ラグチョコ
「ありがとうございましたぁ!またの御来店をお待ちしておりまーす」
元気な声が店内に響き渡る。淡いピンクを基調としたその空間には、ほのかにカカオの香りが漂う。来店者は皆、香りの招待状に五感全てがチョコレートのお店へと手をひかれる。一度入店すれば外界の繁雑さや忙しさから開放され、どの顔も、どの心も甘い現実の中。
元気な声の主、サオリはチョコ専門店サクラのチョコレート職人だ。
今日は2月14日、バレンタイン当日。1年で最もサクラのテンションが上がる日。1年通して何かと女の子で賑わっているお店だが、バレンタインの1週間くらい前から当日までの期間は、このためだけに存在するお店と言って言い過ぎということはない。
この時期サオリの仕事は普段のチョコを作ることに加えて4つ。バレンタインの手作りチョコ教室で先生。バレンタイン専用の創作チョコの発案と量産。訳あって宅配サービスを利用する人たちのチョコを発送する手続き。そして当日に、サクラを利用した女の子たちが結果報告に訪れるので、応援したり励ましたり一緒に喜んだり。
他のスタッフも勿論、チョコ作りや発送手続きなどをやってくれているのだが、サオリは当たり前のように自分の疲れなど後回しとでも言うように全ての仕事をやっていた。
「今年もありがとね。サオリちゃん!」
スタッフの1人が、サオリに声をかけた。
報告に来る女の子たちを待つついでにと店番をするサオリにとって今日は、1年で最もたくさん”ありがとう”を貰う日。
「サオリさん!今年はうまく行ったよっ!ありがとぉ」
何と言っても、一番嬉しいのは笑顔満点で報告に来る女の子の顔。サオリは、この幸せのおすそ分けがなんとも好きだった。
女の子たちは勇気を、スタッフは元気を、それぞれサオリから貰って、そのお返しに笑顔や幸せのおすそ分け。サオリは密かに、これを幸せスパイラルと呼んでいた。
「まだ春一番には早いけど、ここはもう春みたいに幸せスパイラルが吹き抜けてるっ!皆から貰った幸せを勇気に変えて……私も頑張るよ!」
「ん?どうかしたの?サオリちゃん」
サオリの小声に気づいたスタッフの1人が声をかけてきた。
「うん、ちょっとね」
一旦スタッフに店番を任せると、幸せそうな顔をしてサオリは作業場へと向かった。そこにはチョコで出来たタワーがあった。スタッフがせわしなくチョコの量産や包装をするなかで、サオリはチョコタワーにトッピングの飾り付けをしていく。
「サオリちゃん。今年はまた一段と気合が入っているわよねぇ……」
「ほんとにねぇ……あれ、私達も食べられるんだよね?」
サオリが今作っているのは、バレンタインの翌日に開く打ち上げパーティー用のチョコレートだ。毎年サクラのスタッフとバレンタイン期間に専属契約している配送業者の配達員を招いて打ち上げパーティーを開くため、それ専用にサオリが特別なチョコを作っていた。
「よしっ!完成」
満足気な表情で作業を終えると、サオリは今日最後の仕事に取り掛かる。それは駆け込み購入をしに来る人のためのチョコレート作りだ。仕事帰りなどで遅い時間になるまで開放されない人が駆け込んでくる。そんな人にも頑張って欲しいと、その時間帯専用のメニューを用意していた。
これがまた好評で、昼間とは違うお客さんでサクラは賑わう。
「今年こそは、うまくいくと良いんだけどねぇ……ありがとね!」
「はぃ、行ってらっしゃいませ」
サオリは最後のお客さんを送り出すと、入り口の札をクローズに変えて一息ついた。
”今年も、幸せスパイラルでサクラは満点の花を咲かせたよ。どうかこの流れで皆が幸せをつかめますように……”
「あ、お疲れ様、サオリちゃん。」
「はい、お疲れ様ですっ!」
「今年も甘い一日?」
「今年はぁ…………激甘ですねっ!」
先輩スタッフに向かってそう答えると、二人で目を見合わせて笑いあった。
「でも先輩。私達の本番は」
「明日でしょ?」
「はい」
☆。.☆。.☆。.☆。.☆。.☆。.☆。.☆。.☆。.
2月15日
世間がバレンタインに叶った恋、敗れた恋、再確認された絆に浸る中、サクラでは打ち上げという名のバレンタインパーティーが開かれていた。この日ばかりはサクラも1日休業。
「皆様。今年も一緒にバレンタインを盛り上げて下さり。本当にありがとうございました。細やかではありますが会食の席を設けさせていただきました。是非時間いっぱい楽しんでいってください」
店長の言葉が終わると、サオリがきれいに飾り付けられたタワーチョコをフロアに運び込む。その2m以上はありそうな大きさに圧倒されて会場がどよめく。サオリがチョコタワーを設置し終わると、店長が再び話し始めた。
「今年は、これともう一つメインイベントを用意いたしました。さぁ皆さん」
店長の声を合図に、サクラと宅配業者の女子が一箇所に集まって男性陣の方へと向き直る。そして、それぞれの手にはレターケース。
サオリが提案したもう一つのイベント。チョコ屋さんのバレンタインデー。レターケースにはそれぞれ義理か本命かどちらかの思いが込められている。義理なら感謝の紙が、本命ならお店の名前に因んでサクラの型に切り抜かれたカードが入っている。
「彼女たちは自分の手に想いを持っています。どうか今日だけは彼女たちを主役にしてあげてください」
サオリの手には本命の想いが握られていた。もしかしたら敗れる恋かもしれない。けれど今年は、あんなに素敵な幸せスパイラルが吹いたんだ。私だって……サオリは自分に言い聞かせ続けてきた。
”皆……勇気をありがとう”
そして小声で言って一歩踏み出す。
「いってきます」
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