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日本海軍軍人伝

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日本海軍の軍人について
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#皇族軍人

皇族附海軍武官

皇族附海軍武官

 以前、皇族の海軍武官に関する記事を書きました。

 海軍武官である皇族には皇族附海軍武官が附属し、俗に「御附武官」などと呼ばれました。阿川弘之の著作では皇族と御附武官の駆け引きが描写されています。

制度のはじまり 明治のはじめ、皇族が政府や軍の要職を多く占めていた時期にはかえってこうした御附武官の制度は確立していなかった。海軍においてはじめて御附武官が置かれたのは明治22年、海軍兵学校生徒だっ

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海軍皇族軍人伝(番外) 大正天皇・昭和天皇

海軍皇族軍人伝(番外) 大正天皇・昭和天皇

 海軍軍人となった皇族をとりあげます。今回は番外編です。
 総説と個別の伝を立てるまでもなさそうな皇族あるいは皇族が臣籍降下した華族出身の海軍軍人は以下の記事にまとめました。

 前回の記事は以下になります。

皇太子 戦前の日本では、天皇は軍において大元帥とされ階級を超越した存在だった。一方で男子皇族は軍学校で教育をうけて陸海軍将校として勤務するとされ、実際の待遇はともかくとして建前の上では一般

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海軍皇族軍人伝(5) 高松宮宣仁親王

海軍皇族軍人伝(5) 高松宮宣仁親王

 海軍軍人となった皇族をとりあげます。今回は高松宮宣仁親王です。
 総説と個別の伝を立てるまでもなさそうな皇族あるいは皇族が臣籍降下した華族出身の海軍軍人は以下の記事にまとめました。

 前回の記事は以下になります。

高松宮 宣仁親王は明治38(1905)年1月3日に皇太子嘉仁親王(のち大正天皇)の三男として誕生した。はじめ光宮と称した。父の踐祚から1年ほど経った大正2(1913)年7月に有栖川

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海軍皇族軍人伝(4) 久邇宮朝融王

海軍皇族軍人伝(4) 久邇宮朝融王

 海軍軍人となった皇族をとりあげます。今回は久邇宮朝融王です。
 総説と個別の伝を立てるまでもなさそうな皇族あるいは皇族が臣籍降下した華族出身の海軍軍人は以下の記事にまとめました。

 前回の記事は以下になります。

八雲砲術長 朝融王は明治34(1901)年2月2日に久邇宮邦彦王の長男として誕生した。父邦彦王は当時陸軍中尉で陸軍大学校の学生だった。学習院に入学するときの身体検査で色弱気味と診断さ

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海軍皇族軍人伝(3) 伏見宮博恭王

海軍皇族軍人伝(3) 伏見宮博恭王

 海軍軍人となった皇族をとりあげます。今回は伏見宮博恭王です。
 総説と個別の伝を立てるまでもなさそうな皇族あるいは皇族が臣籍降下した華族出身の海軍軍人は以下の記事にまとめました。

 前回の記事は以下になります。

ドイツ留学 博恭王は明治8(1875)年10月16日に伏見宮貞愛親王の長男として誕生した。はじめ愛賢王と名乗る。父貞愛親王は当時17歳で結婚前だったが女官に子供を生ませたことになる。

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海軍皇族軍人伝(2) 東伏見宮依仁親王

海軍皇族軍人伝(2) 東伏見宮依仁親王

 海軍軍人となった皇族をとりあげます。今回は東伏見宮依仁親王です。
 総説と個別の伝を立てるまでもなさそうな皇族あるいは皇族が臣籍降下した華族出身の海軍軍人は以下の記事にまとめました。

 前回の記事は以下になります。

東伏見宮依仁親王 依仁親王は慶応3(1867)年9月19日に伏見宮邦家親王の16男として誕生した。寺に入ることが内定していたが維新で皇室と寺院の関係が分離され、出家した皇族も多く

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海軍皇族軍人伝(1) 有栖川宮威仁親王

海軍皇族軍人伝(1) 有栖川宮威仁親王

 海軍軍人となった皇族をとりあげます。今回は有栖川宮威仁親王です。
 総説と個別の伝を立てるまでもなさそうな皇族あるいは皇族が臣籍降下した華族出身の海軍軍人は以下の記事にまとめました。

有栖川宮継嗣 威仁親王は文久2(1862)年1月13日に有栖川宮幟仁親王の5男として誕生した。有栖川宮は江戸初期に創設されたが当初は高松宮と称していた。のち有栖川宮と改めて霊元天皇の子孫が代々継承していた。長兄の

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海軍皇族軍人伝

海軍皇族軍人伝

 戦前、成年皇族は基本的に陸海軍で現役武官として勤務することとされていました。海軍で勤務した皇族をとりあげます。

はじめに 明治天皇は、皇族男子は陸海軍において現役武官として勤務すること、ただしすでに年長のものは免除するという御沙汰を下し、それにともないほとんどの皇族は陸海軍将校として勤務することになる。これは明治43(1910)年の皇族身位令で明文化される。
 明治天皇、大正天皇には成長した男

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