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「勝手に」からみる、自己選択と責任

おはようございます!先週はお盆だったのもあり、勝手にりじちょーブログをお休みさせていただきました。

「勝手に」って言葉ってとても面白いなぁと思うんです。

▼勝手(かって)
他人のことはかまわないで、自分だけに都合がよいように振る舞うこと。また、そのさま。「そんな勝手は許さない」「勝手なことを言うな」「勝手に使っては困る」「勝手にしろ」

このりじちょーブログは僕がやっているものなので、自分で書く書かないは決めて良いはずで、先週1週間「勝手に」お休みしましたが、「勝手にやすむなよぉ!」という連絡は来ないし、そもそもそこまで有名なブログじゃない(笑)。お断りはするべきなのが社会マナーかもしれないが、自分のものをどうしようが、自分で決めたらいいし、決めて良いことだ。

「自分勝手」って言葉は、あまり良くない意味で使われる。でも逆に自分で選択して決めているところは良いことであるとも捉えられる。「勝手はダメよ」と言われても、じゃあどこまで共有して、自分で決められることを自分以外の人に許してもらえばよいのか線引きが難しい。自己選択と責任は切っても切れないものであるから、そこをちゃんと受け止めて行動すれば良いだけだと思う。

よくコモンビートで仕事をしていて、「勝手にやりますけど、良いですか?」と言われることがある。それ、もう「勝手に」じゃない(笑)。僕の許可をもらおうとしているし、それを判断すると僕がその行動の責任を持つことになる(笑)。おそらく気遣いをしてくれて、こういうことやるんでという情報共有の意味合いが強いと思うのであるが、それは情報共有としてやれば良いので「勝手に」を言葉として使わない方が良い。

組織の中では「権限」というものも含まれてくるので、これまた難しい。権限がある部分は「勝手に」というか権限を使って決定をしていって良いわけだ。だけど、きっと「勝手に決めるな」という声も上がってくる気がする(笑)。「いや、決定権限があるんですけど」と言っても、それで押しきれないこともある気がする。この外圧はやっかいだ(笑)。

何が勝手で、何が勝手じゃないのかは人によっても異なるし、コミュニケーションの積み上げ方の好みも違う。それを全部バランス取っていこうとすると非常に疲弊する(笑)。えいやー!とやると何かが崩れる音がする(笑)。はぁ、難しいところだ。「自分で決められない」ということは、一種のストレスに近いものもあると思う。これとどう付き合っていくかは本当に難しい課題だ(自分自身にとっても)。

でも、なんとなく「情報共有」が、これを解決する大切なポイントなのかなとも思う。ということで、「勝手に」からそんなことを勝手に思いました(笑)。




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