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地域再生の「うねり」と「探究」の町〜山陰地方で多拠点生活〜

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島根県と山口県の県境の盆地、人口 6,786人(2021年4月現在)の「島根県津和野町」に、ADDress47都道府県最後の島根県1号の家がオープンしました。津和野の家の特徴は、ADDressサテライトオフィス「津和野オフィス」も併設されている点です。

ADDressサテライトオフィスを立地した背景

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津和野はその昔、小さな「津和野藩」の中から多くの著名人を輩出しました。日本近代哲学の祖である哲学者・西周(にし・あまね)、軍医・文豪の森鷗外、日本地質学の父と称される小藤文次郎、東洋紡績の初代社長・山辺丈夫、初代札幌市長・高岡熊雄など、津和野町を歩くと偉人ゆかりの土地や建築物に遭遇します。

津和野は「山陰の小京都」とも呼ばれる観光地でもあり、600年を超える老舗店舗も珍しくありません。

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しかしながら、日本の地域課題の他の例に漏れず、人口減少による空き家も目立つようになりました。昔の街並みをよく知る地元の人は「子どもの頃は空き地なんてないくらい家が密集していました。今は少し寂しく感じます」と話します。

そんな空き家課題を抱える一方で、津和野町の再生に思いを寄せる若者も集まってきました。

ADDress津和野の家には、ADDress「津和野オフィス」だけではなく、島根県立大学のサテライトオフィスも併設しています。同大総合政策学部総合政策学科井上厚史ゼミ生の「津和野班」の学生たちが定期的にこの家を訪問し、津和野の歴史や民俗の研究のほか、津和野町との観光事業にも取り組んでいます。
ADDressでは島根県立大学と共同で「つわの未来塾」を毎月開校し、会員も交えて大学生の考える「まちづくり」の意見交換会を設けます。

※画像下=オンライン配信で実施した「つわの未来塾」の様子

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津和野のまちづくりの特徴としては、「教育事業」の取り組みが挙げられます。西周や森鴎外が通った藩校でも、いち早く西洋の新しい思想を取り入れていました。江戸時代から教育と人材育成に力を注いできた地域なのです。

その現在の象徴が「津和野高校」です。ADDress津和野の家からも徒歩3分ほどの場所に立地しています。高校版の山村留学・地域みらい留学を受け入れていて、東京などの首都圏や関西、九州など全国から地域外の生徒が3割構成しています。全国でも“留学先”として人気が高く、年々生徒数は増えています。

津和野高校では生徒の自主性を尊重し、探究心を育むプログラムを実践しています。ただ教科書を学ぶだけではなく、地域に暮らす中で感じた「なぜ?」を探究し、納得いくまで調べるのだそうです。地域系部活動「グローカルラボ」の入部生は、校内のどの部活動よりも多いと聞きます。
こうした教育の成果として、大学進学先も東京大学をはじめとした名門校に入学する卒業生も増え、平均学力がアップしているそうです。

地域の自主研究を通して子どもたちが輝き、卒業しても戻って地域に関わりたいと思うほど愛着が生まれている津和野。教育が町を活性化している事例として、将来に期待ができる町なのです。このような魅力があふれる地域だからこそ、今回ADDressの山陰地方フラッグシップ拠点として、オフィスも立地しました。ADDressで共に働くスタッフを雇用し、新しいライフスタイルの基盤をこの町の若者と共に作っていきます。

※画像下=2021年5月1日に行ったADDress津和野オフィス立地調印式
(右が下森博之町長、左は弊社代表・佐別当隆志)

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津和野町の期待を背負い物件を大規模改装

ADDress津和野の立地実現までは2年がかりでした。いくつかの空き家を紹介してもらう中で候補物件も多数出ましたが、条件に見合うものがありませんでした。それでも、津和野町役場の「つわの暮らし推進課」の皆さんが粘り強くオーナーと交渉していただく中で、本物件が浮上したのです。

ADDressは物件を整えるだけではサービスを開始できません。家の管理人であり地域のコミュニティ・マネジャーである「家守(やもり)」がいないと成り立たないサービスだからです。地域交流があってこそのADDressということをすぐさま理解してくれた役場職員の同課係長・村上剛士さんは、物件候補確定とともに現・家守の漆谷保子さんを紹介してくれました。漆谷さんは生まれも育ちも津和野で、役場で長年「暮らし相談員」として勤められました。「漆谷さんがいたので移住した」という町民も大勢いるそうです。

