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僕が専属コーチをはじめる理由

前回の記事でお知らせした通り、自身の新たな事業として『※ 君だけのコーチ 』という、専属コーチのコンテンツを始めることになりました。
(※ 2022.6.30 注釈⋯現在は「FOOTBALLERS」という名称に変えています)

なぜ、専属コーチをはじめようと思ったのか

チームでコーチをするというのではなく、なぜ 専属コーチ を始めようと思ったかを、今日は書きたいと思います。

僕は子どもの頃から
「みんなと一緒に何かをする」
「みんなと同じことをする」
ということが苦手でした。苦手を通り越して、正直これはもう、かなりの苦痛だった。

幼稚園の入園式の日に、先生に「みんなで一緒にトイレに行きましょう〜」とか言われ、周りのみんなは「はーい」とか言ってトイレに行く中、僕だけは「別にオシッコしたくないのに何でいかなきゃいけないんだ」と思って、強情に「行かない」って言った記憶があります。

こんな小さい頃からそんな感じだから、この性分はもうホンモノの筋金入り 笑。僕以上に変わり者で突き抜けていた、父親の影響だと思っているのだけれど。

学校の授業もそう。勉強も体育も。これは自分に本当に必要なのか、先生はずっと黒板に文字だけ書いてて僕らはそれをノートに写すだけなら授業なんかしなくてもいいじゃんか、と本気で思えて苦痛で仕方なかったし、体育だって、みんなの前で苦手な跳び箱やマット運動をやらされて、上手くできなくて、みんなに笑われて恥ずかしい思いをした苦い記憶は、今でもハッキリと残っている。

今サッカーしてる子達だって、そう思いながらやっている子はたくさんいるんじゃないかと思うんです。カテゴリー問わず。

人はみんな違う。心も体も、発達・成長の速度も度合いも、生活環境も、バックボーンも含め何もかもが、一人一人違う

もちろんサッカーはチームスポーツだから人と一緒にやるものだけど、でも、コーチひとり 対 選手みんな、という構図だけで最初から最後までやるという設定自体に、もう無理があると思うんです。今やってるその練習、その子にはまだ必要ない、もう必要ない、まだ早い、そもそもまだ無理⋯とか。そんなミスマッチが、日本中でたくさん起きてるんだと思う。

だから
「みんなと一緒に、みんなと同じ練習」をやっている時間ではまるで補えない、目が届かず、手も届かないところに、僕が目を配り手を出そうと思いました

今までと、これから

この記事のトップ画像のように、選手を雨から守る傘のような存在 になりたい。

自分が教えるチームで面白いサッカーをしたいとか、良い選手を輩出したいとか、少しは結果を出したいとか、自分のチカラを証明したいとか
昔はそう思っていた。

でも今はそんなことにはもう、1ミリも1ミクロンも興味がなくて

今は、証明も結果も評価もいらない、とにかく、貢献がしたい。
目立つ場所から外れたところにいる、悩みを抱えた選手一人一人の味方になり、寄り添いたい。そんな存在になりたい、と本気で思いました

君だけのコーチ というネーミングにしたのも、そんな想いがあったからです。

これは、これまで27年間コーチ業をやってきた自分が現段階でようやく辿り着いた境地、と言えるものなのだと思ってます。

いつでも、誰でも、連絡してください。


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