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もしくは、それに似た何か

雨が降ったり止んだり、一日中じとじとしている中、京都にも梅雨入りの知らせが。
だから、先週末は雨だろうと思っていたけれど、土曜日曜は、束の間の晴天が訪れて嬉しかった。

相変わらずたくさんの人で賑わう鴨川。
これは自然の中特有の穏やかな賑やかさだろう。繁華街や遊園地にあるような、切迫感とは無縁の賑やかさ。このような光景はいつまでも見ていられるな。

出町柳まで歩き、叡山電車に乗る。
一年ぶりの貴船神社。今回は、好きな人と一緒に。彼は貴船神社が初めてとのことで、「楽しんでもらいたい」という思いで行ったのだけれど、結局いつも通り、すぐにしんどくなってしまう私に、彼はずっと歩幅を合わせてくれていた。

神社で引いた、というか(水に)さらした水みくじは「吉」で、彼は「大吉」。一年前は私も大吉を引いたのに。その時はなぜか悔しかった。
けれど、今年が厄年のあなたに大きな運気が訪れるというなら私は安心だ。どうか、大きな加護に包まれますように。

親みたいと思われるかもしれないけれどずっと、幸せでいてほしいと思う。隣に私がいても、いなくなっても。彼が、少しでも彼自身に近づき、大切なものを惜しみなく、大切にできますように。

おみくじの紙を固く結び、奥宮へ。
しんと静まりかえっていて、神聖と呼ぶにふさわしい場所だった。ここには何かがいるかもしれない。そう思わせられるのは、無信仰と思ってきた私にも、少なからず神様などといった存在に対する信仰心があるから。
西欧などではイエス・キリスト、アジア諸国では釈迦というふうに、唯一の存在や、彼らの教えに自分の信仰心を預けるということは、私にはあまり馴染みのない感覚だけれど、ふとした時、あるものやある場所に神聖さを感じそこに神のような存在を、心でたしかめる。
いや、神ではなくて、もっと、多様な存在なのだけど。

これがいわゆるアニミズムなのかもしれない。もしくは、それに似た何か。はっきり定義するにはあまりにも抽象的すぎる、そんな存在を感じる感覚を、私は持っているのだな。

そんな話をしながら、バス停まで山を降っていった。


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