【掌編小説】 エッセイ

 グーとパーの問題からチョキを導き出せません。バイノーラルビート的な課題に折り合いをつける機能も不順なのです。それだけでなく、哨戒しているはずの両耳から入ってきた周波数の違うその問題を、明日考えることにする癖がついてしまいました。
 しかし、それでもアイツだけは居座ります。
 アイツは残像のようなものです。生き続けて動けば動くほどアイツは——残像は産まれます。アイツは僕の後を必ず追って来て、そうして僕はアイツに必ず捕まってしまうのですが、字のごとく無残にも意識しなければ全く気になりません。だから逆に困ってしまう。そしてまたアイツが産まれる。でも、それでもやはり大して気にならないのは、畢竟、残像は残像でしかないのでしょう。アイツはアイツでしかないのでしょう。
 小説を書いています。アイツは関与していません。確かにキーボードを叩くこの手はアイツという残像を産み出していますが、アイツが言語化されることはありません。産まれたアイツを表現できる筆力はありませんし、そもそも、アイツを言語化する気がない。どこまでもアイツは残像でしかありません。アイツがキーボードを叩いたことはまだ一度もありません。この手です。いつもキーボードを叩いているのは。そのキーボードを叩くこの手が僕の手なのかどうかという疑念。その疑念が表現に関与しているものと思われます。アイツじゃない。



言葉遊びから真理を追究するんだ。言葉遊びで真理の仮説を立てるんだ。言葉遊びで人間とは何かを解明するんだ。死ぬまで言葉と遊んでやるんだ。遊び続けるんだ。遊び続けるんだ。言葉に殺されるのを承知で今日も言葉と遊んでやるんだ。自ら進んで言葉に殺されにいくんだ。言葉はオレをちゃんと殺してくれるんだ。ひとりぼっちのまま死ねるんだ。最高の人生だ。