ADHDと将来の夢

今日は薬を忘れてどうなることやら…と思いましたがなんとかなったりりあんぬです。

そうそう。頭がざわついても、心がそわそわしても、死ぬわけじゃない。

超しんどいけど!(笑)

ふと、ADHDじゃなかったらどんな人生だったかなって考えることがあります。

子供の頃、最初に描いた将来の夢はお医者さんでした。マザー・テレサの自伝を読んで、人のためになにかしたいと思っていました。

しかし、母には「お医者さんになるには算数ができないといけないんだよ。」と言われました。わたしは算数が苦手だったし、そのときにはすでに「なんでできないの」の呪いにかかっていたので、(きっとわたしには無理なんだ)と思い、早々に夢を諦めてしまいました。

小さい頃からラジオが大好きだったので、お医者さんが無理ならラジオパーソナリティになりたい!と思うようになりました。これもまた「ラジオでおはなしできるようになるにはいろんなことを知っていないとだめなんだよ。」と母には一刀両断されてしまいます。

夢を持てといいながら、あなたにはできないと言われるのは辛かったです。なんやねん!と思いつつ小学生の後半は「将来の夢はありません」とかいう子供になっていました(笑)

中学校に上がった頃、「地雷ではなく花をください」という絵本を読んで、

国連職員になりたいと思うようになりました。その頃ちょうど911があってテレビでは反戦運動だったり、紛争だったりについての報道が毎日のように繰り返されていました。
戦争をなくしたいという気持ちは当時の自分にしてはかなり強く、自分なりに反戦活動というか、当時出始めのインターネットに自分で書いた絵を載せたり、友達にメールを送ったりしていました。小さな活動家ですね(笑)

戦争をなくすには国連職員になって世界のために働くのがベストだと思い、国連職員になりたいと思うようになりました。英語と世界史をものすごく頑張って勉強したのを覚えています。この夢は高校生になるまで持っていました。

ここでもまた(なんでできないの)の呪いが発動します。とにかく数学ができず、母に「国連で働きたいならこんな成績では無理だよ。みんなもっともっと頭がいいし努力しているんだよ。」と言われてしまいます。たしかにそのとおりです。それならそのぶん頑張ればよかったのですが、だめな私には無理なんだと思うようになってしまいました。今思うとこのとき、ウルセーーーでもなるんじゃ💢国連大学の学費まで出せや💢くらい言えればよかったかもしれません。

そんなこんなで将来のビジョンを失ったとはいえ、大学受験がせまってきます。毎日のように学校でも塾でも家でも将来はどうするのか〜と聞かれます。
じゃあ…と思って、洋服が大好きだったので服飾系大学の進学を希望したところ、親も学校も猛反対でした。

まじでなんやねん!!!!!!!クソ!
完全に行き場を失いました。行き場を失いすぎて、自信も失いすぎてまさかの大学受験全落ちしました。結構名の知れたエスカレーター式の私立に通ってたので、ある意味歴史に残る快挙ですね。すごい!(すごくない)先生も親もポカン…。卒業時に進学先貼り出されるんですけど、まあ私の名前がないので同級生みんな混乱してました。辛かった…。

見かねた両親が、「お前は甘えているからこうなったんだ!というわけでアメリカに一人で行ってらっしゃい」ということになり(なんでやねん)、18歳でひとりぼっちで渡米することになりました。なんでアメリカなんだよ!と思いますが、親戚がたくさんいたからです。広島県民あるあるですね。(親が広島出身者です)

渡米在学中に、political scienceに出会い、これ天職かも!諦めた夢も叶えられるかも!?と思い卒業して、帰ってきて日本の大学に編入して国際政治を専攻しました。まあもう本当に楽しかったです。
いつになるかわからないけれど、いつか幼い頃の夢を叶えたいという気持ちはいまだにあります。

と、いいながら今の私は小さな会社で事務をしています。それすらもままなってないから…夢のまた夢かなあと思います(苦笑)

小さい頃からたくさんの夢を描いてきました。
だけどすべて【なんでできないの】からはじまる呪いの言葉で諦めてきました。自信を持つことができなかった。どうせだめだと決めつけてきた。頑張れなかった自分が悪い。だけど頑張れない自分を作ってきた環境にだって非はある。

ADHDじゃなかったら。

もしかしたらもっとはやく叶えられた夢もあったかも。

ADHDじゃなかったらなんて、思うだけ無駄だけど、時々考えてしまいます。
…まあ、そのぶんこれから頑張ればいいよね。(笑)

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