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私はコルクラボで「こうなりたい」

5/3の夜、一通のメールが届いた。
すでに寝入っていた私がそのことを知ったのは、翌日5/4、つまり今日の朝だった。
何故だか5:30に目が覚めた。心がざわざわしていたのかもしれない。

メールのタイトルには「コルクラボへようこそ!」とあった。
私はほっと胸をなでおろした。
だってサイトには「合否の連絡」ってあったもんね。
落ちたらどうしようって心のどこかで思ってたんだ。

そう。このメールは、コミュニティ「コルクラボ」に新しく参加するメンバーに送られたものだ。
私は今日からコルクラボの一員になる。
わくわくして思わず布団から飛び起きた。
だってクレジットカードの登録をするには、財布を取りに行かにゃあならんのだ。

ぽちぽちと必要事項を入力してから、導かれるままに情報の海を泳ぐ、泳ぐ。

平たく言えばむっちゃ楽しそうだった。

でも同時に、目的を見失ったらいけないと思った。
きっとここには、手や足を突っ込みきれないくらいの楽しいことがある。

だけど私には「やりたいこと」があるのだ。
ここにはまりすぎて「やりたいこと」ができなくなるのは、私にとって本末転倒だ。



コルクラボへの入会を決める前に、まずは夫であるけろっぴさんに相談した。
「どうかなぁ」と尋ねた私を前に、考え込むけろっぴさん。
「月一万かぁ……」
けろっぴさんはわりと金銭面にシビアな方だけど、そうでなくとも悩む値段だ(と私は思う)。

「……コルクラボに入って、どうなりたいの?」
けろっぴさんは私にそう問いかけた。
「もとがとれるなら、いいと思うよ」

その言葉に、今度は私が考え込む。
私はどうしてコルクラボに入りたいんだろう?
入ってなにをする? 誰と関わって、どんな私になる?

「――小説がまた書けるようになる。年に二回は、公募に出せるようになる」

年に二回って少なすぎないか?って言われたらもう埋まるしかない。

けれど、小説家を名乗っておきながら、長いスランプに苦しんでいる私は、とにかくそれを打開したかったのだ。


そのための策として打ち出したのが、ひとつは所属するコミュニティを見つけること。

今までの経験から、「徒川にはホームが必要じゃない?」と指摘したのは、他ならぬけろっぴさんだった。


そしてもうひとつは、自分自身を見つめる時間をもつこと。

以前コルクラボの主宰である佐渡島さんが配信したyoutubeライブで、私はコメント欄に質問を書き込んだ。

「産後なかなか小説が書けなくなり、スランプに苦しんでいます。ブランクがあると書けなくなる、ってあると思いますか?」

たしかこんな内容だったと思う。

そして佐渡島さんは、(生配信だからログがなくて記憶だよりになるけど)こんな感じの回答をくれた。

「忙しくなって自分を見つめる時間が少なくなることによって、自分が何を書きたいかわからなくなってしまうことはあると思う」

この答えを聞いた時、「ああ……」と深く納得した。
娘を生んでからの二年ちょっと、目まぐるしく過ぎた日々を思ったら、そりゃあ「ああ……」ってなるよ。


こうして生まれた二つの「打開策」。
コルクラボに入ったら、これらが両方実現できちゃうんじゃないかな、という予感みたいなものが私にはあった。

でも最終的に、私を突き動かしたのはただの「わくわく」だ。
ここに飛び込んでみたい。
ここにいなくては感じられなかったであろうことを感じて、ここにいなくては出会えなかったであろう人に会いたい。

「いいじゃん。申し込んじゃえ」

けろっぴさんはそう言って、にっと笑った。

だから私は今、こうしてこのnoteを書いている。


さきほどけろっぴさんに「(コルクラボの)このイベントに参加したいんだけど……」と話したら、「どんどんやれやれ」と返ってきた。
(これはすなわち、その間娘の面倒を見てくれるの意である)

「もととんなよ」

って言葉がケチくさく聞こえる人もいるかもしれないけれど、私にとっては最高の応援の言葉だ。

だってそこには、「だから思う存分、やりたいようにやってこい」というエールが隠れているから。


私はコルクラボに入って、また小説を書いて、
わたしの好きなわたしになります。

このnoteはそのための宣誓のようなもの。
これを見てくれたひとは、ラボメンでも、そうでなくても、もしよかったら、応援してくれると嬉しい。

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