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アドパブリシティ創業者である父が亡くなりました

こんにちはRYUです。私的な記事で恐縮なんですが・・・アドパブリシティの創業者であり先代社長である私の父が、本日午前中、名古屋市内の病院で亡くなりました。85歳でした。3年ほど前から肺がんで入退院を繰り返していたのですが、最期はコロナウイルスも併発していました。

前日の夜も病院から呼び出しを受けたのですが・・・この時すでに血中酸素濃度が低下しており、危険な状態だったようです。

中村日赤病院ロビー

そして今朝、「容態が急変した」との連絡が再び入り、弟と病院へ。

コロナ陽性だったため、病室はバリケードされてます。

医師から状況を聞くと・・・どうやら酸素マスクを自分で外したらしいです。医師が防護服で病室に入って確認したところ、すでに息はなく臨終が確認されました。家族も病室に入ることはできず、モニターで見た横顔が最後でした。

モニターで見た顔が最後に。

取り急ぎ葬儀を手配し、午後再び、遺体搬出のため病院へ。ご覧のとおり、
殺菌して完全に密閉されており、全く様子がわかりません。搬出してくれる病院のスタッフも防護服姿です。

病室から搬出された父

葬儀については家族で協議したのですが・・・ご覧の通り顔を見てお別れすることもできないため、家族葬も行わず、やむなくこのまま火葬することになりました。実にあっけないお別れでした。

あっけない最期でした。

父が持ち込んだ荷物も同時に返却されたのですが、3日間は開封不可。荷物には「COVID19」のステッカーが貼られています。ここまでする必要あるんだろうか・・?

荷物もこの通り

振り返ってみると、先週コロナ感染のため救急車で搬送された際が、直接父に会った最後の機会になりました。

救急搬送される父(先週)

こちらは11月に、母の通院時に撮影した両親・弟とのカット。「こんな画像、あと何回撮れるだろうか?」なんて話していたら・・・本当にこれが4人家族の最後の画像になりました。

母、弟、父、私

実はうちの父、家には帰ってこない人でしたし、私が子供の頃から問題ばかり起こす人で、常に厄介で疎遠な存在でした。軽蔑したことはあっても、尊敬したことなんて一度もありません。
しかしながら・・・仕事の方では広告デザイン会社を始めた時点で高度経済成長の時代になり、時代の波に乗れて好い人生を過ごせたのではないかと思います。また同業者間では多くの友人もいたようです。

今はただ、先代社長というより父として、
安らかに眠って欲しいと思います。 (RYU)

54年前の私と父。私の不安な表情が親子関係を物語ります。