定員表を読んでみよう (1) 共通/巡洋艦利根型
艦内編制令の内容と、海軍定員令の別表(定員表)を見比べてみるとけっこう細かいことまで読み取れることがわかりましたので、実際にやってみようと思います。
艦内編制令
艦内編制令の内容については以前に記事を公開しているのであらかじめこちらに目を通していただければありがたい。
一方、常備編成(=分隊の構成)についてはあまり詳しく触れず一部の例を挙げるに留めていた。すべてを説明しているとあまりに長くなりすぎるからだったのだけれど、関連する条文を末尾に資料として添付したので参照しながらお読みいただきたい。
自衛隊との相違
余談だが最初に自衛隊と旧海軍の相違について簡単に触れておこう。筆者はむしろ現代の海上自衛隊の艦内編成については門外漢なのだが、聞くところによると護衛艦の艦内は「1分隊=船務」「2分隊=砲雷」「3分隊=機関」「4分隊=経理」にわけ、それぞれ船務長・砲雷長・機関長・主計長(経理長?)を置いてそのうちひとりが副長を兼ねるというのが通例らしい。科編成と分隊が1対1対応しているわけで、こういう方式はアメリカ式なのだろうか。旧海軍が導入したイギリス式の分隊システムでは、各科に複数の分隊が所属するのはごく普通のことで、例えば戦艦などでは砲術科が5個とか6個とかの分隊から構成されていることがあった。したがって分隊番号と科については直接の関連はない。
二等巡洋艦 利根・筑摩
まず、典型的な例として二等巡洋艦利根型(利根・筑摩)を取り上げたい。砲や魚雷、飛行機といった兵器をまんべんなく搭載しており艦内編制として最大公約数のような存在でありはじめに取り上げるのにふさわしいと考えるからである。
利根・筑摩の定員表は、ネームシップ利根が竣工して引き渡された昭和13年11月20日に内令第974号で制定された。「海軍制度沿革巻10」787頁に掲載されている表の内容を書き出してみよう。
区分ごとの小計は士官 35、特務士官 9、准士官 15、下士官 206、兵 604 で定員表による総計は 869 名になる。なお、戦時中は定員表の改正によらず臨時増置という形で定員以上の乗組員が配属されたがここでは触れない。
都市部の小中学校の児童・生徒数に匹敵する900人に近い全乗員のうち士官は1学級程度の35名、准士官以上まで含めても59名で、充分顔と名前が一致する数だ。これが士官室、士官次室(ガンルーム)、第二士官次室(二次室)に分かれて生活していたことになる。下士官の206名が意外に多いと感じたのは筆者だけだろうか。
利根・筑摩の科別
定員表の中の「○○長」は艦内各科の長を示していることが多い。ただし副砲長・高射長・飛行隊長など該当しないケースもあるので厳密には艦内編成令の規定を参照するしかない。
利根・筑摩の定員表を見ると「航海長」「砲術長」「水雷長」「通信長」「運用長」「飛行長」「機関長」「軍医長」「主計長」が該当し、利根・筑摩艦内には対応する「航海科」「砲術科」「水雷科」「通信科」「運用科」「飛行科」「機関科」「軍医科」「主計科」が組織されていることがわかる。利根・筑摩はこの時点において艦内編成令で規定されている科のすべてを含んでいる。たとえば戦艦に水雷科はないことがあるし、飛行機を搭載していない艦に飛行科はない。さすがに機関科・航海科をもたない艦はないけれど「運用科」は少人数の場合は航海科分隊などに編入されることがあり、この場合は運用長ではなく航海長の指揮をうけることになる。末尾に添付した艦内編成令の条文に「運用科員を以て一箇分隊とす但し必要に応じ航海分隊、砲台分隊又は水雷分隊に編入す」とある。
備考について
定員表の備考は重要な情報を含んでいることがある。利根・筑摩については以下のとおりである。
利根・筑摩の分隊
定員表から分隊長が兵科9名、機関科4名、軍医科・主計科各1名の合計15名(兼務を含む)配属されており、したがって利根・筑摩にはそれぞれ15個分隊が含まれていることがわかる。
まず兵科からみていくと水雷長・通信長・運用長・飛行長は分隊長を兼務しており水雷科・通信科・運用科・飛行科はそれぞれ1分隊から構成されていることが想定される。
備考(1.)の記述から、専務分隊長の内訳がわかる(2名がそれぞれ砲台部指揮官、1名が射撃幹部員、1名が測的指揮官、1名が見張指揮官兼航海長補佐官)。砲台部指揮官(2名)・射撃幹部員・測的指揮官はいずれも砲術科に属するので砲術長の下には4個分隊(砲台部分隊 2、射撃幹部分隊、測的分隊)が属していることが読み取れる。砲台部は砲塔と附属する弾火薬庫などで構成されるが、1砲塔で1砲台部を構成するのは戦艦くらいで、複数の砲をまとめてひとつの砲台部とすることが多い。利根・筑摩の場合は主砲とそれ以外(高射砲・機銃など)でわけたのではないだろうか。
