日本海軍の階級について (2)兵科(兵、下士官、准士官、特務士官)
今回は兵科のうち兵、下士官、准士官、特務士官について。
前回の記事は以下になります。
各科
海軍軍人はその技能、職能に応じたそれぞれの科に分類されていた。もっとも一般的にイメージされるのは兵科だろう。その他、時期によって変遷はあるが飛行科、機関科、工作科、整備科、軍医科、薬剤科、看護科、主計科、造船科、造機科、造兵科、水路科、軍楽科、法務科などがあった。
階級章には識別線があり色で判別できるようになっていた。
兵科
兵科は艦船を運用して兵器を操作する任務を果たすもののうち機関関係をのぞいたもので、航海、通信、砲術、水雷などを担任した。なお飛行科は特務士官、准士官、下士官および兵のみで、士官では兵科が担任した。この文ではあわせて説明する。昭和5(1930)年1月10日に航空科として創設されたが昭和16(1941)年6月1日に飛行科と改称した。航空科・飛行科の識別線は青色で、空の色にちなんだという。兵科には識別線はない。
兵(兵科、飛行科)
兵の階級は兵科では下から四等水兵、三等水兵、二等水兵、一等水兵の四等級となっていた。昭和17(1942)年に陸軍にあわせて二等水兵、一等水兵、上等水兵、水兵長に改められる。飛行科では「水兵」の部分が「飛行兵」で置き換えられる。
なお大正9(1920)年までは五等水兵という階級があった。古く(明治21(1888)年まで)は最下級に若水兵があり、その名残りか新兵のことを「若」と呼ぶことがあった。
四等水兵(のち二等水兵)はもっとも下級の階級で新規に徴兵あるいは志願兵として海軍に加わったものに与えられる。まず各軍港にある海兵団で基礎教育をうける。階級章がなく真っ黒な制服から「カラス」と呼ばれた。海兵団での教育を修了して部隊に配属されるタイミングで三等水兵に昇進するため、実部隊には四等水兵はいない。
三等水兵(のち一等水兵)は部隊では最下級となる。特に新規に配属された三等水兵は「新三」と呼ばれ雑用の多くをおしつけられた。「旧三」となれば多少は楽になる。二等水兵に昇進するためには少なくとも8月の勤務経験が必要(これを実役停年という)で、進級試験に合格しなければならない。
二等水兵(のち上等水兵)となれば実務にも習熟して現場を実際に動かす立場となる。長く海軍に奉職するつもりであるなら、術科学校の練習生課程を経て特修兵(いわゆるマークもち)をめざさなければならない。練習生に応募できる条件(階級など)は時期や課程により異なり一概にいうことは難しいが、普通科砲術練習生課程の場合はだいたい一等ないし三等水兵のあいだに資格があった。
一等水兵に昇進する条件は二等水兵と同じである。
一等水兵(のち水兵長)は兵のなかでは最上級となり現場のボス格である。下士官に昇進するためには1年4月の実役停年を有したうえで任用試験に合格する必要がある。
予科練習生出身の飛行兵については実役停年の特例が定められている。学歴によって甲種、乙種にわけられるが、甲種では入隊から1月で三等航空兵(のち三等飛行兵→一等飛行兵)、3月で二等航空兵(のち二等飛行兵→上等飛行兵)、6月で一等航空兵(のち一等飛行兵→飛行兵長)、さらに1年2月で下士官に、乙種はそれぞれ3月、9月、1年6月、1年2月で昇進した。
なお既述のとおり昭和16(1941)年に航空科が飛行科に改称されたのにともない階級も航空兵から飛行兵に改められた。
下士官、准士官(兵科、飛行科)
下士官の階級は三階級でそれぞれ判任官二等、三等、四等に相当する。長らく一等兵曹、二等兵曹、三等兵曹という階級だったが昭和17(1942)年11月1日付で上等兵曹、一等兵曹、二等兵曹に改められた。
三等兵曹(のち二等兵曹)の実役停年は1年4月で進級試験がある。予科練習生出身の飛行兵曹の実役停年は1年である。下士官に任官して早いうちに高等科練習生を修了しておくことが望ましい。例えば高等科砲術練習生課程には二三等兵曹前後で応募できたが普通科課程の修了が前提である。
二等兵曹(のち一等兵曹)からの進級条件は三等兵曹と同様である。
一等兵曹(のち上等兵曹)の実役停年は2年4月(予科練習生出身の飛行兵曹の場合2年)で、やはり進級試験がある。准士官に昇進するためには特修科練習生課程を修了しておくことが望ましいが、それ自体がかなり狭き門である。
一般に下士官は現場の実務を熟知し兵を直接指揮指導する。班長は下士官がつとめる。
准士官は一階級のみで判任官一等に相当する。大正半ばまでは上等兵曹という階級だったがそれ以降は兵曹長と改められた。
兵曹長の実役停年は5年だが、選修学生課程を修了すれば年限が足りなくても昇進できた。選修学生は、兵科については海軍兵学校で、飛行科については練習航空隊で、士官と同等の勤務に就くことを想定した課程である。
特務士官(兵科、飛行科)
兵から下士官、准士官を経て高等官にまで達したものは特務士官と呼ばれ、はじめから高等官として採用された士官とは区別された。養成課程が異なるので区別する意味がなかったとは言わないが、区別が差別につながった弊害のほうが大きかったように思う。海軍兵学校選修学生課程を修了しても特務士官にとどめていたのは、合理的な説明が難しい。
かつては一階級のみ(当時は特務士官という分類自体がなく高等官である准士官とされた)で兵曹長と呼ばれていたが、大正半ばに三階級とされ最高位が高等官六等になった。
特務少尉(飛行科では飛行特務少尉)は特務士官の最下級で高等官八等(奏任官六等)に相当する。実役停年は2年である(兵科、飛行科共通)。
特務中尉(飛行科では飛行特務中尉)は高等官七等(奏任官五等)に相当する。実役停年は3年である。
特務大尉(飛行科では飛行特務大尉)は高等官六等(奏任官四等)に相当する。
准士官、特務士官にいたればもはや現場責任者というよりは実務に関する知識と経験をもとに士官に助言を行う立場になる。士官の役割の一部を分担することもある。特に掌航海長や掌砲長、掌水雷長などのいわゆる「掌長」と総称される配置では、担当範囲の人員や物品すべてに目を配り士官の命令が確実に実行できるように整えておく責任を負った。
昭和17(1942)年11月1日、階級から「特務」の文字や科の表示が除かれ単に大尉、中尉、少尉などと呼ぶように改められた。
特務大尉は特選で少佐に任用し得るとされており、この場合特務士官から士官に転じるということになる。兵として海軍に入ったものが到達できる平時の最高位となり「兵隊元帥」といわれたが、予備役編入時に名誉的に昇進するケースがほとんどで実際に士官として勤務した例はほぼなかったという。戦時中にはこのルートで中佐にまで登った例もあったらしい。
なお予科練習生出身の飛行特務大尉は士官である大尉に任用できるとされていた。官等としては変わらないが、指揮官になり得る士官搭乗員の不足を補う目的があったのだろう。飛行科特務士官から将校たる士官に特選で任用された場合、将校には独立した飛行科はないので兵科将校となる。
おわりに
はじめの予定では士官まで含めるつもりでしたが長くなったのでいったん切ります。次回は兵科士官について。そのあとは兵科以外について順次書いていこうと思います。そちらはそんなに長くならないと見込んでいます。
ではまた次回お会いしましょう。
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