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定員表を読んでみよう (3) 航空母艦翔鶴型

「定員表を読んでみよう」の第3回は空母です。例として翔鶴型をとりあげます。第1回「共通/巡洋艦利根型」は以下になります。


翔鶴型の定員表

 空母翔鶴の定員表は、昭和14(1939)年12月27日内令第1058号で制定された。内令自体は見つからなかったが、アジア歴史資料センターで閲覧できる「内令提要追録」に別表が転載されており、手書きで日付と内令番号が記入されている(リファレンスコード C13071989000 p.28)。

 本来定員表は軍艦籍編入時に制定されるはずだが、翔鶴が横須賀工廠で進水した昭和14(1939)年6月1日より遅れている。なお軍艦籍編入は海軍工廠建造艦は進水時、民間造船所建造艦は引渡し時となっており2番艦瑞鶴は神戸の川崎造船所での建造なので進水した昭和14(1939)年11月27日ではなく引渡し日である昭和16(1941)年9月25日に軍艦籍に編入された。
 実際には、就役前には定員を置かないことが一般的なので進水時には必ずしも定員表が必須なわけではない。この時期は続々と新型艦船が建造されていたので事務処理が間に合わなかったのだろうか。

 表の内容を以下に記す。

艦長 大佐 1
副長 中佐 1
航海長 中少佐 1
砲術長兼分隊長 少佐 1
通信長兼分隊長 中少佐 1
運用長兼分隊長 中少佐 1
飛行長 中佐 1
飛行隊長 中少佐 3
分隊長 少佐、大尉 11
乗組 兵科尉官 25
乗組 中少尉 7
整備長 機関中佐 1
機関長 機関中佐 1
工作長兼分隊長 機関中少佐 1
分隊長 機関少佐、機関大尉 6
乗組 機関科尉官 3
乗組 機関中少尉 4
軍医長兼分隊長 軍医中少佐 1
乗組 軍医少佐、軍医科尉官 3
主計長兼分隊長 主計中少佐 1
乗組 主計科尉官 1

乗組 特務中少尉 6
乗組 航空科特務士官 37
乗組 整備特務中少尉 6
乗組 機関特務中少尉 3
乗組 工作特務中少尉 1
乗組 看護特務中少尉 1
乗組 主計特務中少尉 2

兵曹長 5
航空兵曹長 50
整備兵曹長 9
機関兵曹長 4
工作兵曹長 1
看護兵曹長 1
主計兵曹長 1

兵曹 83
航空兵曹 145
整備兵曹 86
機関兵曹 86
工作兵曹 17
看護兵曹 4
主計兵曹 11

水兵 324
航空兵 286
整備兵 130
機関兵 193
工作兵 35
看護兵 9
主計兵 49


士官 75
特務士官 56
准士官 71
下士官 432
兵 1026

乗員合計1660名のうち、士官が75名(4.5%)、准士官以上が202名(12.2%)と比較的大きな値になっている。戦艦長門型のそれぞれ3.6%、5.8%と比べると比率の大きさは明らかだ。特に特務士官56名が目をひく。この違いの主な理由は飛行関係ということになるだろう(航空科と整備科の特務士官はあわせて43名)。

