脱・噂の君したいねって無理な目標

『噂とちょっと違う君が、わかってくれる、忘れられないの』って歌詞に魅了された中学2年生、当時14歳。比較的古い型番になってしまったiphoneで深夜のネットサーフィン中の私が、ボカロ厨から邦楽に音楽の軸足を移した転機。当時好きだった男の子が、典型的な面倒な厨二病にかかっていて、そのイタイケなバカ具合が好きだったから、彼が私にとっての『君』だったし、彼は実際に私のことを『わかってくれ』ていたような気がする、たぶん。でも私が好きだったのはきっと『噂の君』であって、『君』じゃなかったんだ、って気づけたのは私がみんなの『噂の君』になり始めた後だった。ごめんねってまあまあ、思ってるよ。花火大会は行けなかったけど、つけ麺食べにいった帰りに交差点でちゅーされたけど、満更でもなかったけどガチギレして「捨てられたって事実」をなかったことにしたくて女性特権を盾にしたけど。まあまあは申し訳ないって思っているよ。全部嘘だけど。


先日、ZOCのもはや恒常化したパワハラ騒動を契機に卒業を表明した、巫まろこと福田花音が当時、彼女のnoteの好きな曲紹介に載せていた曲が“ノスタルジックJPOP”だった。それ以来、ウオークマン本体と、付属のビビットピンクの収納性が低いデザインのイヤホンでそれを聴きながら、高い偏差値の割に組織体制はあまりにも“自称進的”だった中学から1時間かけて帰宅しようと、JR大阪環状線に乗る最中の私のバイブスは、大森靖子に支配され、愛されていた。

人生で一番好きなアイドル(だった、今も好きだけど)は工藤遥と福田花音。ハロプロエッグの存在に救われた学生時代を過ごして、今。工藤遥様は俳優になって、かにょんはZOCになって、そのZOCもぶっ壊れた(この表現が適切かはさておき、そんな感じに第三者からは見えている)。バーイベは行けなかったし、チケットも取れなかった。私は、チェキとかそういうのは興味のない自宅オタで、友達に誘われてZeppのライブファイナルに一回行っただけ。ただそれだけの薄いオタク人生。

推しという概念は正直よくわからない。私は自分のことが大好き(なふりをして生きている)なので、他人に何百万も貢いで、推しと同じ空気を吸いたいとか、会いたいとか、そういうの、正直あんまり理解できない。アイドルは私にとって、ずっと偶像でいい。求めるアイドル像とか、プロだからどうとか、興味ない。生き様がとか、クソほどどうでも良くて、彼女らは私にとっては「ただ生きているだけで、この世界に存在している事実が美しい女」でしかなくて、別にアイドルを辞めても、グループが離散しても、私の人生には関係ないし、落ち込んだりはしない。

零細企業でも曲がりなりにも社長っぽいことをしている身としては、地下ドルの交通費が出ないとか、叱責で大声で怒鳴るとか、所謂世間でいうところの“コンプラ違反”っぽいことが罷り通る組織環境は、おそらく悪かっただろう、とは思う。実際、音声やら証拠みたいなものが断片的にでも世に出てしまっている時点で危機管理不足だな、と自分が社長業をする上では考えざるを得ない。どっちにしろ世間に「あーあ」と思われた時点で“負け”になるのが経営者なので、誰が悪いとか良いとかそういう勧善懲悪の話ではない。社長として負けるか勝つか、人間として正しいか悪いか、という話。

それでも、「それってダメなことだよ」と『とある問題ですらなかった誰かの置き去りにされてきた痛み』を、『みんなの問題』だと口にし続ける側の人間のストレスが途方もないことを知っている私は、靖子ちゃんを大嫌いにはなれないのだ。エモい気分に浸りたいだけで、女性歌手が好きなだけなら別にいつも通りaikoを聴けばいい(普通に好きなのでディスをしているわけではない。メジャーだという文脈)。ヤングスキニーを聴きながら安いビジホでセックスして、煙草を吸っている男を見ながらコレサワを聴けば、自己犠牲を伴ってでも“私が人生の主人公ごっこ”は気軽にできるじゃん。そういう時代じゃん。

それでも私のカラオケのおはこは、デュエットだから点数が伸び悩むのにわざわざ低得点のリスクを負ってでも選曲したい“Re Re Love” と“無修正ロマンティック”なんだ。その私の陳腐なプライドらしきものすら、他人のアーティスト性に衣を借りた暴力かもしれないけれど、そんなものを自分のアイデンティティの一部かのように大声で列挙することはダサいかもしれないけれど、ダサいと批判されても別に「あらそう」とシカトできるぐらいには大森靖子を嫌いになることはできない。ZOC周辺の諸々の事実は知らないし、興味もない。後から、実はセクハラやらパワハラがあっただのと言われて、「京香さんはフェミニストなのに、それは好きだって理由で許せるんですか?」と聞かれたら凄く立ちすくんでしまうだろう。ただ、私が大森靖子を好きだってことは私の中の正義なのであって、その正義を断罪される権利を他者に与えないつもりだというだけ。

みんなが気づいていたり、気づかないふりをしたい女の子の心の苦しさに言葉を付与して、それを『言葉にできるだけ』で『その賢さや強さを持ち合わせていた、獲得してきただけ』で、不特定多数の強者や特権者から迫害されるって、きっと賢い彼女は言葉の輪郭に触り始めた頃からわかっていただろうに、それをずっと書き続けるなんて、どんな勇気が必要なんだろう。

私はまだ色々に人に怒ってばかりで『噂の君』にはなりきれないままなのに。『結婚するわけじゃないけど ペットボトルでキスとかするかも』って思ってるうちに離婚調停まで進んでしまった私の恋愛に関する異常行動癖は治らない。もっと頭が悪ければ、『噂の君』になれたし、『笑笑』って適当にLINE返して人のこと弄んでいる側の人間になれた。

『返事はいらない』って女の子が言う時は、返事しか待っていない時なのに、全くそんなことも変わらずに女をメンヘラ扱いする大っ嫌いでこの曲の良さが理解ができない元彼たちには、絶対に“ノスタルジックJPOP”が一番好きな曲だって教えてあげなかった。aikoの“アンドロメダ”と”プラマイ”が好きだって言って、私の本当に大好きな曲は絶対に教えてあげないという小さな絶対に誰も気づくことがない嫌がらせをしていた。花束みたいな恋をしたの絹ちゃんが麦くんにラーメン巡りが趣味なことは、ほとんど話してなかったみたいだけど、その気持ちが凄くよくわかる。『噂の君』とのゴシップで人生がいっぱいいっぱいの人たちに、本当に好きなものは知られたくないもの。昨日あげたお金でパチンコに行くような『噂の君』を好きって言い張る頭の悪い女が私だってことも知られたくないしね。

fin.

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