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猛毒親と約10年ぶりに会って知っていてよかったこと

猛毒親の母とどうしても会わないといけなくなり約10年ぶりに会いました。

その間母から私に直接連絡が取れないように全て拒否設定をしていたのですが周りから聞こえてくる言葉に『相変わらず残念な人』なんだと思っていたし、あと父からも『お母さんは反省してるから』と何度も聞きましたが絶対に違うと言う確信がなぜかあった私。
やっぱりそういうのって当たりますよね。
何一つ変わってない残念な人でした。

通じ合わないわけ

会って言われたこと。
『お母さんの話を聞いて(そうだったんだ)と受け入れて許してもらわないと困る』

?????

いや意味がわからない。
何で言い訳聞いてそれを受け入れて許すとか何勝手に決めてんの?
話は聞くとしてもその後の受け入れるのか、許すのか許さないのかは私が決めることであってあなたが決めることではない・・・。

そう言うと
『あなたって冷たい人なのね』
って・・・・。

いやいやいや
待て!
他人の感情を自分の都合の良い方にしようとしてるってものすごくエゴじゃないか!
何を他人の感情コントロールしようとしてんのよ。

その説明をしても通じない。

『あ、、、無理』

昔の私だったら母の言う通りに腑に落ちなくとも表面上は母の思うようにしていたかもしれないし、結局自分は納得してなくてモヤモヤして心の奥底に本当の自分の気持ちがわからないまま押し込めていたと思います。
そして心も病んだままだったでしょう・・・

嫌いじゃなくてイヤだった

自分を知って俯瞰して自分を見られるようになってだからわかったこと。
どうして私は母と合わないのか。
母は
『どうせお母さんのこと嫌い何でしょう』
そう言っていたし、私もそう思っていた。
でも違った。

嫌いなんじゃなくて『イヤ』なんだって。
母の思うようにコントロールされていると、母の承認欲求を押し付けられているのが『イヤ』なんだと気付けました。

知っているからこそできるようになった

私の親世代(70代〜)は理解しにくいのかも。
父や伯母達からもよく言われてました。
『親子なんだから。家族なんだから』
『親子なんだから仲良くしないと。普通の親子のようになってくれないと困るから仲良くできるまでうちには来ないで』

そう言われてもできないもんはできない。
伯母には
『伯母さんの思う普通と私の思う普通は違うから。困らせてごめんなさい。でも無理です』
そう言ってそれからその伯母とは距離を置いてます。

母と10年以上ぶりに会った後父は
『これからはばあばも一緒にまたご飯食べたりできるね』
『誕生日だから一緒にご飯でも食べに行こう』
そう言ってきましたが断りました。

一度会ったからもう良いでしょ。

その思考に行き着くことも私には理解できず
『無理です』
それしか出てきませんでした。

でも、こうして伯母や父に言えるのは自分が分かったからだしイヤなことが合った時に何をすれば良いのか、そして一番はその状況を俯瞰して見れるようになたからです。
そうじゃなければ初めにも書きましたが、今もモヤモヤイライラしながら自分の感情などを奥底にしまい込んで心が深く病むだけだったでしょう。
ずっと自分なんてと思って自己肯定感0のまま生きていることもイヤなままだったし、自分を消すようなこともやり続けていたと思います。

人として

いくら親子だろうと家族だろうとそれぞれ違うわけです。
だからこそそういう役をつけず1人の人としてどうなのかで考えてみる。

人として自分とは合わない、無理、イヤ。

そう思うなら無理にその関係を続けなくても良いんじゃないかと思うようになってから家族以外の人間関係も楽になりました。

そういう人のために自分の人生を棒に振るのは勿体無い。
40年以上自己肯定感など1ミリもなく毎日早くこの世から消えたいと思っていた私がこんなふうに変われるなんてね。
自分が一番びっくりです。

でも、自分で変わりたいと思えばできるんですよ。
他人は変えられないけど自分は変えることができますから。
その方法を知って、知恵にして、やってみるだけです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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