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幼い頃の記憶



1.私の生まれた場所

私は埼玉で生まれ育った。あの頃の町は工業地帯で、黄色い電車が走っていた。私たちの家の周りには精肉店や八百屋さんがあり、毎日通ったパン屋さんでは、チョココロネを手に入れるために頻繁に立ち寄った。

また、家族と一緒に食べた醤油ラーメンが美味しかったラーメン屋さんもあった。商店街には、昔から顔なじみだった店舗が並んでいた。

2.初めての転校

私が小学校4年生の時、父の転勤で家族全員で北海道に引っ越すことになった。記憶はあまりはっきりしていないが、引っ越しの際には荷造りした荷物を一時的に預けて、ホテルで数日間過ごしたことを覚えている。大変な引っ越しだった。

北海道へ引っ越した場所は、オホーツク海を一望できる町だった。引っ越して間もなく、雪に覆われた銀世界になった。雪だるまを作ったり、近くのスキー場で遊んだりした。

学校は楽しい思い出がほとんどなかった。
本州からの転校生として、私ははぐれ者だった。
母はその地域の出身であり、かつて彼女をいじめていた同級生たちがいた。

田舎では楽しいことが何一つなかったのだから、いじめる他に楽しみがないのは当然だろう。いつ引っ越せるのか、早く次の場所に行きたいと常に思っていた。そして、やがて父の転勤が決まり、私たちは埼玉に戻ることになった(その後、市内で2回引っ越しをした)。

3.2009年家族解散


私が高校3年生の卒業の年、家族は解散した。
成人の日ぐらいだったと記憶している。
母親からその知らせを聞いた。学校へ通うために生活リズムを乱さないよう、最寄りの駅から歩いて通えるアパートに引っ越した。

2009年から10年間、私は大学1年生から30代前半までそのアパートで暮らした。母は私の進学に条件を出した。
まず、20歳までの養育費を支払うこと、そして4年分の学費を(教科書や必要な道具を除いて)支払うことだった。ただし、途中で退学した場合は学費を返還しなければならなかった。

2013年3月、私は無事に私立大学を4年間で卒業した。学生生活ではアルバイトもしながら努力した。

そして、2021年には学生時代から付き合っていた夫と結婚した。
夫の職場がある山梨に引っ越し、その後も夫の転勤に伴い愛知へ引っ越すことになった。

3以降の記憶あることは、また後日投稿または追記していこうと思います。


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