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愛人と正妻と~シュノンソ―の庭

フランスに洗練された香りの文化を持ち込んだメディチ家の令嬢

随分前に、パリ郊外トゥールにあるシュノンソ―城を訪れたことがある。
国王アンリ2世とその妻のカトリーヌ・ド・メディチの居城。
16歳の時、政略結婚でメディチ家から輿入れしたカトリーヌ。そのとき既に夫には彼より一回り以上年上の美しい愛人ディアヌ・ド・ポワティエがいつ何時も寄り添っていた。
そのためか結婚後しばらくは子宝にも恵まれなかった。
(結果としては10人近い子を出産し、夫亡き後に王位についた子どもたちの摂政として辣腕を振るったのはよくしられるところ)

アンリ2世のH(右)とカトリーヌのC(左)に見えて、
ディアヌのDが隠れている。カトリーヌにはなんとも屈辱的な室内装飾

カトリーヌの輿入れ、新婚旅行、そして匂い手袋
余談だけれどカトリーヌは(当時フランスよりも文化的に進んでいた)フィレンツェから香水の文化を持ち込んだ第一人者と言われている。(お抱えの調香師は彼女と一緒にフィレンツェからフランスにやってきた)
王夫妻は新婚旅行でグラースを訪問したが、今は香料の町と言われる南仏のその町も当時は皮革産業の町だった。なめし皮の消臭のためにいくつかの香料商も既にあって、そのためグラースで生産される匂い付きの皮手袋は当時の流行品だった。王妃も愛用していた。カトリーヌの結婚がもたらしたアルコール性香水の調合技術と、グラースの気候と、流行していた匂い手袋とが結びついて、今日の香料のメッカグラースの歴史が始まったのだ。

対照的なシュノンソ―城の庭
さて、パリ郊外トゥールのシュノンソ―城。庭を訪れると、寵愛をほしいままにした愛人の庭は敷地も広く、少し複雑な構成で訪れたのは冬だったけれど、緑や開花の季節になると贅沢で優美な趣になるのだろうことが想像された。
一方で正妻カトリーヌの庭園はシンメトリーなつくりでとてもシンプル、面積は愛人の庭の3分の1くらいだったろうか。
城内を行くと今でもカトリーヌやディアヌの息遣いや視線を感じるような、静かな佇まいの中に漂う緊張感をよく覚えている。

槍上試合で相手の槍が目を突き、不慮の死を遂げた夫。カトリーヌは権勢を誇ったその愛人に2度とシュノンソ―の敷地に入らない事、それだけを約束させて命を奪うことはしなかったそう。

カトリーヌの庭/シュノンソ城

素顔、横顔、別の顔
歴史に名を刻む悪女と言われることもあるけれど、シュノンソ―の庭を思い出すとき、彼女の抑制のきいた振る舞いに、王妃としての強い誇りを私は感じる。
そして、並んだ庭のあまりの違いに、ちょっとだけ正妻に肩入れしたくもなる。抑制が聞いて品格のある王妃の庭だ、と言ってあげたくなる、勝手に。

王の愛をほしいままにしたら勝者なのだろうか。
カトリーヌのその後の人生も、王についた子の夭逝や不慮の事故、摂政としての苦難、ずっと着続けた喪服、決して栄華を誇る後半生でもなかった。

好きな言葉がカトリーヌに重なる。
人生の永遠の栄光もない、永遠の失意もない、永遠の変幻があるだけ。

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