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寝室 2月24日〜365日の香水


まるで異なる姿形に戻る
極めてプライベートな時間のために、美しく強い人の武装解除の時のために。
そういう意味が込められていそうだけれど、単に自然草花の香りで癒すとか樹木の香りで鎮静させるとかではない。
それらは「まだ外向き」の私室なのかもしれない。
誰にも見られない自分だけの場所で、誰も知り得ない自分に帰る。
パッケージを見ているとそんな想像がはたらく。
外見から、全く別の異世界の存在に戻るような想像。
角が生えているのか、身長がまるで違うのか、外で使うのとはまるで違う能力の持ち主になって。


マトリックス、邯鄲の夢、そして分人
何かに姿を変えさせられた物語の主人公はたくさんいる。同じように姿を偽って私たちに忍び寄るアンチヒーローもいる。
メタバースがそうと言えばそうだ。
自身の痕跡を残す人もいれば、アイデンティティをゼロから作り上げる人もいる。
この香りは30年ほど前のものだけれど、コンセプトはとても仮想空間的だ。
ちなみに香水はマトリックス公開の一年前にリリースされた。
そして「邯鄲の夢」の如く、どっちが現実でどっちが仮想かはわからない。
何かが象徴的なアイコンになっていくけれど、2000年代に入るあたりから、人は仮想と現実というダブルスタンダードを望み、適応し、進めてきたのかもしれない。それは今は仮想と現実の二択ではなく、どこに誰といるのかの関係性の中でさらに分化していく。
分人主義だと私は思っている。
分人主義の構造の中では仮想と現実の境界線はぼやけて溶けている。
行き来が日常の中で分刻みで可能になっているからかもしれない。

寝室の鏡に映るもの
このモチーフはなんだろう。赤ん坊と獣が溶け合ったような、無防備さと攻撃性が親和したようなイラスト。分人があるということは、そもそもたった一つの個などあり得ないのだから、曖昧な境界線を分人同士の間に介在させるのが「わたし」なのかもしれない。
寝室の扉をそっと閉め、鏡に映る姿。
それは誰かが知っている自分であり誰も知らない自分。それはとっても楽しいことだ!とこの香りは言っているようだ。

boudior/vivienne westwood/1998
ローズやジャスミンの魅惑的な甘さが引き出され、シプレーとせめぎ合う。トップノートの瞬間に走るグリーンを押しやるように主張し出すせめぎ合いのアコード。やがてくるスイートパウダリー。
意外と装う人を選びそうではある。
ブランドが意図したのは、全ての人を振り向かせるような魅力的な香りだったらしいけれど、ひっそり、自分だけの時間に誰にも邪魔されず、使いたい。

香り、思い、寝室。

2月24日がお誕生日のかた、記念日のかた、おめでとうございます。

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