 以下は備考である。

1.兵科分隊長の中二人は砲台長、一人は見張指揮官兼航海長補佐官、八人は飛行部指揮官に充つ
2.機関科分隊長の中三人は整備部、一人は機械部、一人は罐部、一人は電機部の各指揮官に充つ
3.必要に応じ軍医長たる兼務分隊長に代ふるに軍医少佐又は軍医大尉の専務分隊長を以てし乗組軍医科士官一人を減ずることを得主計長及乗組主計科尉官に付亦之に準ず
4.乗組兵科尉官は飛行隊附又は飛行部付に、乗組機関科尉官は整備部附に充つ
5.特務中少尉及兵曹長の中一人は掌砲長、一人は掌運用長、一人は信号長、一人は掌通信長、一人は操舵長、一人は電信長、一人は暗号員、四人は砲台部附に充て信号長又は操舵長の中一人は掌航海長を兼ねしむるものとす
6.航空科特務士官及航空兵曹長の中一人は掌飛行長、八十六人は飛行隊附又は飛行部附に充つ
7.整備特務中少尉及整備兵曹長の中一人は掌整備長、一人は発著機部附、十三人は飛行部附又は整備部附に充つ
8.機関特務中少尉又は機関兵曹長の中一人は掌機長、三人は機械長、二人は罐長、一人は電機長に充て工作特務中少尉及工作兵曹長の中一人は掌工作長、一人は工業長に充つ
9.主計特務中少尉の中一人は掌経理長、一人は掌衣糧長に充つ
10.飛行科及整備科に於ける特務士官、准士官、下士官及兵の定員は必要に応じ各其の合計員数を超過せざる限り航空科、整備科又は機関科を以て各指定科別に代ふることを得
11.飛行機を搭載せざるときは飛行長、飛行隊長及整備長竝に前諸号中の飛行科及整備科職員(機関科分隊長、整備特務中少尉又は整備兵曹長の中一人を除く)、乗組軍医少佐、軍医科尉官の中二人、航空兵曹、整備兵曹、看護兵曹一人、主計兵曹三人、航空兵、整備兵、看護兵三人及主計兵二十一人を置かず(飛行機の一部を搭載せざるときは概ね其の数に比例し上掲の人員を置かざるものとす)但し航空科、整備科下士官及兵に限り其の合計員数の十分の一以内の人員を置くことを得
12.中少尉の中二人は特務中少尉又は兵曹長を以て、機関科分隊長の中一人は機関特務大尉、一人は整備特務大尉を以て、機関中少尉の中一人は機関特務中少尉又は機関兵曹長を以て充つることを得

翔鶴型の科・分隊編制

 翔鶴型の艦内編制には航海・砲術・通信・運用・飛行・整備・機関・工作・医務・主計の各科が置かれた。水雷科が欠けているのは、魚雷や機雷を搭載運用しない空母として当然のことだろう。砲術長の階級が少佐で、飛行長が中佐とされていることも空母ならではである。
 戦艦などと比べると砲術長が分隊長を兼ね、飛行長や整備長が分隊長を兼ねないのが目をひく。航海長が分隊長を兼ねないのは戦艦や巡洋艦と共通である。分隊長は兼職を含めて兵科14名、機関科7名、医務・主計各1名で全体の分隊数は23となる。
 航海科では航海長は分隊長を兼ねず、見張指揮官を兼務する専務分隊長をひとり置いた。理由については以前の記事にあるので割愛する。
 砲術科では砲術長が分隊長を兼ねているが、別に砲台長を2人置いているので合計して3分隊ということになる。ふたりの砲台長(分隊長)がそれぞれ右舷と左舷の高角砲と機銃を担当するとして、砲術長が直率する分隊は射撃幹部ということになるだろうか。
 通信科と運用科はそれぞれ科長が分隊長を兼ねる1個分隊ずつ、ということになる。
 さて空母の存在理由たる飛行科では、分隊長8人が飛行部指揮官を兼ねるとされており、8個分隊を擁することがわかる。艦内編制令では飛行科は飛行隊または飛行部に区分することとされており、さらに飛行隊と飛行部をともに置く場合は複数の飛行部を飛行隊にまとめた。翔鶴型では3人の飛行隊長が置かれており、その下に8人の飛行部指揮官(分隊長)が分配された。翔鶴型の搭載機は艦上戦闘機18機、艦上攻撃機27機、艦上爆撃機27機(常用、計画時)とされており、比例分配されたとすると戦闘機飛行隊が2個分隊、攻撃機と爆撃機飛行隊がそれぞれ3個分隊で合計8個分隊と見るのが妥当だろう。なお空母や航空隊では飛行長は基本的に艦上もしくは陸上で指揮をとり、実際に機上で勤務するのは飛行隊長以下だった。ただし戦艦や巡洋艦などでは飛行長が自ら操縦桿を握ることもあったようだ。

