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ウエストランドを見て「毒舌漫才」について考えてみました

こんにちはRYUです。父が亡くなったことで1週間遅れの話題になってしまいましたが、皆さん2022年のM-1グランプリは見ましたか?本格的な毒舌漫才が持ち味の「ウエストランド」が優勝しました。
M-1は「2名以上の漫才師」が出演条件であり、大道具などは使わずに話術で笑わせる「王道の漫才」がこれまでの受賞者の特徴でした。今回のような「毒舌系」の受賞は、過去の歴史の中でもかなり珍しい結果であると思います。

そして、もうひとつ気になったのですが・・・ウエストランドは「毒舌」ではなく、「悪口漫才」と表現されるケースも多いんです。

なぜ「毒舌」ではなく、よりネガティブな「悪口」と評されてしまうのでしょう?今回はそんな疑問を紐解くため、「日本の毒舌芸人の歴史」について考えてみました。結果から先に申し上げると、かなり深い問題でした・・・。

初代「毒舌」はこの方

まず日本の芸能の歴史を見てみると、毒舌の元祖は「落語」であったようです。既に江戸時代の古典落語には、人を笑わせるテーマの中に「社会風刺」というスパイスが入っていました。この流れから戦後「毒舌」で最初に話題になったのは、この方だろうと思います。

2011年に亡くなった談志さん

落語家の立川談志さんです。1963年に真打に昇進した談志さん、古典落語を斬新な独自解釈をもとに再生し、「落語会の風雲児」と呼ばれました。世間に対しても、常に挑発的な「ブラックユーモア」を連発した方です。ただ談志さんの毒舌の本質は「本音を言う」部分にあり、政治思想の背景はありませんでした。「むしろ体制派」であったことは、かつて自民党から参議院議員になったことからも伺えます。談志さんは落語会の重鎮となり人気を博しましたが、「笑点」の出演者と険悪になったり、落語協会分裂の中心人物になったり・・と、「本音ゆえの軋轢」が常に伴ったようです。

2代目「毒舌」はこの方

次に、談志さんの正統な後継者と思える方がこちら。ご存知ビートたけしさんです。コンビ漫才「ツービート」の頃から毒舌ネタで一世風靡し、長くパーソナリティをつとめた「オールナイトニッポン」でも人気となりました。

現在も変わらぬ毒舌!のビートたけしさん。

若かりし頃のビートたけしさんの毒舌は、談志さん以上に挑発的でした。ツービート時代の1980年に発行された著書「あっ毒ガスだ!」(ワニブックス)には、代表作?「赤信号みんなで渡れば怖くない」など、世間の常識を嘲笑うようなネタが並んでいます。

しかし、この標語も裏返してみると・・・「じゃ、あなたは信号を守っているのか?」という風刺の要素が含まれています。当時は自家用車の保有台数の増加につれ交通事故が劇的に増えていましたが、歩行者が信号を守らない風潮もこの頃から目立っていました。たけしさんの毒舌の本質はイジメや差別、揶揄ではなく、談志さんと同様「本質を突く」ところにあったと思います。たけしさんは「雑誌フライデー襲撃事件」を起こして有罪判決を受けたこともありますが、意外なことに政治に関与する発言がほとんどありません。

3代目「毒舌」はこの方

そして、「毒舌の継承者」3代目はこの方たち。爆笑問題です。

既に34年のキャリア。ベテランです。

コンビ結成は1988年。時事問題を導入部分に用いて漫才を始めるスタイルが当時は斬新でした。初代毒舌?の談志さんにも評価され、御本人たちもビートたけしさんを尊敬しているそうです。しかし太田さんもかつて「風刺をしたことは一度もない」と語っており、「毒舌だけど反体制ではない」ネタとキャラでした。

毒舌芸人の共通点

ここまで見ると・・紹介した3組の毒舌芸人は共通点があります。

1.毒舌ではあるが政治的な発言はあまり無い
2.関東出身で、関西出身の芸人がいない

そして、この共通点は今回M-1優勝したウエストランドにも当てはまります。民主主義社会の日本では、悪い政治があれば批判や風刺していいハズなんですが、なぜ日本の芸人は「政治に対する風刺・批判」をしないんでしょう?おそらく政治風刺にまで踏み込んだ日本の芸人は、「ザ・ニュースペーパー」「ウーマンラッシュアワー」くらいです。

