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定員表を読んでみよう (2) 戦艦長門型

「定員表を読んでみよう」の第2回は戦艦です。例として長門型をとりあげます。第1回「共通/巡洋艦利根型」は以下になります。


長門型定員表

 昭和12年4月23日多くの定員令別表(定員表)が改定されその中には長門型戦艦も含まれた。長門型戦艦について言えば、この定員表の規定は小改正を加えながらも基本的には終戦まで維持されることになる。「海軍制度沿革 巻10」760ページに掲載されている定員表と備考を下に掲げる。「海軍制度沿革」は国立国会図書館デジタルライブラリーで参照できる。定員表の員数欄は二列になっており、左が長門、右が陸奥である。

艦長 大佐 1 1
副長 中佐 1 1
航海長 中少佐 1 1
砲術長 中少佐 1 1
通信長兼分隊長 中少佐 1 1
運用長兼分隊長 中少佐 1 1
飛行長兼分隊長 少佐、大尉 1 1
副砲長兼分隊長 少佐、大尉 1 1
分隊長 少佐、大尉 10 10
乗組 兵科尉官 1 1
乗組 中少尉 12 12
機関長 機関中佐 1 1
工作長兼分隊長 機関少佐 1 1
分隊長 機関少佐、機関大尉 4 4
乗組 機関中少尉 5 5
軍医長兼分隊長 軍医中少佐 1 1
乗組 軍医少佐、軍医科尉官 2 2
主計長兼分隊長 主計中少佐 1 1
乗組 主計科尉官 1 1

乗組 特務中少尉 7 7
乗組 整備特務中少尉 1 1
乗組 機関特務中少尉 4 4
乗組 看護特務中少尉 1 1
乗組 主計特務中少尉 1 1

兵曹長 8 8
航空兵曹長 1 1
機関兵曹長 5 5
主計兵曹長 1 1

兵曹 201 201
航空兵曹 6 6
整備兵曹 5 5
機関兵曹 101 101
看護兵曹 3 3
主計兵曹 10 10

水兵 619 617
航空兵 9 9
整備兵 5 5
機関兵 237 237
看護兵 7 7
主計兵 35 35


士官 47 47
特務士官 14 14
准士官 15 15
下士官 326 326
兵 912 910

 総計は長門で1314名、陸奥は1312名である。水兵の定員が陸奥に比べて長門が2人多いが理由はよくわからない。同型艦といっても細部で相違点があったことがうかがわれる。
 士官は1314名中47名で比率にして3.6%、准士官以上でも76名で5.8%になる。利根型では総員869名のうちそれぞれ35名(4.0%)、59名(6.8%)で、巡洋艦と比べると絶対数は増えているが比率としては小さくなっている。

 以下は備考の記述である。

1.兵科分隊長の中七人は砲台長、一人は射撃幹部員、一人は測的指揮官、一人は見張指揮官兼航海長輔佐官に充つ
2.機関科分隊長の中一人は機械部、一人は罐部、一人は電機部、一人は補機部の各指揮官に充つ
3.必要に応じ軍医長たる兼務分隊長に代ふるに軍医少佐又は軍医大尉の専務分隊長を以てし乗組軍医科士官一人を減ずることを得主計長及乗組主計科尉官に付亦之に準ず
4.特務中少尉及兵曹長の中一人は掌砲長、一人は掌運用長、一人は信号長、一人は掌通信長、一人は操舵長、一人は見張長、一人は電信長、二人は主砲方位盤射手及同旋回手、一人は電路長、四人は砲塔長、一人は砲台部附に充て信号長、操舵長又は見張長の中一人は掌航海長を兼ねしむるものとす
5.機関特務中少尉及機関兵曹長の中一人は掌機長、二人は機械長、二人は罐長、一人は電機長、一人は補機長、一人は掌工作長、一人は工業長に充つ
6.飛行機(三座)搭載の場合に於ては一機に付一人の割合にて航空兵曹を増加するものとす
7.飛行機を搭載せざるときは飛行長兼分隊長、兵科尉官一人、整備特務中少尉、航空兵曹長、航空兵曹、整備兵曹、航空兵及整備兵を置かず(飛行機の一部を搭載せざるときは概ね其の数に比例し上掲の人員を置かざるものとす)但し航空科、整備科下士官及兵に限り其の合計員数の五分の一以内の人員を置くことを得
8.兵科分隊長(砲術)の中二人は特務大尉を以て、中少尉の中四人は特務中少尉又は兵曹長を以て、機関科分隊長の中一人は機関特務大尉を以て、機関中少尉の中二人は機関特務中少尉又は機関兵曹長を以て充つることを得

