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最近のTwitterについて思うこと〜芸術表現者・知的エリートそれぞれの役割〜

 皆さん、こんにちは。はじめての投稿なので軽い自己紹介でもしようと思ったのですが、取り立てて紹介するような特徴もない会社員なので割愛させていただきます。

  私はインターネットやSNSで今までほとんど積極的な発信などをしたことがなく(リアルの生活でもあまり自分の意見を主張するのは得意でないですが^^;)、もっぱら自分の趣味やそれに関する情報を集めたり、ニュースメディアを見る程度で、受動的な利用しかしておりませんでした。

  しかし、最近SNS(とりわけTwitter)を見ていると、神経質な自分にとっては色々と頭がモヤモヤしてスッキリしなかったので、一度外に向けて発信を試みることで自分自身の頭を整理しようと思いました。

  主となるテーマが、有名人やアーティストの政治的発言、またそれに付随発展するSNSの問題です。

  最近話題となった「検察庁法改正」に端を発する芸能関係の人々の政治的発言、これに対してSNS等のインターネットコミュニティで「芸能人やミュージシャンが政治的発言をするのは残念だ」という意見や、「有名人である前に一人の国民。政治的な意見を発信するのは至極真っ当で立派なことである。」などと意見が対立しておりました。この話題以前からも芸能人が政治的発言をすることに対する賛否というものは大きく分かれておりましたが、改めてこの対立を目の当たりにして一度自分自身このどちらともつかないモヤモヤを言語化してみようと思いました。

 私個人の意見としては(これは自分の発言に対しての責任を回避するための前置きではなく、考えを性急に一般化してしてしまうことのないようにという自分自身の戒め的な前置きです。)、現時点においてSNS等で芸能人やミュージシャンは複雑で高度に専門的、また具体的な社会問題に深くコミットメントしない方がいいのではないかと思っております。(しかし、前提として対象とする人たちは高度に専門的な学術的知識持をもちあわせていない、また、それに伴うエビデンスやそれを説明する弁証的な言語による具体的表現を持ち合わせていない人たちとします。)またコミットするとしても、もっと大きく抽象的な理想や一般に普遍的理想とされること(例えば自然環境と持続可能な共生や、戦争や紛争に対する批判などの規模)についてコミットするぐらいがちょうどいいのではないかと思っております。これは、人々にある一定の形の定まっていない抽象的な理想や世界観を提示するのが芸能で成功した人間の得意分野である、と考える私の結論です。(もちろんこれに大別されない方もおられることは認識しております)

 今の状況を見るに、そういった知的階層(ここでいう"知的階層"とは上記でも少し言及しましたが、学術的・専門的知識、またそれに伴い弁証的な言語による具体的表現に秀でている度合いとします。)は低いけど社会的影響力のある人たち(とりわけ芸能関係などマスメディアによって大きな知名度を持っている者が多い。なぜなら、芸能関係や広くアーティストと呼ばれる人たちは人間の感情的な部分を揺さぶることに長けており、またそれを取り巻く大きな資本やステイクホルダーによってマスメディアに露出することで社会的な影響力を持っている。そして、そこには必ずしも学術・専門的な素養や弁証的な表現に優れた素質が伴ってはいない。)の言葉が強い渦となって世論の醸成に大きく作用してる事実があると思います。

 マスメディアの演者やアーティストと呼ばれる影響力のある人々(上記で定義した知的階層は高くない、一定の強力な発言力を持つ者)は、確かにミクロに見れば一個人ではあるものの、その影響力は普通一般の個人が発信して社会に与えるインパクトのレベルを遥かに超えています。そして、それは前述したように一個人の力で得た物だけでなくマスメディアを通した露出や一般人とは比べ物にならない多くのステイクホルダーの協力によって獲得した影響力でもあります。Twitterの呟きはあくまでパーソナルな空間であるからどんな個人の感想を発信しようが自由、という理論の上に立って拡散機能のブロックや鍵アカウントで意見を表明するのであれば何一つかまわないと思いますが、マスメディアの演者という知名度を備え、さらにはTwitterという機能の拡散力は利用して批判は一切受け付けない(誤解を与えないように言っておきますが、ここに個人の生来備わる素質や何の根拠もない執拗な誹謗中傷は絶対的に含みません)というのはTwitterというインタラクティブで民主的なメディアで極めてマスメディア的な一方通行の発信をしているのと何ら変わりません。なので、そこは自分自身の仕事やステイクホルダーに影響が出ることを加味したうえでの発言であるという責任を持ち、あまりにも勉強不足で根拠や考えの浅い発言をした際には批判は然るべき結果だと思います。

