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いびつなシラーズレッド

 そろりと手を伸ばしてそれを掴んだ瞬間、えもいわれぬ高揚を感じた。
 しつこいくらいに周囲を見渡し、そこに誰もいないことを確認すると、そのサンプルの蓋を開け、下部を捻って中身を押し出し――。

「でさー、その時ユミがー」

 不意に聞こえてきた若い女の声に、おれは慌てて『それ』を商品棚に押し戻す。
 その数秒後、女子高生らしい二人連れが、まるで「ここは私達の店だぞ」とでも言わんばかりのドヤ顔で通路を闊歩し始めた。

 すれ違いざま、片割れの女がぼそっと呟く。
「ってかコスメの棚に何で男いんの? 万引き?」
 隣の女が答える。
「ちょ、悪いじゃーん。彼女にプレゼントとかかもしんないよ?」
「彼女とかいるツラか?」
「ギャハハ! アイ、ひどーっ!」

 握りしめすぎた拳に爪が食い込んで痛い。
 女達は何事もなかったかのようにその場から立ち去り、再び化粧品売り場はおれ一人だけの空間になる。
 そこで再び『あれ』に手を伸ばそうとして――頭の中に響くのは、さきほど投げつけられた心無い言葉だ。
 おれはふるりと一度だけ首を振ると、静かにその場を後にする。
 商品棚できらりと輝く、AUBEの新作ルージュに未練がましい視線を送りながら。

 男だから、自分のことを鮮やかに彩ることを禁じられているのだろうか。
 それとも不細工だから?
 あるいはそのどちらも正解であるかもしれない。

 けれどこの衝動は、おさえることのできない衝動は、どんな言葉を投げつけられてもなおおれの中に在り続ける。
 それはきっと、おれがおれである限りずっと。

 次に入ったのは、古びた百円ショップだった。
 店内には人もまばら。レジのおばさんは退屈そうにあくびをしていた。

 ここならさきほどのドラッグストアより、よっぽどハードルが低いだろう。
 おれは再び意を決してコスメコーナーに入ると、幾つかある口紅の中から、一番鮮烈な赤を手にとり、そっと掌に握り込む。
 あとはこれをレジに持って行って、何食わぬ顔をして金を払えばいいだけだ。
 ただそれだけ。なのに。
 口紅を握りしめた手は、緊張でぶるぶると震えている。
 頭の中では、あの暇そうなおばさんが、何度も繰り返しおれのことを罵倒した。
 キモイ。オカマ。カス。クズ。

 気づけばおれは、それを鞄の中にそっと滑り込ませて、逃げるようにその場を後にしていた。
 ばくんばくんと心臓が激しく脈打つ。
 背中がうすら寒いのは冷や汗のせいだろうか。
「ありあとーございましたー」
 レジのおばさんのやる気のない挨拶が、余計におれの心拍を加速させる。

 そのまま走って、走って、誰の目の届かないところまで走って。
 おれはようやっと、焦がれてやまなかったあれを鞄から取り出す。
 パッケージをむしりとって、赤い口紅をくりくりとひねり出してから日の光に透かして見た。

 気付けばおれはおんおんと泣きながら、それを自らの唇に塗りたくる。
 鞄から取り出した手鏡の中では、いつもより不細工な赤い目のおれが、いつもよりおれらしくいびつな泣き笑いを浮かべていた。

(お題:安い軽犯罪 制限時間:30分)

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