のみになってしまった。料理が一品と飲み物が1種類のみ。
私のころはナシゴレン、ロティチャナイとカレー、野菜のかき揚げ、バナナの揚げドーナツ、マレーシアの紅茶、マンゴージュースを提供していた。特に野菜のかき揚げがビールと相性よくて色んな人にぜひビールと一緒に食べてくれと売り込んだ。バナナの揚げドーナツも美味しいスナックだ。ナシゴレンはネイティブ秘伝の代々受け継がれているレシピがあった。その辺のマレーシア料理屋のナシゴレンにも負けないだろう。
それが今では料理が一品と飲み物が1種類のみ。マレーシア語科だけでなく多くの料理店がそのような状況になっていた。ポーランド語科はお酒も美味しかったのに販売をやめてしまっていた。いろんな料理が書かれたメニューを見て、これはどんな味がするのだろうと吟味する楽しみも失われてしまったようだ。なんせ選択肢がないのだ。
また、近年外語祭実行委員会の努力により外語祭の認知度が上がり来場者が増えた。客足が伸びることはいいのだが、これまであまり行列ができなかったマイナー言語の料理店ですら1時間以上並ぶのがデフォとなってしまった。お昼頃から食べ始めてせいぜい3〜4品しか食べられないし、それも麺類米類がない。どの料理店も種類が少ない。
行列に並ぶこと自体は構わないのだが、昔は待機列に軽食を売りにくる料理店も多かったから退屈しなかった。おそらくこれも規制でダメになってしまったのだろう。

料理店のクオリティ自体が下がったわけではない。全体として安全性を考慮した規制とやらが強まって、できることが少なくなり、満足度が下がったのだ。なぜこんなことになってしまったのだろう、もう二度とあの頃の外語祭の楽しみは味わえないのだろうかと寂しい気持ちになる。
保健所の介入が強まってしまったのは外大当局側の怠慢に問題があると思っている。学生の自主性とか、食文化の学習とかいった言葉で誤魔化して保健所対応なども学生に丸投げしてきたのだ。本来なら大人が矢面に立つべきところを外実や料理店責任者などに汚れ役を押し付けている。その結果が米や麺の提供禁止だろう。代々受け継がれてきたレシピが失われてしまった語科はマレーシア語専攻だけではなかったはずだ。東京外国語大学の特色ある教育として売りにしていながら、自らその文化を壊していったのだ。

怪我の功名か、提供できる料理や調理方法が制限されることで料理店提供者の負担は減ったようだ。相変わらず外語祭期間中は忙しいが、夜遅くまで仕込みをしてみたいなことはなくなったと聞く。過酷な労働環境は改善されるべきだった。だが多くの提供できる料理の選択肢を奪われる形での改善は本当に望ましいことなのだろうか。
外語祭の主役はあくまで現役生である。現役生にとって快適で楽しく、学びのある外語祭であるべきだ。過去を知らない人々からしたら今の外語祭が標準だし、制限された環境でも楽しみはあるだろう。
だが、現在の規制が続く限りは「マレーシアのナシゴレン、ペルシャのキャバーブ(ケバブ)を食べながらチェコのビールを飲み、デザートにトルコのバクラヴァ、アラビアのコーヒーを味わい、締めにラオスの麵料理に挑戦してみる」のような楽しみ方ができる外語祭は二度と戻ってこないように思える。外語祭も有名になり来場者が増えたが、年々普通の数ある大学祭のひとつとなり個性が失われているように見える。
キャンパスはまだ土地が余っている。円形広場に近い林をまるごと潰して料理店用の調理施設を作り、外語祭期間中は調理師を常駐させるくらいのことはしてもいいのではないだろうか。そうでもしないと外語祭らしさは失われるばかりだろう。アルコールパスポートが導入されたころ、某世界のビール研究会がこのような規制で自由が奪われていく、文化がつまらないものになると演説していた。曰く付きの団体だったのもありあまり真面目に聞いていなかったが、今思うと正しかったのかもしれない。

外語祭では小銭をたくさん用意して挑んでいた。今年はあまり多くの店を回ることができず、料理店もメニューが少なかったので昔ほどたくさん料理を購入することがなかった。1日を過ごしても小銭で重いままの財布が寂しかった。

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