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毒親の両親・猛毒な母編

両親共に毒親です(苦笑)
子どもの頃から
『この人たち・・・』
そう思っていたし
『自分がいたら周りが不幸になるんだな』
そんな考えを持っていたので小さい頃からこの世から消えることを考えて実際にやってきました。

激重な始まりですいません^^;

でも今は自分にとって一番良い距離感でいます。

とにかく嫌やな存在

子どもの頃から特に母から認められることがなく、何を言っても何をやっても母からは文句しか出ません。
母の思うような子どもではなかったから母も嫌なんだろうないつしかそう思うようになってました。

子どもとして可愛がられている感覚は一回もありません。

後に分かったことですが母はやっぱり私のことを可愛いと思ったことがない、ずっと反抗期のような子だと思ってました。

お互い嫌なんだもん
そりゃ仲良くなんてなるはずないわ笑

猛毒親の成り立ち

母が何故こんなに猛毒親になったのか。

自分で母と距離を取るようになって数年後から考え始めてわかったこと。

それは母の生い立ちです。
生育歴いわゆる育った環境を落ち着いて分析できるようになって気付きました。

3姉妹の末っ子。
一番上は病気がちで二番目は自由奔放そして末っ子の母です。

母の父(私から見ると祖父)は母が13歳の時に病気で亡くなりました。
ということは家計を支えるのは母(祖母)です。
一番上は病弱で手がかかる。
祖母の関心は一番上の娘ですよね。

母は自然と自分に注目してもらえる術を身につけていきます。
『いいこ』でいること。
『いいこ』でいれば母(祖母)は褒めてくれる。
だから自分で家事の手伝いをしたり宿題をやったりする。
言うことをよく聞く。
そうしてアピールをして褒めてもらうを繰り返していくしかなかった。

愛情不足だったと感じてる人。
祖母はみんな三姉妹共に可愛がっていたと言ってましたけど・・・うまく伝わっていなかったようで。。。
結局今で言うと『かまってちゃん』とか『承認欲求の強い人』そんな感じです。

猛毒親爆誕

言うことを聞く、自ら手伝いや勉強をすることで認められる褒めてもらえると学習したもんですから子どもはそれが当たり前ってなりますわね^^;
だから自分の子にもそうなるわけですよ。

ところがどっこい私は『自分は自分なのに』と言う考え。
それを頭ごなしに押さえつけるもんだから反発しますわね・・・うん
それがまた気に入らないから可愛くもないしどうにか言うことを聞かせようと厳しく締め付ける。

締め付けられると余計
『私は私。あなたの考えを押し付けないで!』
で私はもがき反発します。

終いには周りには
『私この子のためにこんなに頑張ってます』
『この子のためにこんなことやってます』
とアピール

『頑張ってるわね』
『すごいわね、大変でしょ?』

そう言われることで自分の存在意義を見出して喜ぶっていうそんな変な連鎖に入ってました。

自分はこんなに頑張っているすごいんだ!
子どもは親の言うことを聞いて当たり前!
言うこと聞かないなら聞くように厳しく締め付ければどうにか聞くでしょう!

はい。
猛毒親爆誕です笑

親として見るのかどうか

この猛毒親に対して私はどうしたら良いのか。
こんな奴の話しなんて絶対聞きたくない(←言い方w)

気持ちや考え方の落とし所は結構簡単なところにありました。

それは
『親としてみない』
『1人の人として見る』
でした。

そうやって母のことを考えた時に出てきたのは
『人として可哀想な人』
ということです。

もう70代半ばにもなってますが、本人が自分のやっていることやっていることに気付いて『変わらないと』とならないとどうにもなりません。

親をどうにか変えないとと躍起になる・・・
それよりも自分が親に振り回されないように自分が変わることの方が大事です。

自分自身が毒親にならないため、毒親になっていたとしてもそこから抜け出すために自分が変わる。

思い当たることがあれば考えてみてくださいね。

最後までお読みいただきありがとうございます。


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