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プロローグ3 ~さらに人とは違うことを思い知らされた高校時代~

みなさん、今日もお疲れ様です。

ADHDに悩む大人です。
今回で3回目の投稿となります。

今までは、
・人と違うことが発覚した小学生時代
・違うことを自覚しながらもがき続けた中学生時代

を紹介してきましたが、今回は高校生時代です。

高校時代はさらに人とは違うことを自覚せざるを得ない時期でした。

やはり叩かれながらも親元で暮らしていたため、なんとか他の人とは違うといえども、なんとか人並みに近い状況をキープしていました。

ところが親元を離れてしまうと、せき止められていた何かが一気に溢れ出します。

・部屋の片づけ
・宿題・提出物
・時間厳守
・モラル

これらが全部うまいことができない。
中学の時よりも更に痛感させられることになりました。

高校当時は4人部屋の寮で生活していました。

片づけができずに、同部屋の住人から「片づけろよ!」と言われてしまう。

宿題・提出物をこなすことができない。結果、未提出や遅れて提出。
勉強も全く手につかない。結果、中間・期末テストの成績も目を覆うばかりの点数。

「〇時に集合」と言われてもすっかり忘れてすっぽかす。

これらのことが一気に噴出しました。

「学年で一番雑な人間」という有り難くない称号ももらいました。

なぜ中学までは辛うじて人並み近い生活が送れていたのか。
それは、叩かれながらも監視されていた「親」がいた中学生までは爆発しないように抑えてくれていたのだと思います。「鉄拳」「罵り」という手段で抑制することに怯えながら従っていたのでしょう。

高校からはその親元から離れ、解き放たれた。
当時はそう思っていたのですが、新たな環境で生活を始めて、初めてここまでいい加減な人間であることに気づかされたのです。

それでも自分は人より劣っていることしかわかりませんでした。
病気である、障害であることには全く気づきませんでした。当時はADHDという障害を知る術がなかった、メディアも取り上げることがなかったのだろうと思います。
なので、僕は人より雑で堕落した人間であり、この先この性格のまま生き続けないといけないという思いだけを抱いていました。何も解決する答えを持っていませんでした。

学校の成績も当然かなり下の方でした。それでも大学の附属高校だったことで、ギリギリ進学することができました。

次回は大学時代について書かせていただきます。

※注意力散漫が原因で誤字・脱字、文法がおかしいままUPしていることがあります。もしおかしいところがあればコメントやTwitterでご指摘ください。
自分で気づいた場合は都度修正いたしますので、再度読まれたときに文章が変わっていることもあります。ご了承ください。

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