野球は「球技」ではない、というお話 (全文無料)

初めましての方は初めまして! そうでない方はこんにちは!
あでのいです!

いやーーー、死ぬほど盛り上がりましたねえ、WBC。決勝戦なんて1試合で三冠王のホームランとトリプルスリーの盗塁と、メジャーMVPによるメジャーMVPに対する奪三振
とが全部観れるとか何だその欲張りセットはって感じでしたね。

で、なんですけど。昔私あでのい、自ブログでこんな記事を書いたんですよね。

その時に書いた序文内容をほとんどそのまま書くんですけど、漫画やアニメの題材になってる何らかの競技に対して、「別に競技に精通する必要は無いが漫画読む上でルールや基本戦術は知っておきたい」って感じてる漫画読みって割といるんじゃないかな?と思うんですよ。
 
まあ私自身、例えば『ヒカルの碁』とかはあんまし囲碁のこと分からずとも楽しく読みましたし、「良い漫画は題材になった競技の細かいルール分かんなくても楽しめる」って言われる事もあって、その通りだとも思うんですけど、やっぱり一方である程度ルールについて把握してた方がより楽しめるってのも確かなんですよね。
で、そう考えた時に、特に需要ある競技って何だろう?って思ったら、多分1番デカいのって「野球」なんじゃないかなって思うんですよ。
なんでかって言ったら、
 
・ジャンルとして作品数が多くて、漫画好きなら読んどけって言われるような人気作や名作も多い。
・基本ルール自体が複雑(先にゴールしたら勝ち、ゴールに球を入れたらポイント、とか見れば分かるようなルールじゃない)
・1ジャンルとして定着しすぎてて、大半の作品では読者はルールを最初から知っているものとして描かれている。
 
って3要素が揃ってるからなんですよね。
で、上の記事では同じような要素が揃ってる麻雀について書いたんですけど、そん時にやっぱり「野球についても似たような趣旨の記事が欲しい」ってコメントがちょいちょいあったんすよ。

なんですけど、正直野球についてそれ書くの、しんどい上にあんまし良い方針が自分の中でも思い浮かばないんですよね。
ただ、野球がなんでこんな複雑でパッと見で理解しづらいルールになってんのかって原因というか、野球というゲームの基本構造についてはある程度自分でもある程度言語化できてて、それ自体が結構面白い話なんだよなってずっと思ってんですよね。
でまあ、それをせっかくWBCが派手に盛り上がって世の中の意識が野球に向いてるタイミングで折角だからちゃんと記事化しとこうってのが今日のテーマです。

という訳で今日は、「知らない人に対する野球ルールの説明」は一旦置いといて、野球のルールを知ってる人に対して「野球って要はこういう構造のゲームだよね?」と同意を求める感じの記事を書いてこうかなと思います。


そもそも野球は「球技」では無い


で、なんですけど、そもそも論として野球って本質的に「球技」じゃないと思うんですよね。
この時点で「いや何言うとんねん100%球技やろ」って反応もあると思うんですけど、ここで私が言いたい事をもうちょい正確に説明してくと
「野球のルールって要素を減らして簡略化してくと割と早い段階でボール使わなくなるよね?」
って話なんですよ。

そもそも「野球とはどういうゲームか?」って問題を、出来るだけ出来るだけ簡略化というか抽象化してった時、最終的には「2陣営が相手より多くの点数を稼ぎ競うゲーム」ってとこまで簡略化できる訳ですよ。
でまあ、当然これは野球以前に、何らかの対戦ゲームの大部分に該当するくらい簡略化されてるんですけど、じゃあこっからルールを複雑化して野球に近づけようとするじゃないですか。
そうなると、その次に来るべき説明は「どうやったら点数を入れれるか?」なんですけど、それに対する野球の説明って「相手プレイヤーにタッチされずに所定のコースを一周走りきれたら得点」なんですよね。この時点では野球というゲームに「ボール」という道具が必要無いんですよ。

他の大部分の球技はこの「どうやったら点数を入れれるか?」の時点でボールが存在するんですよね。そのほとんどが「ボールを所定エリアに運べたら得点」で、その所定エリアの形状やボールの運び方でルールが分岐する。
サッカーもバスケもバレーもテニスも卓球もゴルフもそう。
「点を取り合う」というのが対戦ゲームの最も抽象化されたルール説明だとしたら、球技というのは通常「ボール」という道具が何らかの形式で「得点」に直接関与してるもんなんですよね。

だとしたら、その点の取り合い直接はボールが関与しない野球というスポーツは、本質的に球技じゃないんですよ。


野球とは「鬼ごっこ」である


でじゃあ野球の本質が何なのかと言ったら、上で書いた「相手プレイヤーにタッチされずに所定のコースを一周走りきれたら得点」ってのをさらに簡単に書くと「敵にタッチされずに逃げ切るゲーム」になる訳で、つまり野球ってのは「鬼ごっこ」なんですよね。究極的に還元し切ると。

で、野球における球技要素ってのはどっから発生するかっていうと、「本質は鬼ごっこ」という所の次のステップからで、鬼ごっこにおける逃走側=攻撃側の「逃走権」と、鬼側=守備側の「タッチ権」の発生・喪失・授受の部分において球技要素が付加されてる訳ですよ。
すなわち「守備側の投げたボールをバットで打ち返して所定エリアの地面にバウンドさせれたら攻撃側プレイヤーは逃走権を得る」「打ち返されたボールを手にしてる守備側プレイヤーはタッチ権を得る」という。

