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新年&60周年のご挨拶に替えて、60年前を振り返ってみました

明けましておめでとうございます。アドパブリシティのRYUです。内輪な件で恐縮なんですが、2024年に我が社は創業60周年を迎えます。社内の60年前の画像や資料はあいにく残っていないのですが、今回は「60年前(1964年/昭和39年)に何があったのか?」を振り返ることで、新年と周年のご挨拶に替えさせて頂きたいと思います。

1.東京オリンピック開催

1964年と聞いて、誰もが思い浮かべるのは東京五輪でしょう。初の日本開催五輪となり、日本が16個の金メダルを獲得したこの大会、単なるスポーツの祭典ではなく「戦後復興」から「経済成長」への節目であったと評価されています。

1964年東京五輪開会式

ちなみに40代以上の方には、「体育の日=10月10日=東京五輪開会式」という認識があると思いますが、「夏季五輪なのに10月」って不思議に思いませんでしたか?10月10日~24日の期間に設定された東京五輪、夏季を避けた理由はなんと「暑いから」!!だったそうです。60年前に既に、日本の暑さが選手に与える悪影響が考慮されていたんですね。なぜ2020年(2021年に延期)の東京五輪は猛暑の時期(7月23~8月8日)に開催したのか?と少々疑問になります。

2.東海道新幹線開業

2番めの項目は、日本の経済成長を支えてきたインフラ「新幹線」です。東海道新幹線は1964年の10月1日に開業。まさに東京五輪にあわせたスタートでした。現在の700系新幹線の最高営業速度は270km/hですが、創業当初の新幹線「0系」は210km/hで、東京=新大阪の所要時間は約4時間。乗車料は2,460円だったそうです。当時の都バス乗車料が20円、大卒初任給が20,000円前後だったことを考慮すると、おそらく現在の25,000円くらいに相当すると思われます。飛行機に次ぐ高価な乗り物だったのですね。

東海道新幹線開通式

0系新幹線には、軽食を提供する「ビュッフェ」車両(35/37系)が連結されていました。私を含む50代以上の人にとっては懐かしい光景です。

東海道新幹線ビュッフェ車両。立食です。

東海道新幹線のビュッフェ車両は、新幹線が博多まで延伸したタイミングで導入された「食堂車」と入れ替わる形で、1982年頃に消滅したようです。昨年は車内販売さえ消滅した東海道新幹線、慌てて飛び乗ったら?到着するまで何も食べられなくなってしまいました(汗)。

3.電子卓上計算機

3番目の項目は「電卓」です。早川電機(現在のシャープ)が世界で初めてオフィスで使えるサイズの電子卓上計算機「CS10 A」を発売したのが1964年でした。それまでは東証一部上場の大企業であっても、売上の集計は算盤(そろばん)などの人力が頼り。現在の「DX」にあたる省力化の効果は絶大だったそうです。また、こうした機器を開発した技術がその後の半導体開発技術に繋がっていきました。ちなみにこの計算機、当時の価格は535,000円!自動車が購入できる金額だったそうです。

4.JFK暗殺

時事問題では、JFKことケネディ大統領が暗殺されたのも1964年です。射殺した犯人が「口封じ」に消されてしまう・・・という闇が深い事件でしたが、60年が経過した現在では、事件にCIAやマフィアが関わっていたことが明らかにされています。現在開示されていない当時の機密文書は、残り僅か1%!私たちが生きているうちに、新しい発見はあるのでしょうか?

暗殺直前のJFK

その他、1964年の国内の時事問題としては佐藤栄作首相の誕生、東京の深刻な水不足(東京砂漠)、新潟地震、海外旅行の自由化などがありました。

6.ヒット曲

それでは文化のほうにも目を向けてみましょう。この年のヒットチャートは以下の通りで、演歌と歌謡曲が全盛です。60年前ともなると、存命の方が少なくなって寂しいです。

7.流行語

2023年の流行語は「増税メガネ」ほか多数ありましたが、「流行語」は常に世相を反映していますね。1964年の流行語上位はどうなっていたでしょうか?

【1964年の流行語】
■俺についてこい (女子日本代表バレー監督の著書タイトル)
■カギッ子 (団地にすむ共働きの子供たち)
■カラ出張 (予算を虚偽の出張費を請求すること)
■東京砂漠 (東京の異常渇水)
■シェー (赤塚不二夫さんの漫画キャラのセリフ)
■みゆき族 (銀座みゆき通りを徘徊するハイティーン)

「カギっ子」「みゆき族」あたりには、日本が経済的に徐々に豊かになっていく過程の光と闇を感じます。近代化が始まると同時に、そのしわ寄せが明らかになったのもこの時代だったのかも知れません。

8.1964年生まれの有名人

最後に、この年に生まれた有名人を見てみましょう。仕事盛りの年代なので、現在各界で活躍されている方ばかりです。

そんな中で、いちばんお若く見えたのがこの方。「いとうまい子」さんです。

名古屋市出身で、10代でアイドル歌手としてデビューした彼女。その後は女優に転身したほか、最近は実業化や研究者の肩書で活躍されています。ちなみに私自身も1964年生まれなんですが、彼女が通学していた女子校は私の母校の隣にあり、当時は市役所前のバス停でよくお見かけしたのを思い出します。今後も活躍して頂きたいです。

以上、60年前を振り返ってみましたが、如何でしたか?さすがに60年は長い!と感じます。この間にはオイルショックや円高、戦争やパンデミックなど深刻な逆風もありましたが、10年で90%の会社が消滅すると言われる状況の中で、我が社も60年の間、よく続いたものだと思います。

但し今後存続できるか?は、新しい時代に対応出来るか?次第。次の10年に向けて、3DやAIなど、新しい技術の習得を進めて行きたいと思います。(RYU)