見張指揮官は航海長補佐官を兼ねていることでもわかるように航海科に属する。航海長は分隊長を兼ねていないので、この下に見張指揮官が分隊長をつとめる1個分隊が所属していることになる。航海長や砲術長は分隊長を兼務していない限り、分隊には所属しない。
兵科についてまとめると、
航海科1個分隊(分隊長・見張指揮官)
砲術科4個分隊(分隊長・主砲砲台部指揮官、高射砲機銃砲台部指揮官・射撃幹部分隊長・測的指揮官)
水雷科1個分隊(分隊長・水雷長兼務)
通信科1個分隊(分隊長・通信長兼務)
運用科1個分隊(分隊長・運用長兼務)
飛行科1個分隊(分隊長・飛行長兼務)
となるだろう。なお射撃幹部は1個分隊にまとめる例だが射撃指揮官は分隊に属さない砲術長がつとめることになっているので、射撃幹部分隊の分隊長は射撃指揮官ではないという少しややこしいことになっている。
機関科分隊長4名の内訳については備考(2.)に記載されている。利根・筑摩はボイラー(罐)で発生させた蒸気を使ってタービン機関(機械)を駆動する蒸気タービン推進だが、罐と機械にそれぞれ指揮官を置き分隊長を兼ねた。この他に機関科が担当する電機(発電機など)で1個分隊を編制した。戦艦などでは電機と補機でそれぞれ分隊を編成することがあったが、利根・筑摩では電機分隊に補機も担当させたのだろう。もうひとつの機関科分隊は艦内工作を担当する工業部分隊で、のちの工作科にあたる。
したがって機関科分隊は
機関科4個分隊(分隊長・機械部指揮官、罐部指揮官・電機部指揮官・工業部指揮官)
となるはずである。
最後に軍医長が分隊長を兼ねる医務分隊と、主計長が分隊長を兼ねる主計分隊が1個ずつあって、これで全部となる。
艦船令や艦内編成令、海軍定員令では航海科が艦内で筆頭とされているのだが、分隊番号にかぎって砲術が最初になっている。添付条文にあるとおり砲術・水雷・通信・航海・運用・飛行・機関・軍医・主計の順に通し番号で分隊番号をつけることになっており、さらに砲術の中では砲台部・射撃幹部・測的の順序、機関の中では機械・罐・電機の順序とされているので
第1分隊 砲術(主砲砲台部)
第2分隊 砲術(高角砲機銃砲台部)
第3分隊 砲術(射撃幹部)
第4分隊 砲術(測的)
第5分隊 水雷
第6分隊 通信
第7分隊 航海
第8分隊 運用
第9分隊 飛行
第10分隊 機関(機械)
第11分隊 機関(罐)
第12分隊 機関(電機)
第13分隊 機関(工業)
第14分隊 医務
第15分隊 主計
となる。なお、飛行機を搭載しない場合は飛行分隊(第9分隊)は欠番となりそれ以降の分隊の分隊番号は繰り上げない。
飛行科について
備考(6.) に飛行機を搭載しない場合に欠員とする乗組員を列挙しており、これが飛行科員であることがわかる。定員表では乗組兵科尉官と乗組中少尉が区別されているが、前者は士官搭乗員ということになる。整備員は飛行分隊に編入されている。このあと整備科が分離した時期もあったが最終的には飛行科に所属することとされた。
巡洋艦が搭載している飛行機には弾着観測を主用途とする2座機と、偵察を本分とする3座機があったが、定員表の規定は2座機を前提としていて3座機を搭載する場合はその機数ごとに1人増員した。
掌長について
特務士官や准士官の多くはいわゆる掌長として航海長や砲術長といった科長を直接輔佐する立場に置かれた。兵科特務士官・准士官(兵曹長)は合計10人が配属されたが、備考(3.) によるとそのうち全員がいわゆる掌長配置とされている。掌砲長・主砲方位盤射手・砲台部附が砲術長に属し、掌水雷長・水雷砲台部附は水雷長に、掌運用長は運用長に、信号長・操舵長(いずれかが掌航海長を兼ねる)は航海長に、掌通信長・電信長は通信長に属した。機関科(8名)も同様で、このうち掌機長は機関科全体について機関長を直接輔佐した。掌長については艦内編成令に関する記事の各科の項目を参照されたい。
終わりに
まず典型として巡洋艦を取り上げました。これをベースに、戦艦や航空母艦といった大型艦、駆逐艦などの小型艦、潜水艦、特務艦などのケースを次回から個々に見ていきたいと思います。需要があるのかなあ。戦記を読むときの参考になればよいのですが。
ではまた次回お会いしましょう。
(カバー画像は竣工時の巡洋艦利根)
(添付)
「艦内編制令」抜粋(常備編成)
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