そして2の方は・・・考えてみたら大阪では横山ノック知事、太田房江知事自時代に長く府政の腐敗が指摘されていたこともあり、関西では特に「風刺や批判がない風土」があったのかも知れません。

日本で「毒舌漫才」が受け入れられない理由

そんな私の疑問を、既に「東洋経済ONLINE」がまとめてくれていました。
欧米では「政治を風刺する笑い」のジャンルが確立されており、特にドイツでは地域ごとに政治風刺する毒舌芸人「カバレティスト」が存在して国民に支持されているそうです。

ドイツではこうした風刺芸人が「社会のツッコミ役」としての地位を確立しており、彼らの風刺を見て「相方」の国民が反応する関係が構築されています。民衆の側が社会問題への関心度が高くないと、こうした関係は成立しません。

残念ながら、日本はこの部分が決定的に違います。日本は戦争に負けたことによって欧米から「民主主義」を受け取った国。自分たちで苦労して勝ち取った民主主義ではないので、政治や社会問題への関心が低く、ゆえに政治や社会を風刺する芸人も支持されない風土がある・・というのが東洋経済ONLINEの結論です。

確かに、日本では「政治に対する批判」と「個人への悪口」を一緒にしてしまう風潮があるように思います。この部分を一緒にしてしまうと、個人への悪口(=誹謗中傷)と、選挙で選ばれた責任ある議員の不正を攻めること(政治的批判、風刺)は、どちらも「してはいけないこと」という結論になってしまいます。国民に選ばれた責務を負う政治家は、常に国民から厳しい目で見られて当然だと私は思うのですが・・・。最近、日本で宗教問題やら汚職問題が次々に発覚しているのは、こうした「国民の政治への無関心」と無縁ではないと思います。

ウエストランドのネタは毒舌?悪口?

ではウエストランドに話を戻して、彼らのネタが毒舌なのか?悪口なのか?検証してみましょう。以下の例はYoutuberを風刺したネタです。

河本: YouTuberにあるけどタレントにはないものは?
井口: Youtuberは再生数に取り憑かれておかしくなっている!
    若くして大金を得ているからまともではない!
    それが明るみに出て警察に捕まり始めている!
    金の盾を持っているヤツはいずれ全員警察に捕まる!

・・・・といったネタですが如何でしょうか?大金を得ているYoutuberはごく僅かですが、中には炎上するような問題行動をする方もいますし、逮捕されたYoutuberも実際にいます。

ウエストランドのネタは見る限り「事実に基づいた風刺」であって、罪のない個人を誹謗中傷する「悪口」とは意味が全く意味が異なると思うのですが、どんなものでしょう?いつの日からか?日本では「自粛」の意識が強くなりすぎたように思います。

M-1審査員も示唆していた

実はM-1審査員も、芸人の側ではなく観衆(=日本国民)の側の、この問題について触れていました。

●立川志らく
今の時代は人を傷つけちゃいけないってなっているけど、あなたがたがスターになってくれたら時代が変わる。そういう毒があるのが面白いので、これが王道になってほしいという願いも込めた。

●松本人志
こんなちょっと窮屈な時代なんですけど、キャラクターとテクニックさえあれば、こんな毒舌漫才もまだまだ受け入れられるという夢を見ました。

志らくさん、松本さんのコメントを見ると、現在の芸人の世界には既に有形無形の「制限」があり、「無毒な笑いを要求されている」ことが伺えます。しかし、無毒な笑いで民衆の関心を政治や社会問題から反らすことに漫才や落語が利用されてしまったら?芸人の存在意義はどうなるんでしょう?

そう考えると、「政治や社会問題への批判・風刺」と「個人への悪口
」を見極められる目を持つことが、我々の側に求められていると思います。
「日本人が政治や社会の風刺を受け入れないのは、日本に民主主義が根付いていないから」という深すぎる結論になりましたが、こんな示唆を与えたこと自体、今回のウエストランドの受賞には意義があったんじゃないでしょうか?皆さんはどう思われますか? (RYU)