見出し画像

今まで傷つけたぶんだけいつかの誰かを救えるわけがなかったとしても

いつの間にかなくなったものというのが人生にはたくさんある。
大切で失くしたくなかったものがいつの間にか輝きを失って記憶の彼方に忘れ去られて深層心理の谷間に落ちてい様。素敵な思い出が、自分の知らない間に次々と闇に葬られていくこと。失くしたくないもの、思い出せなくなったもの。さまざまな事情から失くしてしまったこと、もの、人。
大切にしたかったすべて。大切だったという事実。戻らない過去。置くべき場所に置いて来られなかった塊を抱えて生きるすべての人々。
それでも今を生きる私たちはやっぱり現実世界がいちばんであるべきだと私は思っている。

喪失を恐れないってそもそもなんなんだと考えてみたりして。
その先にある何かを掴むこと故の喪失は付き物だという考え方を、否定も肯定もできない私には、ただ変わりゆくものの変化を止めることはできない。
今まで傷つけたぶんだけいつかの誰かを救えるわけがない
と、歌っていたのは誰だっただろうか。

失くしても生きていける。それは絶望でもあり、また希望でもある。
ぽっかり抜けた空洞が埋まらなくても生きていける。私はそれに救われ
時にそれがとてつもなく無粋に思えて、仕方がない。

破壊と修復を繰り返すなかで、当初確かに存在したはずのものは時の流れとともに、新たに違う形に変わる。
変わりゆく形を受容したり、否定したりしながら、修復を繰り返すことは私にとってとても有意義で意味のあることだ。大切なものはずっと大切にしていたいし、いちばん近くにあってほしい。例え、それが昨日までのそれではなくなったとしても。
他者との関係とはそうやって作っていくものだと真に思ってきた私は、今となっては自分が正しいのか間違っているのかすら、わからない。
けれど、失くして初めてその大切さに気が付くとはよく言うけれど、本当の意味で気がつくのはいつも再び向き合えた時だったような気がする。

ちっぽけな私が、いつかの誰かを救えるわけなんかなかったとしても、それでも。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

525,563件

#眠れない夜に

69,281件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?