 やはり、いくら情報がインターネットやSNSで民主化したとはいえ、芸能人や芸能コメンテーターなど、マスメディアの演者がそこでも強い影響力持つのは事実であり、それを起点にある一つの大きな世論醸成は行われているのが実態としてあります。(イメージとしては「マスメディア→インターネット、SNS→世論」と言った形で下流へと流れる構造です。)

 また、それに対してSNSという芸能関係のインフルエンサーが圧倒的に優位な影響力を持つコミュニティでにおいて、それに対抗しようとする知的階層が高く、それによって社会的に成功し影響力を持つ所謂"エリート"的な人々が知的階層の低い人たちにリーチするためにわかりやすくセンセーショナルなワードや安易な方法で人々を扇動している状況も問題をより根深くしている要因であると考えています。

 前述したマスメディアの演者ではない知的エリート層は今一度その役割を強く考え直していただきたいです。知的エリートも結局は大きな資本に飲み込まれ、それによって自分が所属する実態のない大きな派閥(例えば安倍政権の政策に一つでも賛成または反対しようものならそれだけで、右派だ左派だのを短絡的に大別したような特に実態のないコミュニティ)であったり、自分へのアクセス獲得に奔走するため、知的階層の低い人々に短時間でリーチできる発言しかしていない実態がある。だから、たとえ時間がかかろうとも、もう少し一拍置いて何かを問いかけ、知的階層の低い人々にも考える時間を設けさせるような発言をしていただきたいと強く私は思っております。SNSのコミュニティがセンテンスではなく、ワードにしか反応しないほぼ脊髄反射のものになっている嘆かわしい現状を少しは真剣に考えていただきたいです。(上記については知的階層が高くはない私の、エリートに対するノブレスオブリージュ的で他力本願な理想論かも知れませんがそれは自認しております。)

 つまり、ここでもあくまで自分の主観的な解釈による結論であると前置きしますが、やはり各々が担うべき得手な表現をもっと専心して行うべきであると私は考えております。あらゆる知的階層、表現方法をもった人たちが、それぞれが必ずしも得意な方法ではないTwitterの140字という字数制限の言葉という方法で発信や議論、引用を重ねグチャグチャに混ざりあった結果、それが結局終始わかりやすい言葉だけが動き回り世論や派閥を形成するポピュリズム的な風土醸成に強く作用しているだけとなっているのが今のTwitterの本質であると思います。


〜〜追記〜〜

 公開の前に読み直し、取ってつけたように加えたサブタイトルなのですが「芸術表現者・知的エリートそれぞれの役割」インフルエンサーはこれをもっと意識するべきであると思います。一個人の言論空間であるから勝手であると言われればそれまでの話ではありますが、コミュニティがもっと刺激的で面白いものになるために重要ファクターであるのは間違いのないことです。

 私個人の意見として、自分の興味の外からの好奇心や感性を刺激するものであったTwitter(鍵アカではない開かれたインタラクティブなコミュニティとしての)は、今や大きな資本の力や恣意的に拡散を狙った政治的主張や思想信条が跋扈し、それに左右されている人々のツイートがいやでも毎日のように目に飛び込んでくる非常にストレスフルでつまらないコミュニティになっているとしか思えず残念でなりません。



初めての投稿であったので、文章に拙い点や読みにくさなどもあったかも知れませんが、最後まで読んでいただいた方に感謝いたします。



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