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彗星列車

 光の明滅はそのまま呼吸を意味している。

 青白いような緑がかっているような流線形が僕の視界いっぱいに広がって、眩しいなんてものではない。うっそりとした熱をもった息遣いは、目も眩むような荒々しいまでの生を表していた。

 触れたら熱いのだろうかと手を伸ばしかけて、やめる。溶けてしまいそうだと思ったのは、まばゆいばかりのこいつらか、それとも自分の弱い心か。僕にはわからなかった。わからなくても別によかった。


「いらっしゃい」

 黒い厚手のコートを着たじいさんが、僕に声をかける。

「次の列車まではまだ時間があるよ」

 じいさんはそう言って自分の腕時計を示して見せた。

「少し余裕をもって出てきたんです」

 僕はそう答えてじいさんの横で空を見上げる。

「美しい駅ですね」

 僕がそう言うと、彼はふふんと自慢げに胸を張って髭を撫ぜた。

「綺麗にしてないと、奴らが逃げてしまうのさ。あいつらは何も無機物では無いからね」

 じいさんの頬に小さな光がすっと寄り添って二、三度明滅する。それはまるで相槌のように、優しくてやわらかな輪郭だった。


「そういえば一本通過待ちがある」

 そう言ってじいさんはもう一度時計を確認する。

「うん。もうすぐ来る頃だ」

 じいさんがそう言った瞬間、僕にはもう既にじいさんが見えなかった。

 それは一筋の、なんて生易しいものではない。溢れかかった大河のような光の奔流だった。僕の視界はまばゆい光のパレードで塗りつぶされて、けれども目をつむることさえかなわない。

「ハレーはでかいぞ。気をつけないと『もっていかれる』」

 じいさんはそう言って僕の腕をぐっと掴んだ。捕まえた、と言った方が正しいかもしれない。実際僕の身体は、迫りくる光の帯が生み出す風に煽られて、もうここではないどこかへ飛んで行ってしまいそうだったから。

「気を確かに、少年」

 じいさんの声にはっと引き戻された僕の目の前、それは確かに存在していた。透明な尾をひいたハレーが地面すれすれに弧を描き、そして消えていく。遠い宇宙の彼方にある公転軌道へ、七十五.三年越しの邂逅を経て還って行ったのだ。

「危ないところだったな」

 じいさんはそう言って僕の腕から手を離した。

「若い連中は駄目さ。すぐ向こう側に行きたがる。自分でそう思ってなくたってみぃんなそうだから、なるべくこの場所には入れないようにしてるんだ」

 皺だらけの太い指先が、懐から一本の葉巻を取り出す。その先に吸い寄せられるように光が舞い降りて、すぐに葉巻からは煙がたちのぼった。視界のあちらこちらで蛍火のように舞っているこいつらは、もしかしたら惑星になれなかった星の欠片かもしれない。だからこんなにも熱っぽく、息づくように輝いているのだ。

「――だったら、どうして僕はここにいるんでしょうか」

 そう尋ねると、じいさんは肩をすくめて、

「少年の目的が『そう』じゃないからだろう」

と少し笑った。葉巻の煙が少し揺れて、ゆうるりとまるで生き物のように、夜の空へと消えていく。

「待ち人でもいるのかい」

 じいさんがそう言って僕の顔を伺うので、隠し立てすることなくはっきりと答えた。

「はい」

 頷いた僕の目を、じいさんは試すように見つめている。帽子の影から覗く彼の目は、深い緑の色をしていた。ふわりふわりと舞う光の形に小さな輝きを宿して、その隙間に映り込んだ僕を頼りなく揺らしている。じいさんは一言だけ「そうか」と返事をして僕から視線を逸らした。

「そら、もうそろそろ到着時刻だ。しっかり準備しろよ」

 じいさんはそう言って懐から笛を取り出す。ピ、ピ、ピー、と三度鳴ったそれに導かれるようにして再び光の奔流がこの駅を訪れる。僕は目をつむってしまわないようにとにかく必死で、ぎゅっと眉間に皺を寄せながら前だけを見ていた。

 あたたかく、優しい光だった。温度でいうとひと肌くらいで、やわらかさでいったら彼女の頬と同じくらい。ああ、君はここにいるね。僕は確かにそこで彼女の存在を感じ、目を閉じる。でもその、きっとやわらかいだろう手のひらには触れなかった。だって僕は、まだそこへは行けないから。

 幸せだったかい。

 僕の言葉に、彼女は小さく頷いて、笑ったような気がした。

 滲む視界を誤魔化すように瞬きをした瞬間、その光はいってしまった。さよならをするように箒星のしっぽが二、三度揺れて、僕から、僕らから離れていく。

「その様子だと、会えたようだね」

 じいさんが笑いながら僕の肩を叩いた。

「おかえり。まぁ心配はしてなかったけどな」

 僕の背中を叩いたじいさんの目尻には、深い皺が刻まれていた。ずっとずっとこの場所で、こうやって笑っていたんだろう。僕も泣いてはいなかった。泣くことにはもう飽きたんだ。だから僕はこうしてここへやって来た。そしてここから、歩いてく。

「いってらっしゃい」

 じいさんの声と共に、背中を押すようなあたたかい風が一陣。ざあっという大きな音がして、次の瞬間に辺りを舞っていた小さな光たちは跡形も無く消えてしまった。僕の足元では一面に咲くタンポポの花がそよりそよりと揺れている。街を見晴らす小高い丘で、僕は確かに、彗星列車をこの目で見たんだ。

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