※画像下=最前列中央の漆谷さんをADDressスタッフで囲んだ1枚

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ADDress津和野の家は、その昔は「石州和紙」を取り扱っていた文房具の商店でした。屋号は「喜多屋」と言い、現在もその看板を残しています。「喜多屋」と言えばどこにあるか分かる程、地域の皆さんに愛された店舗だったそうです。

物件の貸主が所々回収を施し、水回りは綺麗に整備されていたものの、それなりに改修工事が必要でした。

将来、この物件のオフィスに津和野の若者が働き、学びに来る場となるよう、津和野町には立地に向けた補助制度を整えてもらいました。当初、島根県からの立地制度も適用できると考えていたのですが、設立3年目のベンチャー企業に対してはなかなか難しく、対象外に。しかし、津和野町つわの暮らし推進課の宮内秀和課長以下、職員の皆さんが町内の制度づくりに尽力していただき、改修費用の一部を補助制度で適用することができました。これからADDressは、津和野町で雇用と交流の場づくりを提供していきます。

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地域の熱い人・モノに触れるディープツアー

山陰の小京都として歴史ある津和野は見所が多いので、ここではその一部を紹介します。

津和野町を見下ろす津和野城跡(=画像下)は、リフトで20分、登山道を徒歩40〜50分で行けるスポットです。町全体を360度一望できます。気分転換や朝活で登ってみてください。素晴らしい展望に心が癒されます。

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ADDress津和野の家から車で10分程の「堀庭園」も散策にはオススメの場所です。石見銅山で繁栄した銅山師・堀氏の名園です。

※画像下=書院造りの客殿「楽山荘」から眺める庭

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津和野邸から向かって堀庭園の300メートル手前にあるレストラン「糧」は、津和野野菜を中心に健康的なメニューが揃っています。ビュッフェ形式の野菜ランチやスパイスカレー(=画像下)が味わえます。

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ADDress津和野の家の目の前、通りを真っ直ぐ3分ほど歩くと「喫茶ダンボール」という猫カフェもあります(=画像下)。広々としたスペースに猫コーナーとカフェコーナーがあり、のんびり快適に過ごしている猫たちを眺めたり触れ合ったりできます。猫好きには欠かせないスポットです。

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津和野のメインストリートにある薬酒問屋「高津屋伊藤博石堂」は、寛政10年(1798年)創業の歴史ある店舗で、秘伝の胃腸薬「一等丸」(=画像下)は森鴎外も愛用していたと言われます。その他にも創業数百年という店舗が複数軒を連ねています。

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ADDress津和野の家から徒歩圏内に森鴎外の旧居や西周の生家(=画像下)があり、見学することができます。歴史を体感しに散策してみてはどうでしょうか。

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また、津和野の春の郷土料理「うずめ飯」(=画像下)を提供しているカフェも多いです。ご飯の下に野菜などの具が隠れているので、食べるときはかき混ぜて食べてみてください。うずめ飯の言われは2通りあります。津和野滞在時にお店の人に質問してみてはどうでしょうか。津和野の食の歴史を聞けるかもしれません。

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津和野駅はSL「やまぐち」号の終着駅です。運行時にはSL好きな観光客がどっと押し寄せます。毎日運行している訳ではないので、運行情報については以下のサイトを確認してみてください。

津和野駅から程近く、徒歩5〜10分ほどにある「乙女峠」(=画像下は乙女峠の「マリア聖堂」)はキリシタン殉教の地として知られます。日本で唯一、聖母マリアが降臨された地と言われています。

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町を歩くと江戸時代の地図とほとんど差異がなく、当時の面影を感じることができます。

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津和野町は2021年、一般財団法人「つわの学びみらい」を設立しました。この団体の事務局で、津和野高校の魅力化コーディネーターの山本竜也さんを中心に、町の教育関係者とも今後連携していきたいと思っています。

津和野の偉人研究をしている山本さんは、時間があればADDress会員向けに「津和野まち歩きツアー」を実施してくれるとのこと。早速、当地に滞在したADDress会員さんが、山本さんの案内でディープなまち歩きを体験されました(=画像下、ガイドする山本さん)。

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若者が集まり発信する津和野に来て、彼らの思いや熱気に触れる旅ライフを過ごしてみませんか。

【文/ADDress取締役&広報PR・桜井】


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