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どこからがお節介?

私たちの行為はどこからがお節介になるんだろう?

他者がしてくれたことに対して、私は基本的には有難いと感じるのだが、人によってはその行為をお節介だと感じる。

良かれと思ってした事がお節介だと言われたらなんとも言えない気持ちになるよね。笑

お節介の線引きは人によって違う。

また、個人の感覚だけの問題ではなく、関係性の問題でもあるような気がする。

友達と上司では同じことをされても感じ方は全く異なる。

何かを手伝ってもらった時に自分が対等だと感じている相手だったらお節介だと感じるし、自分より立場が上の人の場合には有難いと感じる。

私たちは無意識に人間に階層を付けていて、自分と対等もしくは自分より下の立場にあると思っている人間に対しては、ある行為をしてもらった時にお節介だと感じやすいのかもしれない。

母と子の場合はどうだろうか。よく母の行為をお節介だと感じるのは、母を下に見ているからというわけではない。この場合は、母親にもう子供だと思われたくない、自分でできるのにという反発から生まれている。

結局お節介って人と人との関係性の中で生まれるものなのかもしれないなぁ。

どこからっていうのも関係性の中で変わるのよね👼

難しいなぁ・・・

まぁお節介自体悪いことじゃないからお節介だと思われてもいっか👼

相手の行為をお節介だと感じた時もネガティブな思いを返すのではなく、素直に「ありがとう」って言っとこ。

お節介の文化を作っていくのも大切よね👼

きっと助かる人がいるはず👼

とりあえず誰かお節介で私の部屋片付けてくれないかな…笑






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