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「未来の仕事」をつくることは、自分への栄養補給になる。

「いまの仕事」と「未来の仕事」。
この2つを常に持っている状態がいいと思う。

「いまの仕事」は文字通り、いま、現在行っている仕事のこと。緊急性も高く、重要度も高い。
責任も伴うし、緊張感もある。

「未来の仕事」は文字通り、「これからの仕事」。緊急性は低く、重要度は高い。
責任は取るつもりだし、緊張感はまだないかな(始まってないから)。

「いまの仕事」がなければ収入はゼロ、会社を経営することも暮らしていくこともできない。
もちろんそれだけでなく、具体的な未来に向けて進んでいるわけだから楽しみや喜びはたくさんあるし、結果も伴う。
ただ「いまの仕事」だけを懸命にやっていると、少し疲れる。
アウトプットしっぱなしだったり、摩擦の頻度が高かったりずっと走っている状態だから、摩耗してくるのは当たり前。
そんな時には栄養の補給が必要だし、インプットして補充することが大切だ。

「未来の仕事」をつくることは、自分への栄養補給になる。明日が楽しみになる。

きっかけになりそうな自分の中にある「種」を見つめてみて断片に切り分けて、それらがもつ要素に関連する本を読み漁ったり街を歩いたり映像見たり片っ端から調べ物をしてふむふむ言いながら、ああそういえばと思いついた人たちに連絡をして会いにいく。
「なんか最近こんなこと考えてるんだけど、こんなことってできないのかしら」
なんて会話から、じゃあこんな人紹介するよ、とか他のところでは例えばこんなことがあったとか、ちょっとずれるけどこんなこと考えてるんだ、とかとか、話したそばから「未来の仕事」の可能性の枝がどんどん分かれて増えていく。

最近の自分は、「仲間」を欲している。とても。
仲間はたくさんいるんだけど、ここでは「同志」としての仲間。
なんだかんだこれまでは、自分が最初から最後まで全ての責任をもつ形で最高の仲間たちに力を貸してもらってきた仕事がほとんどだった。
それも当然のように楽しいし、達成感もすごいんだけど、いま欲してるのは「ゼロ地点に一緒に立ってくれる仲間」だ。

そういえば今日、ふと話し込んでいて思ったんだけど「対面して話す」について、形式だけで捉えるならば、オンラインでもリアルでも変わらないはずなのに、どうして画面越しだと何も出てこないんだろう。
話す、聞く、表情見える、で言うならリアルと変わらないのにぜんぜん何も生まないのだ。

話す、聞く、表情見える。
僕らはこれだけで物事を感じ取ったり考えてないってことよなあ。
雰囲気、空気感、匂い、間合い、仕草、呼吸etc...
「リアル」がもつ莫大な情報量の多さに改めて気付かされるしリアルの有り難みも染み渡る。

話はコロコロと転がってしまってああ日記だなあと思うところだけど、「リアル」で「仲間」と出会い「未来の仕事」をつくっていきたい、というおはなしでした。

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