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空白

5年の空白がある
自分について語るときに
未だにこの間に起こった事
は消化しきれていない  
異世界に行っていたわけでも
服役していたわけでも
引きこもっていたわけでも
旅に出ていたわけでもなく
ただ突然に
謂れのない咎を追及されて
戸惑いながら
幽閉されているような時間だった
5年間の幽閉生活について
なにもない

順を追って話そう
高校生活も終わる頃
2001年の春
進学は頭にはなく
だったら就職しか
選択肢はなく 
学校に届いていた
求人から
自分でもできそうな仕事
通えそうな場所
の条件で
2社ピックアップして
2社とも面接に落ちて
そのまま高校を卒業する
今のようなキャリア教育は皆無で
卒業したら後はもう個人の問題なのだ
勉強以外の学びは
自分で学ばないといけなかった
並行して教習所に通っていた
車の免許を取るつもりは全くなかったけれど
いつの間にか親に自動車教習所に入れられていて
しかしてこちらとしては全く興味がなかったので1月に入っていたらしいけれど3ヶ月放っておいたら教習所側から連絡があり
周囲のプレッシャーにも折れてしぶしぶ通うことになる
結果その年の8月に自動車免許を取得
一度公道を一人で運転してみて
やっぱり合わないなと再認識
それ以降21年間
車は運転していない
モチベーションがないと
そもそもはじまらないし続かないのだ

当時の職業安定所はいつ行っても混んでいて
1つの求人に20人が殺到するなんてことも
あったくらい殺伐としていた
求人票を選んで窓口に持っていって
普通科の新卒じゃ無理だよと
跳ね除けられたこともある
高圧的だなあと
話しかけるだけで憂鬱だ
なんでそんなに偉そうなんだか

2002年の7月までに4社の面接を受けて
全て落ちてしまっていた
そんなときに
障害者職業訓練センター
に通ってみないか
と親が提案してくる
健常者も通えるからと
場所は福島市
人生初の電車通勤は二本松〜福島
障害者職業訓練センターに
のべ半年間在席する
ボールペンの組み立て
介護施設の清掃インターン
パソコンの基礎講座
SST(ソーシャルスキルトレーニング)
黙々とカリキュラムをこなしていく
モチベーションはそれほど高くはない
常駐のカウンセラーと
何度か面談もする
IQテストも受けてみて
自分の欠点が露呈されて狼狽する
一度心療内科を受診してみてもいいのでは?
と提案される
2003年1月
心療内科クリニックを受診し
アスペルガー症候群と診断される

この日を境に世界は一変した
今まで個性とされていたものは
障害で欠陥だから矯正しなくてはいけない
個性が全否定される
昨日と今日と明日と
自分は変わっていない
そのはずなのに
周囲の目が
一気に変わってしまった
少しでもこだわりをみせれば否定される
アスペルガー症候群にみられる特性が
垣間見えたら注意される
自分を圧し殺すしかなくなってしまった
切り離せるものではないから
隠す事しかできなくなる
静かに静かに
感情を圧し殺す
何も考えていないように
感情なんて存在していないように
訓練センターに
通い始めたころ
職員の1人に期待しているからね
あなたは健常者なんだから
と言われたことがある
申し訳ないですが
私もどうやら障害者でした

障害者職業訓練センターの期間が終わり
職安の窓口が一般から福祉の方に変わる
障害者手帳があったほう何かといいだろうという周囲の話を
よくわからないままに
そういう流れになっていた

訓練センター終了直後
グループホームに見学に行ったことがある
週に5日1日5.6時間の作業で
月一万円
工賃
だっただろうか
年に1人くらい
一般就労していますよ
2.30人いる中で
年に1人
月1万
1度
こちら側に振れてしまったら
戻れなくなってしまうのでは?
ここで感じたのは恐怖だ
後戻りできなくなるんじゃないか
でも後戻りできたとしても
どこに戻るんだろう?

職安の窓口は変わり 
担当者と
よく話をするようになった
一般窓口で感じた高圧さは感じなかった
何をしたいのかわからない
何ができるのかわからない
だからひとまず
できそうな仕事に就きたい
お金がないと
選択肢も増えないし
どこにもいけない
ひとまずの段階でずっと足踏みをしている
それから3年で5社
面接を受けて全て落ちる
そういう人は受け付けていませんと 
面接すらも受けられないことが度々あった
断絶とか差別とか 
会ってすらもらえないのが現実なのだ
そういう人って何だよ
自己肯定感が日に日に落ちていく
ふと耳にした
働かざる者食うべからずという言葉が
身体を突き刺していく
断食するしかないのでしょうか?

試用期間までいったことはある
お試しで働いてみて
期間が終わったらほぼ就労までいけるらしい
通例では
ジョブコーチもついて
1ヶ月
週5日
7時間

1ヶ月経つ前の
途中でやっぱり 
受け入れられないと
言われる
採用担当者に
上がそういう人は
ちょっと受け入れられないと
言っていると言う
うちとしては一人くらいそういう人が
いてもいいと思うんだけれど
上の方がね
なにかあってからじゃ困るし
その後も
粛々と働いて
期間は終了する

個として私としてみてもらえなくなった
障害者としてしかみられていない自分は
アイデンティティってなんだ?

2006年3月
空白は終了する
とある福祉施設の繋がりから

5年間
お金はないけど
時間はあって
体力も有り余っている
友達は一人もいない 
どうやって1日を過ごそうかと
考えてそしてここに辿り着いた
図書館に通って本を読む
ひたすら時間を潰すだけの為に歩き続ける
年間300冊以上本を読み
1日4時間歩き続ける
雨の日も風の日も雪の日も
歩き続けた
道を覚える
道が繋がる
四季を感じる
自然が近い



五感は研ぎ澄まされた
読書は
小説からはじまり
哲学
心理学
歴史
随筆と
雑読していく
特に村上春樹と哲学にハマる
自問自答しかない日々

坊主頭に髭面の若い男が
人気のないところをうろうろしていたら
警察としては不審なのだろう
何度か職質もうけた
なにしてるの?
散歩です
どこの人
地元です
こんな時は
自動車免許証が役に立つ
できるだけ人目を避けたい
誰にも会いたくもない
すれ違いたくもない
地元に住んでいても
誰も知らないような
山道
抜け道
裏道を
歩いた
日が暮れるまで

ひたすら
歩いて歩いて
歩いても
反比例するように
体重は増える
今思い返すと
ストレスだったんだろう
家にいると
意識せずに
手当り次第
口に何かを入れていた
3食食べて
さらに
お菓子なんかを食べていた
満腹を感じない
空腹も感じない
便秘と下痢を繰り返す


5年遅れている
ずっとその遅れを取り戻そうとしている
知らないことが多すぎる
行ったことがない場所が多すぎる
経験が足りない
知識が足りない
足りない
足りない
足りない焦燥感

howtoには頼れない
みんなのテキストに
最初から馴染めない
自らが飛び込んで
獲得していくしかないんだ


この
空いてしまった
スペースは
足踏みだったのか
いや
四股を踏む
踏んでいた
はっけよい

待ち侘びながら

空白
でも
よく目を凝らしてみたら




























雨ニモマケズ 風ニモマケズ