生活を人質

嫌な仕事を続けると嫌な奴になっていく。

会社にも部署にも期待することはなくなったし、

落胆と絶望には身も心も慣れてしまったから、

頑張る人を邪魔しませんとか高みの見物で組織に身を置きながら、生活費と保険証をもらって食い繋ぐ日々だ。嫌がらせのように、やる気アピールをしてる人より実績や結果を出して、もっと嫌な奴になる日もある。

もちろん調子に乗りすぎたら足元をすくわれるから、スキルが落ちない程度の努力というかメンテナンスは必要。それには精神力と体力を消耗するもので、休みの日は音楽どころか最低限の美容に手をつける余力もなく、洗濯と風呂に入るくらいしかできない。

嫌なこととやりたくないことが仕事に直結している。心と身体が拒否反応を示すことを、生きる糧として選ばざるを得なかったことに後悔したらキリがない。

もっと仕事は神聖なものだと思っていた。

お金を頂くことは、その価値に見合った仕事を提供すること。ただ、配属ガチャで全く経歴もスキルも無視された、あるいは意図的に無視したのであろう職種についてしまったとき、自分の強みや仕事への信念は、一転して短所や足枷になってしまった。

信念に背くことをして稼がなければいけない状況に適応していくには、人格を崩壊させねばならなかった。心と身体の声を無視して、適性がなくてもスキルを習得していかねばならなかった。大方の努力は非効率で、無駄になることがほとんどだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?