 機関科に移って、まず整備長は分隊長を兼ねず、整備部指揮官たる分隊長が3名おかれた。飛行科の各飛行隊に対応するものだろう。
 翔鶴型の機関は日本海軍艦艇として最大出力の16万馬力を誇ったが、構成は長門型戦艦や利根型巡洋艦に共通の蒸気タービンである。タービンを担当する機械部、ボイラーを担当する罐部、発電機などを担当する電機部にそれぞれ分隊長が置かれた。補機は電機部でまとめて担当した。戦艦では水圧機などを担当する補機分隊は独立していたが、空母には大重量の砲塔がないためだろう。
 工作科では工作長が分隊長を兼ね、1個分隊を構成した。

 加えて、医務科・主計科にそれぞれ科長が分隊長を兼ねるそれぞれ1個分隊が置かれてすべてとなる。なお医務科・主計科の分隊長に専務者を置き得るとしたのは艦種を問わず共通である。

まとめると、

第1分隊 砲術(分隊長・右舷砲台長)
第2分隊 砲術(分隊長・左舷砲台長)
第3分隊 砲術(分隊長・砲術長兼務)
第4分隊 航海(分隊長・見張指揮官)
第5分隊 通信(分隊長・通信長兼務)
第6分隊 運用(分隊長・運用長兼務)
第7分隊 飛行(分隊長・戦闘機飛行部指揮官)
第8分隊 飛行(分隊長・戦闘機飛行部指揮官)
第9分隊 飛行(分隊長・攻撃機飛行部指揮官)
第10分隊 飛行(分隊長・攻撃機飛行部指揮官)
第11分隊 飛行(分隊長・攻撃機飛行部指揮官)
第12分隊 飛行(分隊長・爆撃機飛行部指揮官)
第13分隊 飛行(分隊長・爆撃機飛行部指揮官)
第14分隊 飛行(分隊長・爆撃機飛行部指揮官)
第15分隊 整備(分隊長・戦闘機整備部指揮官)
第16分隊 整備(分隊長・攻撃機整備部指揮官)
第17分隊 整備(分隊長・爆撃機整備部指揮官)
第18分隊 機関(分隊長・機械部指揮官)
第19分隊 機関(分隊長・罐部指揮官)
第20分隊 機関(分隊長・電機部指揮官)
第21分隊 工作(分隊長・工作長兼務)
第22分隊 医務(分隊長・軍医長兼務または専務分隊長)
第23分隊 主計(分隊長・主計長兼務または専務分隊長)

となる。飛行機を搭載しない場合は飛行科分隊および整備科分隊は欠番とし分隊番号は繰り上げないとされているが、実際にはそういう場合は予備艦扱いになることが多かっただろう。

飛行科・整備科

 定員表を見ると例えば士官の欄に「乗組 中少尉」とは別に「乗組 兵科尉官」という項目がある。本来、「中少尉」は「兵科尉官」の部分集合なので区別する意味はないはずなのだが、わざわざ分けてあるのは「兵科尉官」は搭乗員だからである。同じことが「乗組 機関科尉官」(整備員)にも言える。また「乗組 航空科特務士官」とあって「航空特務中少尉」ではないのも類似の理由からだろう。備考の記述には「乗組兵科尉官は飛行隊附または飛行部附、乗組機関科尉官は整備部附」とある。大戦前半期までは搭乗員や整備員も空母固有の乗員という建前でここで挙げた定員表もそうした時期のものだが、それでも搭乗員や整備員は一般乗員とは別枠という取り扱いが少なからずあったことが見てとれる。