原文はカタカナ

長門型の科長

 艦長・副長は大型軍艦ではほぼ同一の規定になっている。ただし戦艦艦長は少将昇進を間近に控えた古参の大佐が補職されるのが通例である。

 科長クラスを抜き出してみると航海長、砲術長、通信長、運用長、飛行長、機関長、工作長、軍医長、主計長となる。副砲長は砲術長に属する。利根型巡洋艦と比較すると水雷長がなく、工作長が増えている。竣工時の長門型戦艦には魚雷発射管が装備されており、したがって水雷長の配置があった。大正期ごろまでは戦艦にも魚雷発射管が装備されているのが一般的だったが戦闘距離の延伸や速力増加などで戦艦が魚雷を装備する意義は薄まり、昭和に入るころには撤去されるようになる。こうした動向にともなって戦艦から水雷長という配置はなくなった。
 艦内工作を担当する工作科は利根型巡洋艦では機関長に属していたが長門型戦艦では独立した工作長を置いており、組織が大きくなっていることがうかがわれる。兵科としての工作科はかつては船匠科と呼ばれたが昭和のはじめに機関科に統合された。この時点(昭和12年)では艦内編制上の工作科員は兵科としては機関科(特務士官・准士官・下士官兵)に属した。この翌年(昭和13年)に兵科として工作科が新設されている。ただし船匠科・工作科はいずれも特務士官以下しか存在せず、士官としては一貫して機関科となる。

 竣工時との比較ということで言えば、はじめ長門型には飛行機は搭載されておらずしたがって飛行科はなかった。

分隊編制

 分隊長は兵科14名、機関科5名、軍医科および主計科各1名で21名が配置されており、これがそのまま分隊数となる。通信長、運用長、飛行長、工作長、軍医長および主計長は分隊長を兼ねておりこれらは1科=1分隊と想定できる。副砲長は分隊長を兼ねているが既述の通り砲術長の部下になりその下で1個分隊を任される立場になる。

 専務の兵科士官分隊長は10人、そのうち9人は砲術科(砲台長7、射撃幹部員1、測的指揮官1)の分隊長で、さらに副砲長が分隊長を兼ねているので砲術科が10個分隊を擁している。全体で21個の分隊のうち半数に近い。戦艦の存在意義がどこにあるかがよくわかる。副砲長の兼務分隊長の分担は昭和12年の備考では記載がないが改定前の定員表には「副砲長たる兼務分隊長は砲台長、(略)に充つ」とあるので砲台長を兼ねたのだろう。長門型戦艦には8つの砲台部が構成されていたと考えられる。戦艦においては主砲塔とその直下の弾火薬庫を組み合わせてひとつの砲台部を編成するのが通例となっている。長門型には主砲塔が4基搭載されているためこれで4個分隊となる。残り4個砲台部で副砲と高角砲、機銃を担当する。どのように振り分けたかは不明だが、副砲で2個砲台部(右舷および左舷)、高角砲・機銃でそれぞれ1個砲台部という構成が考えられる一方で、副砲を4個砲台部(右舷前部・右舷後部・左舷前部および左舷後部)にわけた上で近傍の高角砲や機銃をそれぞれの砲台部に編入するという構成もあり得る。その他にも考え得る構成はいくつもあるが「艦内編成令」の規定はある程度柔軟な編成を許容するものになっておりいずれとも断言できない。副砲長はいずれかの副砲砲台部の砲台長を兼ねたと考えられる。測的部と射撃幹部でそれぞれ1個分隊を編成したのは利根型巡洋艦と変わらない。
 専務の兵科士官分隊長のうち残るひとりは見張指揮官で航海長補佐官を兼ねた。航海長の下に1個分隊が置かれたが、通信科などのように科長が直接分隊長を兼ねるのではなく別に分隊長を置いた。それだけ航海長の負担が大きいということだろう。

 専務の機関科士官分隊長は4人でそれぞれ機械部、罐部、電機部、補機部の指揮官にあてられた。長門型戦艦の機関は利根型巡洋艦と同じく蒸気タービンで、蒸気を発生させる罐と蒸気でタービンを駆動する機械が主な構成要素になりそれぞれを1個分隊ずつで担当していることになる。機関科はさらに発電機および附属設備を担当する電機部、水圧機などその他の動力全般を担当する補機部を持っており合計で4個分隊となる。利根型巡洋艦では電機分隊で補機も担任していたが、長門型戦艦ではわけられている。この4個分隊はいずれも機関長に所属する。
 利根型巡洋艦では機関長の下に工業部分隊が置かれていたが、長門型戦艦では既述のとおり機関長とは別に工作長が置かれ分隊長を兼ねていた。

 以上を踏まえて長門の分隊番号と構成を推測すると以下のとおりになる。「艦内編成令」の分隊編制に関する規定は前回の記事に参考資料として掲載しているので必要に応じて参照されたい。