つまる所、野球における「球技」要素というのは、あくまで本質である「鬼ごっこ」のルールを複雑化させる過程で、付加的に付け加えられたものに過ぎない訳です。
野球ルールの球技としての特異性に「守備側がボールの主導権を持つ」って特徴がよく挙げられるんですけど、その特異性がどっから来てるかって言ったらこの辺にその理由があるんですよね。
(ちょっとここで注意。この文章で使ってるレトリックはあくまでゲーム構造を解剖してった時の話であって、実際の歴史における野球のルール形成の経緯ではありません。実際の歴史がどうなのかは私も何も知らん)

野球における花形と言えば満場一致でホームランな訳ですけど、あれも実は「ホームラン=打球を場外まで飛ばす」そのものが得点になってる訳じゃなくって、ホームランによって「鬼に邪魔されず所定コースを一周する権利」を得てるだけなんですよね。
だからホームランを打っても、その後に「ベースの踏み忘れ=所定コースからの逸脱」があるとアウトになっちゃう。
これ普通の球技だとほとんどそういうのって存在しないんですよ。ゴールが無効になるケースってそのほとんどがゴールする前の「ボールの運び方」にルール違反があった場合であって、ボールを所定エリアに運んだ後の行為で得点が無しになることって相当イレギュラーなルールなんすよ。
けど野球は違う。ホームランの後の行為で得点が無しになっちゃう。何故なら野球はホームランで直接点数を得る訳ではなく、ホームランで得た安全走行権を行使して実際にコースを逃走しきることで初めて得点になるからな訳です。

この「鬼ごっこ」ベースの野球ルール説明を使うと、ベースの説明も可能になります。
ベースってのは要するに鬼ごっこにおける「安全ゾーン」な訳ですよね。そこに入ればタッチされても大丈夫っていう。つまり野球におけるベースってのは、色鬼や高鬼と類似の派生要素なんですよ。
で、「安全ゾーン上で立ち止まった走者とタッチ権を持った鬼とが膠着状態になるとそこでストップして別の走者の逃走権獲得ゲーム(バッティング)が始まる」みたいな説明になる寸法です。


攻守反転で野球は「球技」になる


で、こっからちょっと発展的な考察を加えるんですけど、逆に野球がもし「本質的に球技」だったとしたら、どういうルールであるべきかってのを考えてみると面白いんじゃないかと思うんですよね。
1つのアイディアとして、攻撃と守備の概念を入れ替えてみるって思考実験が出来ると思うんですよ。
要するに「攻撃側は投手が3度ストライクゾーン=的にボールを投げ込めたら得点、守備側は打者としてそれを妨害する」という構図です。
守備側(本来の野球の攻撃側)は1人ホームに生還させればその回を終えて攻撃に移れる。攻撃側(本来の野球の守備側)は打者が1人ホームに生還するまでにアウトにしたその打者の分だけ点数が入る、と。
まあ単にこれだとゲームバランスくっそ悪そうなのでルール調節はかなり必要だろうとは思うんですけど、野球がもし「本質的に球技」なスポーツだとしたら、その全体像って本来はこっちのルールであった方が自然なんじゃないかなって思うんですよ。

まあこれはあくまで本当に単なる思考実験でしか無いんですけど、案外そうやって攻守ひっくり返したルールでいっぺん野球(と言って良いかはともかく)をプレイしてみるのも実は面白かったりしないかなって思うんですけど、どうっすかね?



はい、という訳で勢いに任せて書いてみた「野球は球技ではない、というお話」なんですが、如何だったでしょうか?
こういうふうに野球のルールを解体しながら改めて概観してみると、結構面白くないですかね?
「考えたこと無いけど、言われてみたら確かにそうだな」と面白がってくれたら幸いです。勿論「いやその説明納得いかんぞ!」と思って頂いても構いませんし、逆にそこから自分なりに野球というゲームの解体方法について考えてみるきっかけになると私としても嬉しく思います。

そんなこんなで以上! あでのいでした! まったねー。

(ちなみに最後に白状しとくと、このnote記事の原型は全てtwitterで相互のまはる殿下のツイートで、それを元に自分なりに膨らました内容です。エッセンス部分は完全に丸パクリなので、もし本記事に感心してくれた方がいらっしゃいましたら、感心先はまはる殿下の方までお願いしまーす)

追記(3/23)

本記事、思ったより色んな人に読んでいただきありがたい限りです。
ただ結構批判的なコメントも頂きまして(特にはてブで)、実際自分で読み返してみたら「普段ならもっと予防線バリバリ効かした書き方するよなー」と自分でも思ったりしたり。
普段なら「あくまで言葉の定義問題でしかないが、上記のような定義に沿って極論を言ってしまえば、野球はそのゲームの根幹部分が球技的でないと言えるのだ」ってくらいの言い回しにはしてたかなって思うんで、勢いで書きすぎた部分はちょっと反省。
分かる人は分かると思うんですけど、本文の論旨において「球技か否か」という2択問題は別に本質じゃないんですよね。それは所詮「球技をどう定義するか」という定義問題に過ぎないので。
記事中で言いたかった事は結局「野球は得点にボール自体が直接関与しないという点で球技の中では特殊なルールになってて、その基本構造は実は鬼ごっこにある」という話です。
でまあ、そういう記事に「野球は球技ではない」というちょっと過激なタイトルをつけたのは、耳目集めようと煽り気味にしすぎた嫌いはあるので、そっちに反発覚えた読者には申し訳なかったなと反省ですね。
まあそんな感じです。

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