 「飛行機を搭載せざる場合」に置かないとされる乗員が備考に列挙されていて、これがだいたい飛行科と整備科の範囲を示している。飛行長・飛行隊長・兵科分隊長8名(11名中)・機関科分隊長3名(6名中)・航空科特務士官・整備特務中少尉・航空兵曹長・整備兵曹長・航空兵曹・整備兵曹・航空兵・整備兵がそれであるが、興味深いのはこの他に飛行科や整備科に属さない軍医科士官・看護兵曹・主計兵曹・看護兵や主計兵といった、医務科員や主計科員も一部を置かないとされていることだ。特に主計兵49名のうち21名を置かないとしているのが目立つ。飛行科と整備科の合計人員は793名と全体の半分弱となりかなりの大所帯であることは確かだが、飛行機を運用するということによって単なる人数以上に経理上の負荷がかかっているのではないか。

 もっとも、上述の通り搭載機をもたない空母に現実の戦闘力はないに等しく、こうした状況を実際に想定していたとは考えにくい。それでもきっちり規定されているのは軍隊も所詮お役所ということだろうか。

掌長配置

 特務士官や准士官が主につとめる掌長配置だが、飛行科については「航空特務士官および航空兵曹長」のうち1名が掌飛行長として飛行長の直接輔佐にあたる以外の86名は飛行隊附または飛行部附、つまり飛行隊長直属もしくは分隊に配属されて分隊士や小隊長として搭乗員勤務をすることになる。
 整備科も同様で、整備特務士官および整備兵曹長のうち1名が掌整備長、1名は発着機部附(当時は「着」の字を「著」であらわした)にあてられ、残りの13名は飛行部または整備部に配属された。整備分隊のみならず、飛行分隊に直接配属された者もあったことがうかがわれる。なお発着機部は着艦制動索など、空母側の発着艦設備の維持整備を担当した。

 砲術科について見ると、戦艦や巡洋艦などのような発令所の配置がないのが目立つ。砲術長輔佐である掌砲長が1名、ほかは砲台部附が4名である。分隊長である砲台長は2名なので、各分隊に2名ずつ付けられたことになる。前部と後部で担当をわけたのか、あるいは高角砲と機銃でわけたのだろうか。

 その他の各科については、空母特有ということはなくほかの艦船とほぼ同じである。まず航海科では信号長と操舵長が置かれ、そのうち先任者が掌航海長を兼ねた。通信科では掌通信長のもとに電信長と暗号員が置かれた。運用科には掌運用長が配置された。
 高速が必要な空母の機関は戦艦よりも巡洋艦と共通点が多い。余談だが船体形状も発砲時の安定を求められる戦艦よりも抵抗の少ない巡洋艦に近い。機関長の輔佐にあたる掌機長の下で、タービン機関を担当する機械長が3名、ボイラーを担当する罐長が2名あった。4軸艦の翔鶴型空母にはタービン機関が4セット搭載されていたのだが、それを3名でどう分担していたのだろうか。各軸ごとに高圧・中圧・低圧タービンで構成されていたので、それぞれ分担していたのかもしれないが、このあたりはよくわからない。ボイラーは8基搭載していたので2人の罐長が4基ずつ担当したのだろう。その他に電機長が1名置かれた。
 工作科分隊には掌工作長と工業長が置かれた。

 主計科には掌長として掌経理長と掌衣糧長があった。両方をあわせた掌主計長といった配置はなかった。それぞれの専門性が高く兼任できなかったのだろう。
 医務科には看護科特務士官や看護兵曹長が配属されたが備考に掌長についての記載はない。艦内編制令には補助官や掌看護長の規定があるので、記載はないが実際にはこうした職務にあてられたものと思われる。

おわりに

 またまた少しあいだが空いてしまいました。予告した通り今回は空母です。定員表からも、空母というのはしょせん飛行機を運用するための箱でしかないということが読み取れたような気がしました。大戦後半からは搭乗員を空母固有の乗員とするのをやめて、600番台航空隊からの派遣という形をとったといわれていますが、そうした状況を反映した定員表は見つけられませんでした。

 次回は駆逐艦を予定しています。

 ではまた次回お会いしましょう。

(カバー画像は竣工時の空母瑞鶴)

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