第1分隊 砲術(1番主砲塔、分隊長・砲台長)
第2分隊 砲術(2番主砲塔、分隊長・砲台長)
第3分隊 砲術(3番主砲塔、分隊長・砲台長)
第4分隊 砲術(4番主砲塔、分隊長・砲台長)
第5分隊 砲術(右舷副砲?、分隊長・副砲長兼砲台長)
第6分隊 砲術(左舷副砲?、分隊長・砲台長)
第7分隊 砲術(高角砲?、分隊長・砲台長)
第8分隊 砲術(機銃?、分隊長・砲台長)
第9分隊 砲術(射撃幹部、分隊長・射撃幹部員)
第10分隊 砲術(測的、分隊長・測的指揮官)
第11分隊 通信(分隊長・通信長兼務)
第12分隊 航海(分隊長・見張指揮官)
第13分隊 運用(分隊長・運用長兼務)
第14分隊 飛行(分隊長・飛行長兼務)
第15分隊 機関(分隊長・機械部指揮官)
第16分隊 機関(分隊長・罐部指揮官)
第17分隊 機関(分隊長・電機部指揮官)
第18分隊 機関(分隊長・補機部指揮官)
第19分隊 工作(分隊長・工作長兼務)
第20分隊 医務(分隊長・軍医長兼務もしくは専務分隊長)
第21分隊 主計(分隊長・主計長兼務もしくは専務分隊長)

飛行機を搭載しないときは第14分隊(飛行分隊)は欠番となり、その場合でも以下の分隊番号は繰り上げない。飛行長兼分隊長のほか、飛行機を搭載しないときに置かない人員として兵科尉官1名、整備科特務士官(1名)、航空兵曹長(1名)、航空兵曹(6名)、整備兵曹(5名)、航空兵(9名)および整備兵(5名)が挙げられておりこれらが飛行分隊に属することがわかる。なお「航空科」特務士官・准士官・下士官兵は昭和16年に「飛行科」と名称を改めるのと同時に「航空科」特務士官・准士官・下士官兵のうち予科練を経ていないものもしくは特修兵としての掌飛行兵でないものは整備科に移された。それまでの「航空科」には搭乗員でないものも含まれていたのである。

掌長

 兵科特務士官および准士官(兵曹長)は合計15人、備考の記述によるとそのすべてがいわゆる「掌長」配置になる。
 もっとも重要なのは掌砲長で、砲術長の直接の部下になる。戦艦の存在意義である主砲を直接掌握しているのが掌砲長である。このほか砲術長に属する掌長は主砲方位盤射手および旋回手が1名ずつ、砲塔長が4名、電路長が1名、砲台部附が1名である。主砲方位盤射手は主砲の仰角を、旋回手は主砲の旋回角度を艦橋にある方位盤から統一操作する役割で主砲の照準を定める重い任務である。主砲塔にはそれぞれ分隊長である砲台長の下に砲塔長が置かれた。電路長は艦橋と主砲を含む各砲台部との連絡のための電路(電話線)を維持保守する。砲台部附は、砲塔をもたない砲台部で砲塔長と同じ役割を果たす。主砲以外の砲台部は4つあるはずだが1名しか配置がない。おそらく副砲長に附属されたのだろう。
 航海長つきの掌長は信号長、見張長、操舵長でそのうち1人(最先任者になるだろう)が掌航海長を兼ねた。通信長の下には掌通信長と電信長が置かれた。電信長は電信員の長である。運用長の下に掌運用長がおかれた。以上が兵科掌長になる。

 機関科特務士官および准士官(機関兵曹長)は合計9人でおなじくいずれも「掌長」配置が指定されている。まず機関長を直接輔佐する掌機長が1人。そのほか機関長に属するのは2名の機械長、2名の罐長、電機長、補機長が1人ずつとなる。長門型戦艦は4基のタービン機関に対して10基のボイラー(罐)から蒸気を供給していた。タービン機関を担当する機械分隊の下に2名の機械長が置かれ、おそらく左右舷2基ずつのタービン機関を担当したのだろう。罐分隊も同様に10基のボイラーを2人の罐長が分担した。電機分隊と補機分隊にもそれぞれ分隊長を輔佐する電機長と補機長が置かれた。
 掌工作長と工業長は工作長に属する。掌工作長は工作長を直接輔佐し、工業長は工作作業を担当する工業部の長である。

 掌長には含まれないが看護科特務士官は医務分隊に、主計科特務士官および准士官は主計分隊に配属されたはずである。

おわりに

 ちょっとあいだがあいてしまいました。なんとか7月中にぶち込めそうです。長門型を選んだのは他意はありません。実のところ、他の戦艦も細かい数字はもちろん違いますが基本線は同じです。戦艦といえば大和型でしょうが簡単に探したかぎりでは大和型の定員表はみつかりませんでした。

 さて初回(前回)に典型として巡洋艦をとりあげましたが、戦艦も水雷がなく砲術が大半を占めるという特徴はありますが構成そのものはごくオーソドックスなものでした。所帯が大きいということはそれだけ組織が完備されやすいということでもあります。次回あたりから艦種ごとの特徴が出てくるでしょう。まず次回は航空母艦です。定員表をみたときはちょっとびっくりしました。

 では機会がありましたらまた次回お会いしましょう。

(カバー画像は大戦後期の戦艦長門)

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